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02.13.07:17 [PR] |
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06.25.23:19 ほんとに勝手なんだから |
私、夕べというか早朝、日本の試合があることすら知らなかった。
もともとサッカーに興味がない。
Jリーグが始まったときも、サッカー自体知らないから有難みも何もないし、三浦和良はじめヴェルディの選手たちの田原俊彦のような、語尾に「ね」がつく頭の悪そーうなしゃべり方が大きらいだった。
ハマっていたのは「Jリーグチップス」の選手カード集め。
浦和レッズの選手ばかり引き当てるので、浦和はなんとなく応援していた。
レッズは開幕当時、超弱かったということも応援していた理由のひとつ。
通称「ドーハの悲劇」も、私は眠っていたのにテレビの前でギャーギャー言ってる友人の声がうるさかった。
今朝、仕事で行った先で「やっぱ今日はニッポン!って感じっしょ!?」と言われ、あいまいに返事していたら、向こうは私も観戦したもの、という雰囲気で話し続けるので「私、観てないです」と言うと、驚かれた。
まじっすかー!と言うので、今朝あるってことも知らなかった、というと絶句された。
私は日本を愛する右翼ですが、それとワールドカップとは違うやろー。
イタリア代表のデル・ピエロは好きだった。
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06.20.12:02 魔法使いの弟子 |
見て聴くまではそこまで期待もしてなかった西本智実。
格好良い女の人を見て、良い気持ちになればいいわ、ぐらいだった。
6月19日(土)メディキット県民文化センターでの『西本智実withリトアニア国立交響楽団』。
一度彼女の指揮を見てみたくて、先行予約が始まるとすぐにチケットを購入したのだった。
湿気の強い、それでも雨は降らず青空まで少し見えている土曜日の午後。
少しの興奮を抱え、アイザック・スターン・ホールへ急ぐ。
舞台ではオーケストラと、真ん中にグランドピアノ、指揮台はピアノの向こうなので前半のレイアウトで全身は見えない。
1曲目はヴェルディの歌劇「運命の力」序曲。
これは去年、大淀中吹奏楽部がやっていたもの。
舞台そでから登場した彼女は、それはそれは颯爽としていてピカピカしていて、だいたいタカラヅカの化粧付きでもないのに燕尾服が似合う似合う。。。。。。
格好良いーーーーーーーー
それでも耳に心地良いというか、聴きやすい曲だし、彼女のあのルックスにパフォーマンス、これならやっぱり女性がウットリ、ヅカ並みのファンがついてファン同士もすーごい競争があって・・・・などという噂もわかる。
やっぱりこんなもんね、と思った。
2曲目はピアニストのタマラ・ステファノヴィチ(知らん)と競演。
シューマンのピアノ協奏曲 イ短調Op54
これは正直眠くて、ちょっと寝てしまった。
前半が終わり、この人はプロデュースする人に忠実で、彼女のキャラクターを生かした演奏曲を選び、そして演奏しているんだな、やはりそうか・・・・という気分は否めず、素敵なんだけどそこまで。
1曲目を聴いたときに「やばい!素敵だ!でも絶対にだまされないぞ!」と感じた気持ちを新たにした。
後半も「展覧会の絵」に「ボレロ」だなんて、聴きやすいし、よく知ってるし、まあそんなもん・・・・と。
だいたい、そうでなくてもホントに格好良いんだから、そんな人があんな演奏して、耳触りのよい曲聴かせて・・・・いやらしいわぁ、軟派だよ、と思った。
後半はグランドピアノはそでに引き、頭の先から足の先まで西本智実。
格好良いーーーーーーーーーー。
なに!あの足、始まる前のがっ、と踏ん張った足、あの腕、あの指、サラサラ動く髪!
いやいや、それでも騙されないぞ!
