![]() |
02.11.11:37 [PR] |
![]() |
05.02.00:08 愛する人 ~映画~ |
ナオミ・ワッツの綺麗なこと!
この人、ピーター・ジャクソン版「キングコング」で、コングとNYで再会するシーンの美しさが際立ってましたが、今回の美人ぶりはもう~。
そりゃーあれだけのいい女が自分が経営する会社に入ってきたら、サミュエル・L・ジャクソンじゃなくても食事に誘いたくなります。
彼女はモッツァレラチーズのようなピチピチしてる魅力じゃなく、やはりブルーチーズでしょう。。。
なんだかもう、彼女の出世作「マルホランド・ドライブ」の鍵となる、まさにブルーボックスを開ける鍵のごとく妖しく、謎めいて、味がある。
とても美味しくてあぶない女性。
いろんな意味で大人な女性です。
ホンッとに綺麗でした。
登場するそれぞれの親子関係で、娘の存在がとても重要な役割になっています。
時に親にアドバイスしたり、気を使ったり、心配させたり、わがまま言って叱られたり。
娘っていいなぁと思わせます。
女性はいつ、母親になるのか?
子どもを産んだとき、ではないことを、きっと多くの女性たちは認識しているはず。
誰もがとまどいながら子どもを宿し、お腹の中で育て、産む。
子育ても、とまどいながら、悩みながら。
周りからは母親に見られていても、自分でそうだとは思えない。
そんな毎日を送りながら子どもと一緒に成長しています。
そう、子どもと一緒に母親になっていくのだと思います。
子どもを産んだから母親になるのではありません。
自分で子どもを産むことができなくても、または自分が産んだ子どもではなくても、女性はいつかその子に対して母親になります。
母性は、子どもを産む産まないに関係なく、自覚すればいつか芽生えるものだと信じます。
女性は、お腹の中で懸命に生きている存在を感じながら、自然といとおしむ気持ちも一緒に育みます。
または生まれたあとに自分を心からの信頼を持って見つめる、子どもの瞳から。
人は愛されていると自覚したとき、自分に対しての自信を持つことができるものです。
母と子どもとの信頼関係は、そこから始まります。
子どもは母親に愛され、すくすくと育ち、同時に子どもから愛されていると実感して母親も健やかに生きられるのです。
この作品には、健やかに生きようとする母親たちが登場します。
生まれたばかりの赤ちゃんに、伸ばした手がたとえ届かなくても、その子をお腹の中で愛して育てていたなら子どもには伝わっているのかもしれません。
血がつながっていようと、いまいと、子どもからの無償の愛を感じられたとき、女性は母親になるのかもしれません。
子どもという存在は、女性にとって母性を目覚めさせる大切な、大きな存在なのだと、改めて感じました。
とても淡々としながら、大きな流れとして、女性が母親になることを柱とした、温かい作品でした。
あ、鹿児島のOさんがナオミ・ワッツの展開が以外だった、という話ですが、彼女は結局アネット・ベニングにとっての娘=母を愛する人、だったってことですよね。
アネット・ベニングの成長の物語だったってことでしょうか。
PR
![]() |
04.21.23:02 エイリアン ~映画~ |
鹿児島でやっている「青の50本」の中で、これだけは是非!と思っていた作品のひとつ。
「山猫」「キャリー」「道」「サウンド・オブ・ミュージック」、それに「エイリアン」。
高速で1時間半とはいえ、10時からの上映なので、やはりキツイ。
余裕を持って、今日は7時に家を出た。
「キャリー」も観たいが、次は「サウンド・オブ・ミュージック」にしておく。
で、「エイリアン」。
「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聴こえない」というコピーを中学1年生の私は鳥肌もので読んだ。
宇宙に憧れ、小学生の頃は自分でUFO探知機を作ったほどの女である。
うわー!そうだよ、誰も助けになんか来れないし!
想像しては畏れおののいていた。
で、たいてい劇場で観る私ですら、行かなかったんだった。
一人で観に行った父が、そりゃ面白かった!と言っていた。
妖しいH.R.ギーガーのデザイン。
非の打ちどころない強力モンスター。
SFホラーというジャンル。
強く格好良い戦う女性キャラ。
宇宙船という閉鎖性と、宇宙という閉鎖性。
全てが新しい!
