02.13.23:47 [PR] |
04.27.01:57 君とどこまでも |
今日は先生にあげるお菓子、大好きな桐木神楽堂の大福餅を買いに行った。
おさるのさんと私、いつも一緒。
なんだけど、
昨日はお天気だったので、干されていたおさるのさん。
給食帽子と一緒。
その間に時間を作って油津の祇園神社に行った。
ここはいつだって空気が冷たい。
夕方帰ると、おさるのさんがふっかふかになっていた。
まったくー、たまらん可愛い。
おさるのさんと私、いつも一緒。
なんだけど、
昨日はお天気だったので、干されていたおさるのさん。
給食帽子と一緒。
その間に時間を作って油津の祇園神社に行った。
ここはいつだって空気が冷たい。
夕方帰ると、おさるのさんがふっかふかになっていた。
まったくー、たまらん可愛い。
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04.19.00:23 悲しいほどお天気 |
宮崎港は空が広い。
周りに高い建物がない。
敷地も広い。
昼寝をするには抜群だ。
初めて一ツ葉にある憧れのイタリアンレストラン・キャンティに行ったつもりが、話に聞いていた雰囲気とどうも違う。
ちょっと頑張って行く場所だ、と聞いていたのに入口にデザートの写真入りポスターなど貼ってある。
中に入るとお薦めランチメニュー、なんてのがラミネートされて置いてあるし、待ち人数なんて書いたりした。
だいたい駐車場には車がたくさん停まっていたし、名物の「えらい変わったマスター」がしずしずとオーダーを取りに来て、ワインの話などしたりする、静かで美味しい高級イタリアンレストラン、という雰囲気ではない。
駐車場が満車になるような、待ち人数書くような、そんなにお客が押し寄せるようなレストランではないはずだった。
入口のドアを開けて「あれっ?」と思った私より、一緒に行ったNはそこにたくさんの思い出があったようで、随分とガッカリしていた。
建物は同じだけれど、内装も少し変わり、営業形態も別のお店に変わってた。
そういうの、気付くのってイヤだよね。
子どもの頃、ステーキといえば「ニューとん」というお店が市役所の側にあった。
宮崎でグルメを自負するならば、ここを知らなければモグリだと思っている。
めちゃめちゃ怖いオヤジと、優しい奥さんと、太った息子がいた。
メニューは3品。
とんかつ、ジャーマンステーキ、ステーキ。
ジャーマンステーキはハンバーグだったが、ハンバーグと言うと「これはジャーマンステーキだ」と怒られるらしかった。
ステーキは4cmぐらいの厚さのヒレステーキで、周りをベーコンで巻いてあった。
ソースが絶品だった。
ステーキを注文すると、まずスープが出て、その後に山盛りの千切りキャベツの乗った皿が出る。
料理を残すと叱られる、と聞いていたので、私は残さず食べた。
その店で作ってるらしい、とてもシンプルなお酢の効いたサラダドレッシングがとても美味しくて、少し大変だったけど平気で食べた。
父が肉の焼き具合をレアしか注文しない人だったので、私もそのまま食べた。
オヤジは私たちが食べてる間、サントリーローヤルを飲んでいた。
父にも飲め、と勧めていた。
そして私のことを、野菜も肉も残さず食べたこと、褒めてくれた。
帰り道、なんだかとても嬉しい気持ちで父を見上げたことを覚えている。
そんな思い出のニューとんは、もうない。
大切な思い出の場所は、無残な残骸が残るくらいなら、何もかも無くなったほうがいい。
今日はとても良いお天気で、ホントに良かった。
周りに高い建物がない。
敷地も広い。
昼寝をするには抜群だ。
初めて一ツ葉にある憧れのイタリアンレストラン・キャンティに行ったつもりが、話に聞いていた雰囲気とどうも違う。
ちょっと頑張って行く場所だ、と聞いていたのに入口にデザートの写真入りポスターなど貼ってある。
中に入るとお薦めランチメニュー、なんてのがラミネートされて置いてあるし、待ち人数なんて書いたりした。
だいたい駐車場には車がたくさん停まっていたし、名物の「えらい変わったマスター」がしずしずとオーダーを取りに来て、ワインの話などしたりする、静かで美味しい高級イタリアンレストラン、という雰囲気ではない。
