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02.19.10:44

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  • 02/19/10:44

02.27.22:38

しまんちゅぬたから

2009年度に宮崎県内で閉校、または休校になる小中学校が20何校あるとか。
そのうちの1校で、児童減少のために休校になる串間市築島の市木小学校築島分校。
今日はその築島分校の75周年式典を兼ねた休校式の写真を撮りに行ってきた。

tsukishima1.jpg南郷町道の駅から少し南へ行った舳(へた)漁港から漁船に乗る。
漁船に乗ったのは初めてだったし、今日はずいぶん波が高くて心配だったが、お~揺れる揺れる~♪と写真を撮ってるうちに着いてしまった。
そりゃそうだ、目の前だもん。
遠ざかっていくへた漁港と、漁船がつくる波しぶきには演歌の心を感じたぞ。

多分自転車は一台もないはずの、すごい坂道を歩いていくと「集会所」と呼ばれている場所が体育館を兼ねていて式典の準備がされてある。
すぐ隣は島人のお墓になっているが、景色に溶け込みすぎていて、おはか~という感じがしない。
今日は島をあげての式典ということもあってか、10基ほどのお墓全部に綺麗なお花が入っていた。
名前は「築島」さんか「近藤」さんのみ。

tsukishima3.jpg集会所から、坂道をちょっぴり上がると校舎がある。
私が通っていた幼稚園を思い出させるようなたたずまい。
そこでは分校の生徒たち3人が出迎えてくれたが、とっても可愛い。
3・4・5年生の女の子たち。
今日は主役だね!

集会所から港の方には、小さな祠がふたつある。
山の神さまと海の神さまらしい。
こんにちはと挨拶してきた。

式典には串間市長なんかが見えていたので、来賓あいさつなんかがダルイなぁと思っていたが、そのあとは全て子どもたちや島民が主になった構成だったので、他人事だというのに感動して泣いてしまった。
tsukishima4.jpgこの学校が、島の核になっていたんだなぁと思った。
子どもたちや、赴任してくる先生たちの存在が、島民たちの刺激になり、生活の一部になっていたことがよくわかる。
なんてったって島民約40人。
分校のある島の西側に家は全戸建っている。
せっかくだから一周しようと思ったが、半分から先は、けもの道しかなかった・・・・・・・

3人とも元気だけどおっとりとした、可愛い女の子たち。
外に出るのが少し早まったけど、きっと楽しいはず。
そのまま築島に残る子はひとりだけど、まだ小さい妹が小学生になるときには、また分校が再開するといいね。
その可能性は限りなくゼロに近いけれど、あの可愛い校舎で勉強していた3人が、あまりに可愛いくて聡明だったので、島や彼女たちの未来がどうか明るいように、と、つい願ってしまった。
tsukishima7.jpg

 

分校の全景





tsukishima5.jpg

マンホールのふたには地域性が出ていて面白いんだな。







tsukishima6.jpg築島港がむこーうに見える










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02.25.23:27

闇を愛し自慰する

おかえり  

ゆうべ子に「死ね」といわれたきっかけは思い出せぬが弁当をつくる

「おかえり」と背中に声をかけている背中を向けたままのわたしが

校長に手紙を書けば教頭が電話をくれた 会社みたいだ

十年と少し前まで二人子と来た公園に雨降るばかり

「お母さんのようにはならん」十七の頃の私の声もかさなる

森川菜月
http://kohitoblog.jugem.jp/

2009年のみやざき文学賞の短歌部門で入賞した作品。
みやざき文学賞入賞作品集を読んだ中で、一番印象的だったのが彼女の作品だった。
特にお弁当をつくる歌。

授賞式に行く機会があり、ならば絶対に彼女には会いたい、と決心して声をかけた私に、歌集の二作目が出来ましたから、と言って律義に送って下さった。
ちゃんとお礼をしなければー、と思いながら2月が終わろうとしている。
おまけにいつまでも上手く感想を伝えられずにいる。
すみません・・・・


闇を愛し自慰するという歌を知る わたしはまひる君を忘れる
                『空は卑怯だ』森川菜月歌集 第二章 うさぎのせいで~残像『望郷篇』~


a0011962_19271158.jpg闇を愛し自慰する、という歌を私は知らないが、歌集の中で一番気持ちに入ってきた歌。
言葉と違って少しも色っぽくはないけれど、これは文章を作っているときの私だ。
文章をつくるということは、自分自身と向き合うことだと思う。
表現するということは、自分自身を外にさらすことだと思う。
向き合ってさらす行為は、闇を愛して自慰する、言葉そのものだ。
今こうして文章をつくっている。
打って消して探して打って、この7行を作るのに1時間かかってしまった。
たった1行だけでも私の言葉は大切にしたい。
文章をつくるという行為を、こうして森川さんの歌にこじつけてしまう私は、かなり自己満足の世界に生きている。