画期的な作品だった。
中でも素敵だったのがシガニー・ウィーバー。
格好良い~♪
あのタンクトップとパンツ姿は何といっても素晴らしい。
暗く狭く汚い宇宙船、不気味な雰囲気の作品の中で、彼女だけはとても健康的な生命力にあふれていた。
この作品に並んで驚いたのは「スター・ウォーズ」。
その後は「ターミネーター」。
この3作品以降は、3Dですら驚きはないな。。。
どこかB級ぽい雰囲気も醸し出しつつ、単純に斬新な驚きを与えてくれた「エイリアン」。
永遠にファンです!
![]() |
04.20.23:08 彼女が消えた浜辺 ~映画~ |
1987フォーラムに打ったものに若干修正しつつ~
オチや垣間見られる登場人物たちの気持ちがキツくて。
救いはイランの女性たちが綺麗だったこと♪
最高に綺麗でした。
物語やイスラム圏の習慣など興味深かったですが、日本的な話しだとも思いました。
どこの世界でも何もしないくせに口だけ出す人っているんだなぁ。一番迷惑。
色々と動く人に限って叩かれて、気の毒。
何もかも終わったあとでノコノコ出てきて批評するやつ、すごく卑怯。
頭の悪い男どももイヤだけど、頭の悪い女はホントに迷惑。
自分は何もやれないのに馬鹿だから話を引っかきまわして、ややこしくして、その事に気付かずにしれっとマジョリティに紛れ込む。
最悪な存在です。
この作品に登場した集団は、そのまま日本でもありえます。
実際にああいう集団が、まんまいます。
残念ですが。
それに嘘はやっぱりいけませんねー。
つじつま合わせようとすればするほど深みにハマって、どれだけ人を傷つけることか。
きっとつじつま合わせする方は傷ついた人のことなんて、ちっとも慮ることもしないんだろうなぁ・・・
善意から子どもの保育園の先生エリを休暇に誘ったセビデー。
休暇は、エリの事情(婚約者がいること)を知りながらも、会わせてしまえば何とかなる、という軽い気持ちで自分の友人アーマドとのお見合いも兼ねていた。
まずはその軽い気持ちが第一の間違い。
どんなにやり過ごせそうに感じても、嘘はいけない。
それもイスラム圏では一番許されない嘘。
エリにはある計画があった。
だからこそ、その嘘はあとでセビデーにとって致命傷となる。
最初は善意だった。
善意からの嘘なら大丈夫だとセビデーは思っていた。
なぜなら彼女は周りからも「しっかりしている」と認められる存在だったから、自分でもそう思っていた。
エリが隠していた計画、セビデーの嘘は、もうひとつの嘘のために大きな事件へと発展してしまう。
善意のセビデー、エリの婚約者、彼らはあまりにも気の毒。
セビデーは周囲とのつじつま合わせのために、大きな大きな嘘をつかねばならず、エリの婚約者はこの上なく傷つく。
大騒ぎした周囲だけは何も変わらず日常に戻り、誰を傷つけたのか慮ることもない・・・
よくぞこのような作品を作ったと思いました。
気持ちの良い話ではないけれど、こういうことは日常茶飯事。
できることなら上手く立ちまわれる人になりたい。。。
それにしても綺麗だ・・・・・・
救いはイランの女性たちが綺麗だったこと♪
最高に綺麗でした。
物語やイスラム圏の習慣など興味深かったですが、日本的な話しだとも思いました。
どこの世界でも何もしないくせに口だけ出す人っているんだなぁ。一番迷惑。
色々と動く人に限って叩かれて、気の毒。
何もかも終わったあとでノコノコ出てきて批評するやつ、すごく卑怯。
頭の悪い男どももイヤだけど、頭の悪い女はホントに迷惑。
自分は何もやれないのに馬鹿だから話を引っかきまわして、ややこしくして、その事に気付かずにしれっとマジョリティに紛れ込む。
最悪な存在です。
この作品に登場した集団は、そのまま日本でもありえます。
実際にああいう集団が、まんまいます。
残念ですが。
それに嘘はやっぱりいけませんねー。
つじつま合わせようとすればするほど深みにハマって、どれだけ人を傷つけることか。
きっとつじつま合わせする方は傷ついた人のことなんて、ちっとも慮ることもしないんだろうなぁ・・・
休暇は、エリの事情(婚約者がいること)を知りながらも、会わせてしまえば何とかなる、という軽い気持ちで自分の友人アーマドとのお見合いも兼ねていた。
まずはその軽い気持ちが第一の間違い。
どんなにやり過ごせそうに感じても、嘘はいけない。