そんな気持ちはあっという間に飛んでいくのだった。
後半1曲目 ムソルグスキー ラヴェル編曲 展覧会の絵
今までの私の頑なな気持ちはどこへ・・・・・
彼女の指揮するとおりに音が動くのが見える・・・・
左手が大きく振られると、そこから音が盛り上がり、そして身体全体で右から左へ動くと右から左へ音が走る、右手で中央を指すとドラが鳴り、ティンパニが震え、彼女が上下に頭を振れば音が飛んでいく。
それはまるでサーカスの美しい猛獣使いか、アニメでみた魔法使いの弟子のように、彼女が腕を振ったとおりに音が動いていく。
ディズニーのファンタジアのよう。
魔法使いの目を盗んでミッキーが遊ぶ、あのシーンを私は実際に観てる!
終わった瞬間、一斉に割れんばかりの拍手。
鳥肌たった・・・・・
後半2曲目 ラヴェル ボレロ
演奏するまえに、生声で西本さんが「今の大変な状況が早く終息できるようにお祈りいたします」そんなことを言ってくれた。
またこれが・・・・・
演奏がはじまる前の静けさと、足を広げてすっ、と立ち、自分の中の音を待つ。
タクトが振られ、聞こえないほどの小さな音がだんだんと集まり、大きくなり、盛り上がり、その中央で美しい魔法使いが音をあやつる。
色々と批判されているのは知っている。
言ってる、評価している人たちが、どれだけの演奏を聴いているのかは知らないし、演奏や音楽のことを聞いても意味もわからない。
私はクラシックには素人だし、ほとんど知らない人間だから、そんな人たちとは耳の肥え具合も違う。
パフォーマンス先行と言われても仕方ないかもしれない。
彼女のあのルックスが邪魔してるかも、とも思う。
大切なのは、あの場があの時美しい音にまみれ、たゆたっていた、ということ。
観客が、水晶の森のような透明な音、黒水晶のような重く透明な音、ダイヤのように輝く音のシャワーを浴びていたこと。
それを美しい女が美しく操っているということ。
それだけが事実だ。
そして、音楽は本来こんなことかもしれない、と思った。
私たちは音楽から神を感じ、良い気をもらい、そして外に出て行き、周りを幸せにしていく。
禊ぎのひとつなのかもしれない。
ならばあの美しいアイドルは、まさにその役目を持ってそれを忠実に行っている。
と、まあ熱烈に打ってしまったが、あのオーラは実際に見てみないと!
私も西本智実に指されたい・・・・・
ってか、ある有名私学の吹奏楽顧問がきてたけど、あんな飲まれた彼の顔もはじめて見た。
騒がれる、持ちあげられる、嫉妬されるには、やはりそれなりの理由があるのだ。
それを彼女は1000%私たちの前で証明した。
同じ女性として誇らしい。
そして、オーケストラはいいなぁ!!!!!
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06.13.23:25 ラジオの夜 |
何十年ぶりかにAMラジオを部屋で聴いている。
遠~い知り合いがパーソナリティをやる番組を聴くために。
日曜の夜10時すぎ、思いがけず映画のプログラムにあたった。
ブログを打ちながら聴いていると、「シェルタリング・スカイ」のテーマ曲が流れてくる。
ワケわかんない映画だったなぁ・・・・・と思っていると、「コーリング・ユー」が流れてくる。
あー、「バグダット・カフェ」は何だか気持ちがほんわかする映画だったなぁ・・・・・
そんな風に頭の中では懐かしい場面があれこれと浮かんでくる。
この気持ち。
懐かしいような不思議な気持ち。
こうして何かに向かいながら誰かの声と音楽に耳をすませていると、10代の私に戻るようだ。
「シェルタリング・スカイ」
なんとなくだが、今ならばこの作品を少しは理解できるように思う。
この夫婦は二人の関係を修復しようとアフリカへ旅したのではない。
二人は旅をしに来たのでもない。
アフリカへ行った、そしてどうしてだかあの広い大地の中にありながら、何かに囚われたようにひとりは死に、そしてひとりは自我も誇りも何もかもを失い、消えて行く。