きっと君に殺されようと決めており袖看板の陰に待つとき
        『空は卑怯だ』第二章 うさぎのせいで~うさぎのせいで~


歩道には煙草くゆらす老婆いてこの決心を話したくなる
        『空は卑怯だ』第三章 窒息仮死~くもり硝子~


恋の絶頂の頃、抱き合ったまま死にたい、とどんなに祈っただろう。
恋が終わった頃、あんなやつ死ねばいい、とどんなに願ったことだろう。
その人が死んだなら、私もどこかで死ねればいい、そうどれほど願ったことか。
殺してほしいと願っても、決して殺してくれない君だから、その人は袖看板の陰で待つのかもしれない。
周りとは、少し距離を置いているように見える老婆には話せるかも、と思える決心は、きっといくつものあきらめや、失望の中から見つけたもの。
終わりながら続ける未来。
真っ直ぐ歩き続けるための、折れそうな希望。

森川さんの歌には、どこか人としての揺れがあるから好き。
確信していても頼りない。
正直に揺らいでみせるから惹かれてる。
覚和歌子さんの「ゼロになるからだ」以降、久しぶりに誰かの言葉にびっくりした。

02.22.10:04

外を見てみる

chinpanji2.jpg慣れたくないのは虐待による子どもの死、というニュース。
どうしてそうしてしまうんだろう。
叩く手も蹴る足だって痛いだろうに。
被害者が、乳児だ3歳だと聞く度にいたたまれない。
彼らが最後に見たものは何だったんだろう?

私は子ども好きではない。
大人好きでもないので、相手が子どもだろうと大人だろうと、接し方はいたって普通だと思う。

自分の子どもでなくても食事の仕方が汚いと(机にひざをつけてたり、口を開けたまま物を噛むとか、汁ものをよそ見しながら飲んでるとか、ご飯を食べるのに茶碗を持ってないとか、洋食じゃないのに左手を下に置いたまま食べるとか・・・・・・・・・うるせーおばちゃんだなぁ(^^ゞ)注意する。
身内なら余計に注意する。

だけど、叩いたりはしない。
つねったりもしない。
縛ったりなんてしない。
熱湯をかけたり、石を投げたり、寒い夜に外に出したり、食事を食べさせないなんてしない。
動物にだってそんなことしない。
体で覚えるのは、スポーツだ。
あいさつや、食事の仕方や、生き方は、体で仕込まれるものではない。

chinpanji.jpg日曜日、青さんちのまあくんが通っている福祉施設「まごころ園」で、ダウン症の人たちがまごころ園の肢体不自由児たちに音楽療法のお手伝いをする、というイベントを見学した。
ダウン症の特性は、おとなしく、陽気で優しい、と聞いているが、そんなことは関係なく、自分たちが出来ることで出来ない人をサポートする、という、いたって普通のことをやっていた。
そういう仕事の体制が整って、社会的に認知されるといいなぁと感じた。
彼らに出来ること、社会的な役割があると判れば、彼らの親たちも安心だろうと思った。

ただ、そんな幸せな空気のある場所にいる子たち、親たちばかりではない。
人々が十人十色であるように、ダウン症も肢体不自由児も、親たちも幅広い。
音楽療法を見学しながら、この場所に来ることのない人たちもいるだろうことを思った。
そして、今、こうしながらもどこかで誰かが苦しんでいることを。

周りを変えようなんておこがましいし、苦しんでいる誰かを助けることもできないから、私は自分の子どもを精一杯愛する。
私たちは生まれてきたのだから、きれいだねぇ、嬉しいねぇ、楽しいねぇ、と笑っていられるように。

02.21.08:44

若松孝二監督

ベルリン国際映画祭で寺島しのぶが最優秀女優賞を受賞。
おめでとうございます。

若松孝二監督の「キャタピラー」。
江戸川乱歩の「芋虫」を思わせます。
公式サイト。
http://www.wakamatsukoji.org/top.html

3時間をあっという間に見せた「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」。
狂っていく坂井真紀が誰よりも怖かったことを思い出します。
http://45style.blog.shinobi.jp/Entry/21/
このときには、まだこの程度しか感じることができなかった私。
もう一度観てみたいです。

改めて若松監督の作品を検索してみると、またこれが面白すぎる。
たしか、S会長かK教授が興奮して話していたような気がする。
ATGとかロマンポルノのこてこてしてた力に溢れる邦画の匂いがする。
決して儲からないが、主張に溢れた。
スチールを観ただけでもミヒャエル・ハネケとかミケランジェロ・アントニオーニ(観たことないけど)とか、スタンリー・キューブリックとか、なんかそんな感じ、どんな感じだ!
jitsuroku.jpg








02.21.00:48

約束

今日、チンゲン菜と大根とじゃがいもを植えたから、できたら持って行くね、とメールをもらった。
その人のことが私は大好きなので、その時まで、また会えるんだなぁ、嬉しいなぁと思った。

馬鹿に正直なところがあるので、誰かとお別れするとき「いつか、また」という言い方は苦手だ。
そのあとに続くはずの言葉を(会おう・会いたいね)、そんな相手にさらさら感じないから。
もう会う気がないなら、はっきりと「さよなら」と言うし、必要ないからアドレスに残したりもしない。
それは一度は仲良くなった相手への、礼儀だと思っている。
もし、また仲良くなる可能性が残っているなら、私は決して自分からさよならは言わない。

さりげなく、毎日なにかしらの未来への約束をする。
いったい、どれだけの人がそれらを心に留めておけるだろう。
見て見ぬふりして過ごすこともあるだろう。
いつかそこに言いわけしなくてすむように、できない約束はしない。
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