それもイスラム圏では一番許されない嘘。
エリにはある計画があった。
だからこそ、その嘘はあとでセビデーにとって致命傷となる。
最初は善意だった。
善意からの嘘なら大丈夫だとセビデーは思っていた。
なぜなら彼女は周りからも「しっかりしている」と認められる存在だったから、自分でもそう思っていた。
エリが隠していた計画、セビデーの嘘は、もうひとつの嘘のために大きな事件へと発展してしまう。
善意のセビデー、エリの婚約者、彼らはあまりにも気の毒。
セビデーは周囲とのつじつま合わせのために、大きな大きな嘘をつかねばならず、エリの婚約者はこの上なく傷つく。
大騒ぎした周囲だけは何も変わらず日常に戻り、誰を傷つけたのか慮ることもない・・・
よくぞこのような作品を作ったと思いました。
気持ちの良い話ではないけれど、こういうことは日常茶飯事。
できることなら上手く立ちまわれる人になりたい。。。
それにしても綺麗だ・・・・・・
![]() |
04.19.22:14 アンチクライスト ~映画~ |
1987のフォーラムに打ったものを、若干変えつつ~
今回も含め、ホントにラース・フォン・トリアーにはブレが無いと思います。
そこはもうアッパレと言いたいです。
好きで好きでたまらない女性を物陰から一日中のぞき見ているような、頭の中で色々な姿態を妄想して楽しんだりまたはそうしている自分を卑下したりするような、どこか偏執狂的な雰囲気。
そんな彼のことが嫌いになれません。
むしろ、どこまでやらかしてくれるんだろう?と、クセになってます。
彼の作品にはずっと「反キリスト教」な流れがあり、まさに今回はまんまアンチクライストだったのですが、これまでは寛容であるとか慈悲であるとかそんなことがテーマだったのですが、今回は貞淑?それとも姦淫?
生殖そのものを馬鹿馬鹿しいと考えているかのような・・・。
気絶していても起立しているペニスをしごいて精液をほとばしらせる妻、夫のもとに上ってくる顔のない女性たち、象徴的で面白いです。
もう、笑うしかないです。
昔のイーストウッドの作品(出演)を思い出しました。
「白い肌の異常な夜」や「恐怖のメロディ」あたり。
トリアー監督は女性に対して、信じたいのに信じきれない、母親が子どもにかけるような絶対的な愛情のようなものを求めているような、またはそのようなものも信じたいのに信じきれないような、求めても与えられないことに地団太踏んでいるような、欲しいのに与えられないことを床にころがって泣き叫んでいる子どものような、そのような感覚を感じます。
それは私の勝手な想像なのですが、彼の作品を観る度にそう感じます。
ニンフォマニアな妻と、愚かな夫。
息子を失った事も、夫との二人だけの世界にいたかった妻の半ば確信的な犯行。
物語は、女性→肉欲→悪魔→駆除。
そんな感じ。
悪いのは女、愚かなのは女。
だけど男はもっと愚か。
子どもを作ることなどもっての他だと言いたげなブラームスの子守唄の中、落ちていく子ども。
性欲を否定するかのようにクリトリスを切り取る妻。
その行為は、子どもを死なせてしまったことを悔いて、というよりも、自分自身の性自体を悔いて、消し去ろうと否定しているように見えました。
多分、妻は初めから子どものことなど愛してはいなかった。
愛していたのは夫のこと、そしてセックス。
ここまで書くととてもエグイ話しのように思えますが、不思議と観終わったあとでイヤな気持ちにはならない。
それは話しの中にどこかバカバカしさが漂っているから?
ラース・フォン・トリアーはいったいどこまで行くのでしょう?
いったいどこまで女性を貶めるのでしょう?
彼の貶めっぷりには、どうしようもなく強く、女性への愛が隠されているように、私には思えてなりません。
そこはもうアッパレと言いたいです。
好きで好きでたまらない女性を物陰から一日中のぞき見ているような、頭の中で色々な姿態を妄想して楽しんだりまたはそうしている自分を卑下したりするような、どこか偏執狂的な雰囲気。
そんな彼のことが嫌いになれません。
むしろ、どこまでやらかしてくれるんだろう?と、クセになってます。
彼の作品にはずっと「反キリスト教」な流れがあり、まさに今回はまんまアンチクライストだったのですが、これまでは寛容であるとか慈悲であるとかそんなことがテーマだったのですが、今回は貞淑?それとも姦淫?