ふたりを守ってくれるべき空は、ふたりを守らない。
坂本龍一のテーマ曲はとてもロマンティックだけれど、観るには随分と覚悟のいる映画だ。
淀川先生が「付き合っている人と一緒に行って、退屈だと言ったら」その人とは別れろ、と言ったとか・・・
私、元気なときなら良いけれど、寝るかも。
淀川先生、ごめんなさい。
ジョン・マルコビッチがセクシーだなぁと思った。
冷めてしまっても、あんなに深く傷つけあうなら愛しているのだろう。
マルコビッチを失ったあとのデボラ・ウィンガーが悲しすぎる。
が、この作品はそれからが見どころだと思う。
観るには少し気合の必要な作品だが、あらためて思い出してみると、色々と考えることもあり。
良い作品だったのだと思う。
なんてこと考えながら、今は「センチメンタル・ジャーニー」が流れている。
ラジオと夜。
ハマりそう。
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06.12.22:00 道に倒れて誰かの名を |
スポーツでも何でも、たいていのことは普通に出来る私でも、これだけはどう頑張ってもできない!のが「お酒を飲むこと」。
高校生の頃などはイキがって頑張ってみたけれど、ちょっと飲んだだけでしこたま気持ちが悪くなり、しまいには冷や汗が出て手が震えてくるので、周りに迷惑をかけるうえ、私自身もそんな気持ちの悪い思いをしてまで飲む必要性が感じられず、今でも全然飲まないが、夜の街は大好き。
20代のはじめ、ショットバーでバイトをしていた頃はほんの少しだけ飲んでいた。
すごく頑張って。
やはりお酒を飲む必要性は感じられず、仕事で仕方なく飲む以外は飲まなかった。
それでも朝まで付き合うことは平気でできたし、馬鹿もできた。
でも、素面でやる馬鹿はホントの馬鹿なので、ちょっと!ちょっとちょっとちょっと!と思うようなことはなかなか出来ない。
それで良いと思う。
でも、歌に登場するような、
「道に倒れて誰かの名を呼び続ける」とか、
「気がつけば痛む頭を赤子のように撫ぜられている 何を話したのだろう」などと思うような、酒のうえでの出来事に憧れている。
恋人と別れて朝まで飲んだくれてさ~
とか、
あれは酒がやらしたことよ・・・・
なんて、一度言ってみたいものだと、若い頃からずっと思っている。
飲んだくれなどしようものなら、私は救急車に乗せられ、救急病院で点滴をうけることになる。
まず、飲んだくれる前に口から泡を吹いて倒れるだろう。
お酒が私に何かやらす前に、私は急性アルコール中毒で死んでしまう。
考えただけで恐ろしい・・・・
街で飲んだくれることが出来ないので、ひとーりで車に乗って中島みゆきの「誕生」を聴きながら泣く。
それか、夜中のベランダで空を見ながら煙草を吸う。
辛いことがあったときに、毒にも薬にもならない誰かと過ごすことができない。
そんな根暗で融通の利かなさを、実は気に入っているが、やはり永遠の憧れ「酒のうえでの出来事」には一生遭うことがないので、くやしいなぁ。
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06.07.15:44 フィリップ、きみを愛してる!~映画~ |
タイトルを聞いたときには、もっと他のタイトルにしようよ、と思った。
でも観終わってみると、このタイトルの何と素敵なこと♪
あー、私も誰かに「あなたを愛してる!」と言いに走りたい!なんて・・・(^◇^)
どうして男同士がベタベタしてるところを観なくちゃいかんの~、と思うなら観なくて良いし、話題作だからといって実際、観終わっても「あーヤダヤダ」としか思えない、言えないなら最初からスルーで良いと思う。
でも、この作品はコメディだし、ゲイを美化もしてないし、むしろ普通に男男のカップルを描いていて、私は少しも違和感も何も感じなかった。
ひと昔前の「アナザー・カントリー」や「モーリス」の方がイヤかなぁ。
(ちなみに「ブロークバック・マウンテン」も全然ダメだった。これは別の意味で(^^ゞ)