駐車場が満車になるような、待ち人数書くような、そんなにお客が押し寄せるようなレストランではないはずだった。
入口のドアを開けて「あれっ?」と思った私より、一緒に行ったNはそこにたくさんの思い出があったようで、随分とガッカリしていた。
建物は同じだけれど、内装も少し変わり、営業形態も別のお店に変わってた。
そういうの、気付くのってイヤだよね。
子どもの頃、ステーキといえば「ニューとん」というお店が市役所の側にあった。
宮崎でグルメを自負するならば、ここを知らなければモグリだと思っている。
めちゃめちゃ怖いオヤジと、優しい奥さんと、太った息子がいた。
メニューは3品。
とんかつ、ジャーマンステーキ、ステーキ。
ジャーマンステーキはハンバーグだったが、ハンバーグと言うと「これはジャーマンステーキだ」と怒られるらしかった。
ステーキは4cmぐらいの厚さのヒレステーキで、周りをベーコンで巻いてあった。
ソースが絶品だった。
ステーキを注文すると、まずスープが出て、その後に山盛りの千切りキャベツの乗った皿が出る。
料理を残すと叱られる、と聞いていたので、私は残さず食べた。
その店で作ってるらしい、とてもシンプルなお酢の効いたサラダドレッシングがとても美味しくて、少し大変だったけど平気で食べた。
父が肉の焼き具合をレアしか注文しない人だったので、私もそのまま食べた。
オヤジは私たちが食べてる間、サントリーローヤルを飲んでいた。
父にも飲め、と勧めていた。
そして私のことを、野菜も肉も残さず食べたこと、褒めてくれた。
帰り道、なんだかとても嬉しい気持ちで父を見上げたことを覚えている。
そんな思い出のニューとんは、もうない。
大切な思い出の場所は、無残な残骸が残るくらいなら、何もかも無くなったほうがいい。
今日はとても良いお天気で、ホントに良かった。
04.17.00:37 おいてきたもの |
私の学生時代の成績表なんかを、母が大事~にしてくれている。
こないだ、私が東京で一年だけ通った、ある演技研究所のテキストが出てきたらしい。
わー、なつかしい。
基礎の基礎で「標準語のアクセント」とか「音声訓練とはなにか」とか。
全然覚えてないし、講師の似顔絵を落書きしているところを見ると、きっと授業を聞いてなかったんだと思う。
『外郎売り』なんて載っていて、
「再来週までに暗記」、とメモしてある。
覚えてないわぁ。
こんなもの、よく残してたなぁ。
こんなとき、母のことを有難いと思う。
9割9分は腹の立つことばかりだけど。
04.14.20:50 きょうの私に |
さよならしましょ。
今まで生きてきて、誰かのこと「この人は!」と思ったことはそれほど無い。
ここ5年ほどの間、私はそう思える人たちに出会った。
話をしていてとても楽しい、似たようなことに腹を立てて、共感しあえて、指摘しあって、ガハガハ笑えて、という友人が何人かいる。
皆、スマートな頭を持っている。
スマートだな、と感じる部分は知識があるとか計算ができるとか、そんなことではない。
素直さと、柔軟さ、だ。
彼らは何かを決めつけない。
自分の気持ちや立場などを考えず、とても公正な考え方をする。
だからきちんと批判もする。
彼らから得る知識を、私は心から信頼している。
そんな大切な友人のひとりが、今日、宮崎から完全に去ってしまうことになった。
彼女は医療従事者の立場で、医療と教育と福祉をつなげようとした人だが、そんなことは望んでいない行政から切られてしまった。
小児科医が足りない、足りない言ってるのに、ばかなことだ。
一緒にお昼を食べて、夕方、彼女が月に一度だけ仕事を許されている現場に行ってみた。
入所している子どもたちの、健康診断のようだった。
「この子たちはみんなそれぞれに個性があって、声のかけ方ひとつに好みがあるの」
そう言って笑ったが、私はそこにたどり着くまでの道のりに、ひどく驚いていた。
県社会福祉事業団の管轄である知的障害児施設。
そこの宿泊ができる棟には初めて入ったが、学園長が鍵を開け・閉めながら進んで行く姿に緊張しながら付いて行った。
