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02.11.18:03 [PR] |
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04.08.22:24 ばかと偽善者がきらい |
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03.11.22:49 借り暮らし |
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03.08.08:36 海炭市叙景 ~映画~ |
心身ともに気力十分、気運上昇、元気が有り余ってもう大変ー、という時に観ないと辛い作品です。
良い作品を作ろう!と頑張ってる感があり、好感が持てます。
頑張ってる感が、いくつかの「やり過ぎだなー」と思える演出にもなっていたかもしれません。
あ、もうそれはいらなかったのにと思える場面がぽこぽこ出てきたのはもったいなかったです。
内容が重いので、「泣かせ」の演出はいらないと思いました。
でも悪くはないです。
あえて難を言えば、です。
雰囲気が韓国映画のようでありました。
この作品の暗さは何かに似てるなぁと、ずっと思っていたのですが、一番しっくりくるのがギドクやポン・ジュノ、ヤン・イクチュンの映画でした。
もしかすると北海道の人は日本という国に対する考え方が少し違うのかもしれません。
作品中にも「内地から来た」というセリフが確か、ありました。
物語の暗さや雰囲気の救いようのなさは、何か土着のものがあるのかもしれないと思いました。
そう思わないと納得いかないぐらいの暗さです。
内容は友人がドンピシャな解説をしてくれたので引用。
5つのエピソードの登場人物たちに共通するのは「推し量る」気持ち。
最初の男は子どもの頃、造船所の事故で両親?父親?を失ったが、船が好きだから自分も造船所で働いた。
寂れた街の中、兄妹たった二人で生きてきた。
古い工場だけど、大きな船を造り送り出すことがどんなに誇らしかったか。
リストラの波が自分たちに押し寄せても、自分が誇りを感じ大切にしているものや仲間を信じていた。
そこには彼が、何を失っても大切にしていた歴史や気持ちがあった。
それを誰が推し量ってくれるのだろう?
「そんなことじゃないだろう!」寡黙な彼が労組のリーダーに掴みかかって叫んだ言葉が物語ります。
わかってほしかった、わかっていると信じていた相手がわかっていなかった、その事に彼の気持ちは粉々に傷ついたのでしょう。
行政の若造に立ち退きをお願いされる老婆も同じ。
自分はずっとここに住んできた。
何もないけど歴史がある、ここで暮らしてきた、街の活性化など関係ない、ここに自分の暮らしがある、ただそれだけだ。
その気持ちを誰が推し量る?
誰もいない、何も言わず老婆にくっついている猫が側にいるだけ。
天体が好きで、ずっと変わらず誇りをもって仕事をしてきたのに、その慎ましさをつまらないと大好きな妻に罵倒された小林薫も、多分子どもの頃から家族に問題を抱え、父親から仕事を引き継ぎ、自分の手でもっと業績を上げたいともがく加瀬亮も。
夫から顧みられず精神を病んだ義母から虐待を受け、ひとりで布団の中で泣くしかない少年も。
誰もかれもがギリギリで、それでも普通の顔をして生活している。
誰からも気付かれなくても、気付いてくれたとしても手を差し伸べられなくても、どんなにギリギリでもそれが日常なんだと。
谷村美月の「日の出を見たら私たちは、あの場所に戻るのだ。」というセリフが全てです。
どんな出来事があっても変わらず日常は流れていく。
「そして船(日常)はいく」というフレーズを何年も前に読んで、それ以来強烈に覚えているのですが、「やり過ぎだなぁ」と感じた連絡船と巡視艇がすれ違うシーンを観て、そのフレーズを思いました。
やり過ぎだと思ういくつかの場面や、ネコは救われても人間は救われない内容はさておき、映画としては良かったと思います。
連絡船からの函館の景色は絶海の孤島のようでした。
書きかけのメモをポケットから取り出して振り返る事務員さん、あのシーンは良かったなぁ・・・
とにかく、それはそれは重く暗いお話しでした。
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03.01.23:18 あしたのジョー ~映画~ |
それも私が愛してやまないジョーを!
ジョーだんじゃない!だいたい、山Pなんかがあたしのジョーになんかなれるハズない!