幼い頃に養子だと宣言されたスティーヴンは、それでも明るく強く生きる方が得だし、そうしようと考える。
そして大人になり、立派な仕事を持つ立派な男、夫、父親として生きていたが、自身の性的傾向については幼い頃から自覚していて、そこは公には秘密にして暮らしていた。
だがある日、大きな交通事故に遭い、人間いつどうなるかわからない!それなら本当の自分自身で生きる!と、堂々とゲイ宣言。
美しい恋人も作り(もちろん男性)、ふたりで楽しく暮らし・・・・ていたが、スティーヴンにとって、恋人を幸せにする=良い暮らしを与えること。
学歴はないが、高い知能を持つスティーヴンはお金を稼ぐため、保険金詐欺や違法な商売などやってしまっていた。
案の定捕まり、入った刑務所で出会ったのが運命の人、フィリップ。
フィリップより先に出所したスティーヴンは、彼を保釈するために偽弁護士になり、周りをだましてフィリップを出所させるわ、彼のために給料の良いマトモな仕事に就こうと、偽履歴書を作り大手企業に就職。
最初は真面目に仕事をしていたが、「周りはバカばっかし」なので、会社のお金を不正に運用し、自分たちのモノに・・・
とにかく、頭が良いのでありとあらゆる事に精通しているし、人を動かす力に長けているし、今までは利用されるばかりの人生だったフィリップが「こんなに優しくされたのは初めて」だと感激するのも無理はない。
ちなみにゲイとして暮らすと金がかかる、というセリフがあるが、これは単に相手に高価なプレゼントをあげるからとか、良い暮らしをさせるからとか、それだけではない。
同性愛者のカップルの場合、セレブであること、お金を持っていることが自分たちを守ることにもなるからだ。
あのセリフは、社会の偏見や中傷から、恋人を守ることに繋がるから、でもある。
なのでスティーヴンは愛するビリーのため、フィリップのために身体を張っても、危険を犯しても、大金を稼ぐのだ。
ジム・キャリーは、この実在の主人公を、ほんとなの?嘘なの?どっちなの!と、観ているこちらにまで言わせるような人を食った演技でみせている。
めっちゃ上手だし、やられたー!
もしかして?と予想はしたけど・・・・・
フィリップ役のユアン・マクレガーがまた可愛い。
あー、あんなゲイ男性いるいる・・・・・でも、ステレオタイプではなく、自然で良かった。
主人公の最初の恋人ビリーがロドリゴ・サントロ。
私、彼はどー見ても普段からゲイやろ?と思ってるが、、、、だってセクシーなんですもん♪大好き♪
主人公ののんびりした奥さんも可笑しかった。
なんだかんだ言って、主人公の周りには良い人ばかり。
そこで思い出すのがアイリーン・ウォルノスをモデルにしたシャーリズ・セロンの「モンスター」。
アイリーンも頭の良い女性だったが、あまりにも生い立ちや、周りにいた人間たちが悪すぎた。
兄か弟の子どもを10代前半で身籠り、もちろんだがお金のためにその頃から男たちに身体を売っていた。
それも格安で・・・・
出会ったレズビアンは愚かな醜女で、それでもアイリーンは「真実の愛」を見つけた、と思う。
アイリーンに依存するだけの恋人のために、身体を売るだけでなく、強盗殺人まで犯すようになり、結局最後は恋人に裏切られ、死刑になるのだ。
同じように知能が高いLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスセクシャル)でも、生い立ちひとつ間違えば、スティーヴンとアイリーンの違いになる。
それはなんと悲しいことか。
ふたりとも結局、刑務所暮らしだが、片や幸せに(勘違いだとしても)、片や世の中に呪いの言葉を吐いて死刑台にあがった。
それにしても犯罪はいけないし、そんな極端なことにはならず、男男だろうと女女だろうと、どーでもいいじゃん。
そう私は思っているし、そういうことを話題にすることすらバカバカしいと思っている。
「フィリップ、きみを愛してる!」ハッピーな作品でした♪
でも、くれぐれも犯罪はいかん。