薄暗く、お世辞にもきれいとは言えない、まるで肝試しのような場所の、鍵のかかる診察室に彼女はいた。
いつも通りの明るくて優しい笑顔に救われたが、あの建物の雰囲気に私は重く衝撃を受けていた。
心臓に鳥肌が立つような感覚だった。
診察室の空調は悪く、排泄物の臭いが漂っている。
表玄関とは大違いで、建物の奥へと進むにつれてその臭いは強くなっていった。
鍵のかかる廊下、知的障害児たちが思い思いに過ごす部屋、あの奥の棟で私は一日過ごすことはできないだろう。
あの場所で正常な意識を持った者が過ごすには、かなりのストレスを感じるはずだ。
ニュースでよく流れている福祉施設での入所者への虐待は、あのような環境から生まれるのかもしれない。
「人権擁護の推進」と経営方針に謳ってあるが、はたしてあの環境でそう言えるのだろうか。
彼女の雰囲気のおかげで、彼女の周りだけは日常的と言ってもよかった。
けれど空調の悪さで、相変わらず部屋の中は排泄物の臭いがしている。
こっつん、こっつん、
打たれる土は、
よい畑になって、
よい麦生むよ。
朝から晩まで、
踏まれる土は、
よい路になって、
車をとおすよ。
打たれぬ土は、
踏まれぬ土は、
要らない土か。
いえいえ、それは
名のない草の、
お宿をするよ。
『土』 金子みすゞ
誰もかれもが幸せになってほしい。
今まで生きてきて、誰かのこと「この人は!」と思ったことはそれほど無い。
ここ5年ほどの間、私はそう思える人たちに出会った。
話をしていてとても楽しい、似たようなことに腹を立てて、共感しあえて、指摘しあって、ガハガハ笑えて、という友人が何人かいる。
皆、スマートな頭を持っている。
スマートだな、と感じる部分は知識があるとか計算ができるとか、そんなことではない。
素直さと、柔軟さ、だ。
彼らは何かを決めつけない。
自分の気持ちや立場などを考えず、とても公正な考え方をする。
だからきちんと批判もする。
彼らから得る知識を、私は心から信頼している。
そんな大切な友人のひとりが、今日、宮崎から完全に去ってしまうことになった。
彼女は医療従事者の立場で、医療と教育と福祉をつなげようとした人だが、そんなことは望んでいない行政から切られてしまった。
小児科医が足りない、足りない言ってるのに、ばかなことだ。
一緒にお昼を食べて、夕方、彼女が月に一度だけ仕事を許されている現場に行ってみた。
入所している子どもたちの、健康診断のようだった。
「この子たちはみんなそれぞれに個性があって、声のかけ方ひとつに好みがあるの」
そう言って笑ったが、私はそこにたどり着くまでの道のりに、ひどく驚いていた。
県社会福祉事業団の管轄である知的障害児施設。
そこの宿泊ができる棟には初めて入ったが、学園長が鍵を開け・閉めながら進んで行く姿に緊張しながら付いて行った。
薄暗く、お世辞にもきれいとは言えない、まるで肝試しのような場所の、鍵のかかる診察室に彼女はいた。
いつも通りの明るくて優しい笑顔に救われたが、あの建物の雰囲気に私は重く衝撃を受けていた。
心臓に鳥肌が立つような感覚だった。
診察室の空調は悪く、排泄物の臭いが漂っている。
表玄関とは大違いで、建物の奥へと進むにつれてその臭いは強くなっていった。
鍵のかかる廊下、知的障害児たちが思い思いに過ごす部屋、あの奥の棟で私は一日過ごすことはできないだろう。
あの場所で正常な意識を持った者が過ごすには、かなりのストレスを感じるはずだ。
ニュースでよく流れている福祉施設での入所者への虐待は、あのような環境から生まれるのかもしれない。
「人権擁護の推進」と経営方針に謳ってあるが、はたしてあの環境でそう言えるのだろうか。
彼女の雰囲気のおかげで、彼女の周りだけは日常的と言ってもよかった。
けれど空調の悪さで、相変わらず部屋の中は排泄物の臭いがしている。
こっつん、こっつん、
打たれる土は、
よい畑になって、
よい麦生むよ。
朝から晩まで、
踏まれる土は、
よい路になって、
車をとおすよ。
打たれぬ土は、
踏まれぬ土は、
要らない土か。
いえいえ、それは
名のない草の、
お宿をするよ。
『土』 金子みすゞ
誰もかれもが幸せになってほしい。
04.13.23:37 不条理だらけ |