そう思っていた。
この間のヤマトが凄すぎたし。
ところがこの作品、良い意味で期待外れ。
最初から最後まで、しっかりハマってしまった。
冒頭、アニメ一作目のジョーのテーマが流れてくる。
工場の煙突から煙が出ている、夕暮れ時だ。
あー、ジョーがこの色を背にして口笛吹きながら歩いてくるのよ・・・
それが山Pのシルエットだと知っていても胸がぎゅっとする。
ドヤ街の人々、冷たい雨、街かどにうずくまるジョー。
それだけで目頭が熱くなる。
河原に寝そべるジョーのコートのポケットから、チビ連が何か拝借しようと近づいてくる。
「何もねえぜ」
ジョー!!!!もうたまらん。
自分でもびっくりするほどハマってしまった。
その後のドヤ街でのケンカのシーンは、殺陣がとても上手だった。
作り物なのに自然で、実にナチュラルに殴り合っていた。
そう、この作品はボクシングのシーンがなんといっても素晴らしかった。
こんなに普通にドキドキさせるボクシングの試合シーンは初めてだった。
おまけに物語の流し方がとてもうまい。
段平に出会って少年院に入るまでや、「明日のために~その1」から少年院を出るまで、少年院時代のポイントはちゃんと押さえてあるし、削るところはしっかり削って編集がうまい!
それは最後まで感じた。
減量に苦しむ力石がアッパーだけを練習していたことが出てこなくても、力石の死からラストまでの流れも全然オッケー。
どのあたりでラストになるんだろう?と思っていたが、ここしかないな、というところでちゃんと終わっていた。
惜しむらくは白木葉子。
付け足した出生の秘密は余計~。
全然その後との関連性ないし、力石が少年院に入った原因としてもなんで原作のままにしなかったのか?わからん。
確かに力石との死闘までの葉子は地味だ。
白湯をどうぞ、と差し出すぐらいしか見せ場はない。
だからといって地味なだけのキャラではない。
作品の中では掃き溜めにツルの役どころなので、下町の太陽的紀ちゃんとはまた違い重要なのだ。
なので、そこに居るだけで目を引く、おっ♪と気にせずにはいられないような女優を使うべきだった。
香里奈では役不足。
だが、そんな部分を差し引いてもこの作品は良かった。
最初から最後まで、目頭が熱くて熱くて、観終わったあとの私の目がどれだけ腫れていたことか。
私だってリングアナなら一度で良いからアナウンスしたい。
赤コーナー117パウンドー 矢吹ー丈~
青コーナー118パウンドー 力石ー徹~
とか、カーロスーリーベラーとか、ホセーメンドーサーとか!
死ぬ間際に自分のグラブをジョーに託す、そう葉子に告げたというフィクションも許す。
そうであってほしいなんて、私もちょっと思ってたから。
アニメと同じような服装していても許す。
段平が同じような顔にされていても許す。
そのあたりは原作は原作、映画は映画で変えてもらっていいんだけど・・・・と思うが、まあいい。
何だか、うおうお言ってたウルフも、何故かゴロマキ権藤も、紀ちゃんがいなくても、いい。
許す!
そうだ、紀ちゃんが出てきてないということは、続編などないということだ。
青春を謳歌する、という意味を問う紀ちゃんがいなければ、ジョーは誰にも「真っ白な灰だけだ・・・」なんて言えないはずだ。
そうだ、今気付いた。
良かった!続編はいらない、この作品の終わり方で十分だ。
ジョーが生きている。
あしたを目指して生きている。
たとえ映画の中だけでもいい。
ジョーが生きていて、泪橋の下でサンドバックを叩いている。
そう思えることが何よりも嬉しい。
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01.25.09:21 デレク・ハートフィールド |
ヒトラーの肖像を右手に抱え、左手に傘を持ってエンパイアステートビルから飛び降りるなんて、ただものじゃない。
高校時代、EDWINのポスターに著名人の裏話がひとこと添えてあった。
とても格好良いポスターだったのでいただいた。
引越しで失くしてしまい残念だ。
ヴァージニア・ウルフはポケットに石をつめて入水した
アンデルセンは死ぬまで女性とセックスしなかった
他にもあったけど忘れた。
ヴァージニア・ウルフは特に印象的だった。
「めぐりあう時間たち」でニコマンがツイードのコートのポケットに石をいれたときには、胸が痛かった。
今日もよく晴れた。
新しい一日が始まります。