生殖そのものを馬鹿馬鹿しいと考えているかのような・・・。
気絶していても起立しているペニスをしごいて精液をほとばしらせる妻、夫のもとに上ってくる顔のない女性たち、象徴的で面白いです。
もう、笑うしかないです。
昔のイーストウッドの作品(出演)を思い出しました。
「白い肌の異常な夜」や「恐怖のメロディ」あたり。
トリアー監督は女性に対して、信じたいのに信じきれない、母親が子どもにかけるような絶対的な愛情のようなものを求めているような、またはそのようなものも信じたいのに信じきれないような、求めても与えられないことに地団太踏んでいるような、欲しいのに与えられないことを床にころがって泣き叫んでいる子どものような、そのような感覚を感じます。
それは私の勝手な想像なのですが、彼の作品を観る度にそう感じます。
ニンフォマニアな妻と、愚かな夫。
息子を失った事も、夫との二人だけの世界にいたかった妻の半ば確信的な犯行。
物語は、女性→肉欲→悪魔→駆除。
そんな感じ。
悪いのは女、愚かなのは女。
だけど男はもっと愚か。
子どもを作ることなどもっての他だと言いたげなブラームスの子守唄の中、落ちていく子ども。
性欲を否定するかのようにクリトリスを切り取る妻。
その行為は、子どもを死なせてしまったことを悔いて、というよりも、自分自身の性自体を悔いて、消し去ろうと否定しているように見えました。
多分、妻は初めから子どものことなど愛してはいなかった。
愛していたのは夫のこと、そしてセックス。
ここまで書くととてもエグイ話しのように思えますが、不思議と観終わったあとでイヤな気持ちにはならない。
それは話しの中にどこかバカバカしさが漂っているから?
ラース・フォン・トリアーはいったいどこまで行くのでしょう?
いったいどこまで女性を貶めるのでしょう?
彼の貶めっぷりには、どうしようもなく強く、女性への愛が隠されているように、私には思えてなりません。
![]() |
04.18.21:35 もう中学生 |
入学式前の春休みからすでに中学校の部活に参加していたので、小学校気分はスッカリ抜けていたのだが、実際の中学校生活が始まってみると少しとまどうところもあるようだ。
クラス編成が不満だったようで、今年は吹奏楽だけに頑張る!と言っていたが、始まってみると結構楽しかったらしく、同じ小学校以外のお友だちも出来て、このクラスで良かったかななどと言っている。
衝撃的にマズイと評判だった給食は、めちゃめちゃマズイものを想像していたらしく(そういうところは私と似ている)許せる範囲だったそうだが、食事の量が多いことと、食べる時間が短すぎて大変だと言っていた。
ダサいボックスの制服も、水色のジャージも、最初は恥ずかしがっていたが、ジャージ(通称・青ジャー)などは春休みから愛用しており、今では「楽だわー」と、青ジャーなしではいられない。
制服も、着替えるのがダルイからと、帰宅してもずっとそのままだ。
ついでにスカートの下に体操服のズボンをはいている。
これは私たちが昔、スカートの下にブルマをはいていたのと同じような事らしい。。。。
先週、頭髪検査があったそうだ。
卒業式の前日に髪の毛を中学生使用に切ったのだが、前髪がひっかかったーと言っていた。
ピンできっちりと額を出すように注意されたらしい。
今でも襟に髪のつかない山下達郎風なのに・・・キッチリと珍獣ハンターのようでなければいけないようだ。
ピンの止め方も、本人には色々と事情があるようで、真ん中分けだと恥ずかしい、7:3だと●●ちゃんと同じだし、8:2だと●●先輩とかぶる・・・・と言うので、前髪を切ることにした。
「先生たちは髪も染めてるし、パーマもかけてるのに、なんで私たちだけこんなにせんといかんちゃろか!」
おお~♪
娘よ、それが尾崎の原点やぞ!と、
こーの支配からの、そつぎょお~♪と歌ってやった。
あの、「下妻物語」のヤンキーも歌ってたじゃん!
そう話してやったら、あー、なるほどねーとうなずいていた。
ちなみに私は尾崎豊なんて好きでもなんでもないが。
次は何を言い出すか楽しみだ。