01.22.09:44 [PR] |
05.03.22:47 ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ~ |
松任谷由実が紫綬褒章を受章だそう。
だからと言う訳ではないが前々から疑問だったユーミンの歌詞について勝手につぶやいてみる。
高校時代に聴いて、「そうよ、私もいつか素敵なレディになるんだわ」と胸を熱くした「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」だが、実は意味不明。
二番の、
「とても幸せな さみしさを抱いてこれから歩けない
私はもう あなたなしで」
これは倒置法なので判りやすく書くと、「私はもうあなた無しで、(この?)とても幸せな寂しさを抱いて歩けないわ」ということになると思う。
私は、「とても幸せな寂しさ」の意味がわからずにいる。
年齢を重ねたら判るかなあと思いながらこの歳まできたが、
ますます判らない。
そこで、一番の歌詞から考えてみる。
一番の歌詞は、
「夕焼けに 小さくなる くせのある歩き方
ずっと 手を振り続けていたいひと
風に乗り 飛んできた はかない種のような
愛はやがて来る冬を越えていく
きみはダンデライオン 傷ついた日々は彼に出会うための
そうよ 運命が用意してくれた 大切なレッスン
いま素敵なレディになる」
である。
これはまず、少女Aが少年Bを見送るシーンからで、「夕焼けに~」から「手を振り続けていたいひと」までは少女Aの視線で語られる。
そして次に「風に乗り~」からは、第三者Cの目線で語られることになる。
少女Aは少年Bに出会う前に別の人との恋に破れたらしく、
それら全てを見ていた天の声Cが、ああ・・・・良い人に出会って良かったね。。。。と言っている内容である。
なので、一番の歌詞には二つの人格がある。
もしも「きみはダンデライオン」の「きみ」が少女Aから見た少年Bだとすると、「ダンデライオン=遅咲きのたんぽぽ」の意味がますますわからなくなる。
ここは「遅咲きのたんぽぽ=少女A」だと見るのが妥当な気がする。
そして二番である。
「摘み取って捧げたら 人に笑われそうな 私にできる全てを受け取って
ふるさとの両親がよこす手紙のような
ぎこちないぬくもりほど泣きたくなる
きみはダンデライオン 本当の孤独を今まで知らないの
とても幸せな寂しさを抱いてこれから歩けない
私はもうあなたなしで
とても幸せな寂しさを抱いてこれから歩けない
私はもうあなたなしで」
二番は思いきり一人の人格だけで語られる。
この歌詞だとたんぽぽさんは少年Bになってしまう。
少女Aが少年Bに、「あなたは私のダンデライオンよ。 私は本当の孤独を知らないから、あなた無しで(この?)幸せな寂しさを抱いて歩けないの」と言ってることになる。
少女Aが「摘み取って捧げた」のはたんぽぽだろうか。
それを、「ふるさとの両親がよこす手紙」みたいな泣きたくなるほどのぎこちない、不器用でささやかなぬくもりだと言ってるのだろうか。
なんだか勘違い女である。
これが例えば一番のように少女A=ダンデライオンだとする。
やはり第三者Cの視線で歌われているとする。
少女Aは何だかんだいって幸せな、恵まれた少女で、二度目に出会った少年との恋が実った。
あなたはもう一人では生きていけないでしょう?
二人でお幸せにね。
そういう話しだったら判る。
改めて考えてみたけれど、やっぱり判らない・・・・・
ちなみに、この頃のユーミンは大好きなんですが・・・・
だからと言う訳ではないが前々から疑問だったユーミンの歌詞について勝手につぶやいてみる。
高校時代に聴いて、「そうよ、私もいつか素敵なレディになるんだわ」と胸を熱くした「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」だが、実は意味不明。
二番の、
「とても幸せな さみしさを抱いてこれから歩けない
私はもう あなたなしで」
これは倒置法なので判りやすく書くと、「私はもうあなた無しで、(この?)とても幸せな寂しさを抱いて歩けないわ」ということになると思う。
私は、「とても幸せな寂しさ」の意味がわからずにいる。
年齢を重ねたら判るかなあと思いながらこの歳まできたが、
ますます判らない。
そこで、一番の歌詞から考えてみる。
一番の歌詞は、
「夕焼けに 小さくなる くせのある歩き方
ずっと 手を振り続けていたいひと
風に乗り 飛んできた はかない種のような
愛はやがて来る冬を越えていく
きみはダンデライオン 傷ついた日々は彼に出会うための
そうよ 運命が用意してくれた 大切なレッスン
いま素敵なレディになる」
である。
これはまず、少女Aが少年Bを見送るシーンからで、「夕焼けに~」から「手を振り続けていたいひと」までは少女Aの視線で語られる。
そして次に「風に乗り~」からは、第三者Cの目線で語られることになる。
少女Aは少年Bに出会う前に別の人との恋に破れたらしく、
それら全てを見ていた天の声Cが、ああ・・・・良い人に出会って良かったね。。。。と言っている内容である。
なので、一番の歌詞には二つの人格がある。
もしも「きみはダンデライオン」の「きみ」が少女Aから見た少年Bだとすると、「ダンデライオン=遅咲きのたんぽぽ」の意味がますますわからなくなる。
ここは「遅咲きのたんぽぽ=少女A」だと見るのが妥当な気がする。
そして二番である。
「摘み取って捧げたら 人に笑われそうな 私にできる全てを受け取って
ふるさとの両親がよこす手紙のような
ぎこちないぬくもりほど泣きたくなる
きみはダンデライオン 本当の孤独を今まで知らないの
とても幸せな寂しさを抱いてこれから歩けない
私はもうあなたなしで
とても幸せな寂しさを抱いてこれから歩けない
私はもうあなたなしで」
二番は思いきり一人の人格だけで語られる。
この歌詞だとたんぽぽさんは少年Bになってしまう。
少女Aが少年Bに、「あなたは私のダンデライオンよ。 私は本当の孤独を知らないから、あなた無しで(この?)幸せな寂しさを抱いて歩けないの」と言ってることになる。
少女Aが「摘み取って捧げた」のはたんぽぽだろうか。
それを、「ふるさとの両親がよこす手紙」みたいな泣きたくなるほどのぎこちない、不器用でささやかなぬくもりだと言ってるのだろうか。
なんだか勘違い女である。
これが例えば一番のように少女A=ダンデライオンだとする。
やはり第三者Cの視線で歌われているとする。
少女Aは何だかんだいって幸せな、恵まれた少女で、二度目に出会った少年との恋が実った。
あなたはもう一人では生きていけないでしょう?
二人でお幸せにね。
そういう話しだったら判る。
改めて考えてみたけれど、やっぱり判らない・・・・・
ちなみに、この頃のユーミンは大好きなんですが・・・・
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06.24.01:13 この人を好きになって良かった |
「ドキッ!」なんてタイトルはいったい何や?!と思っていた今年の平原綾香ライブツアー。
これがまた良かったのなんのって。
見ながら聴きながら、その音のひとつひとつに気を抜かない彼女に感動し、そして完璧な音づくりに感動し、彼女のパフォーマンスに感動し、ああ・・・・・私はこの人を好きになってよかったと涙を流すのでした。
素晴らしい!
目の前から彼女がいなくなって、私は「ローマの休日」のグレゴリー・ペックのように振り返るのであった。
来年またステージの綾香ぽんに会いたい。
02.17.17:23 Salyu Lighthouse |
01.01.22:01 Ashes to ashes |
アーティストが作るものに対して、敬意を払うことができない日本のテレビ局、ホントになさけない。
ガガたんを出せばいいってもんじゃない。
NHKの訳詞は昔からダメダメではあるんだけど、訳詞と同じくらいパフォーマンスにしても受ける器がないんだから、何も、どうーしても出演してもらわなくていいのに。
訳詞のバカといえば、デヴィッド・ボウイの90年東京ドームライブの番組では、「Space Oddity」が本気で宇宙飛行士の歌になってた・・・・。
あけまして、おめでとうございます。
今年は自分自身の足元をよく見て、堅実に地道に、そして私らしく(これがやばい)生活することを心がけたいです。
色々なことを、穏やかに受け入れる。
そしてしっかり前を見て歩く。
大きい人に、私はなりたい。
という毎年の目標を今年も掲げるのである。
死ぬことは決まっているから、それまでは正しく生きたいなあ。
まじで。
12.08.09:03 たしかにあの夜だけは |
クリスマスソング唄うように 今日だけ愛してよ
暦かわれば 他人にもどる
クリスマスソング唄うように 今だけ愛してよ
雪にうかれる街のように
ひと晩の雪に騙されたように
街は突然に優しくなる
急に慈悲深くなった人々と
そして変わらずにすげないひと
クリスマスを理由に
雪を理由に
いえない思いを おとぎばなし
クリスマスソング唄うように 今日だけ愛してよ
暦変われば他人にもどる
クリスマスソング唄うように 今だけ愛してよ
雪にうかれる街のように
「クリスマスソング唄うように ~中島みゆき」
と、みゆきさんも歌っているように、クリスマスイブは何故かぽわんぽわんしている。
右翼で神道の私も、娘や大好きな人にプレゼントを準備する。
素敵な贈り物をしたいと思っている。
何年か前、クリスマスの時期にひどく落ち込んで、もう生きてなくていいかー、と毎日思っていた。
イブの夜、サンダル履きの大学教授がこの曲を日記にupしていた。
幸せな人にも、不幸せな人にも、今まさに死んでしまいたいと思っているようなどんな人にも今夜は優しく、メリークリスマスと言いたい。
そんな感じのコメント付きで。
誰にあてたものでもなく、彼がただ、そう思ったのだろう。
シンプルですてきな言葉だった。
誰かのブログのようなものに救われたのは、それが最初で今のところは最後である。
どんな人たちにも優しく。
たったひと晩だから良いんだと思う。
暦かわれば 他人にもどる
クリスマスソング唄うように 今だけ愛してよ
雪にうかれる街のように
ひと晩の雪に騙されたように
街は突然に優しくなる
急に慈悲深くなった人々と
そして変わらずにすげないひと
クリスマスを理由に
雪を理由に
いえない思いを おとぎばなし
クリスマスソング唄うように 今日だけ愛してよ
暦変われば他人にもどる
クリスマスソング唄うように 今だけ愛してよ
雪にうかれる街のように
「クリスマスソング唄うように ~中島みゆき」
と、みゆきさんも歌っているように、クリスマスイブは何故かぽわんぽわんしている。
右翼で神道の私も、娘や大好きな人にプレゼントを準備する。
素敵な贈り物をしたいと思っている。
何年か前、クリスマスの時期にひどく落ち込んで、もう生きてなくていいかー、と毎日思っていた。
イブの夜、サンダル履きの大学教授がこの曲を日記にupしていた。
幸せな人にも、不幸せな人にも、今まさに死んでしまいたいと思っているようなどんな人にも今夜は優しく、メリークリスマスと言いたい。
そんな感じのコメント付きで。
誰にあてたものでもなく、彼がただ、そう思ったのだろう。
シンプルですてきな言葉だった。
誰かのブログのようなものに救われたのは、それが最初で今のところは最後である。
どんな人たちにも優しく。
たったひと晩だから良いんだと思う。