忍者ブログ

45style book Get real

広くて浅い頭で素直に頑張ります。
RECENT ENTRY RECENT COMMENT
[09/24 your eyes only]
[09/24 your eyes only]
[07/24 only your eyes]
[06/13 harupy-15]
[06/07 岡山のTOM]

02.22.17:29

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • 02/22/17:29

01.21.18:56

男を感じるとき

kobayashi.jpg先日、私を阪神ファンにした小林繁が亡くなった。
幼い頃、近所のホテルがキャンプ宿舎だった巨人の選手たちが、オフの日には私の生家にアーチェリーを楽しみに来ていたので、必然的に私も巨人ファンだった。

なんだけど、そんな子どもだった私でも、何で巨人はこんな騒ぎを起こしてまで江川投手を欲しがるんだ!小林はエースやろ!何で阪神に出すんだー!
そう思った。
その後、阪神VS巨人を否が応でも注目していたが、小林が登板したときは特にドキドキして観た。
家族皆が巨人ファン、そんな中で、いけない!いけない!と思いつつ、だんだんと小林を好きになっていく気持ちが止められなかった・・・・・・・

格好良い。

巨人のエースなのに、実力があるにせよ、プロとしてはまだ海のものとも山のものとも判らない若者のために阪神へ行った小林。
憤りや怒りを、彼は言葉にせず、ただ、巨人戦への気迫と結果でみせた。
生身の人間に、生まれて初めて「男」を感じた。

それまでの私といえば、「男」といえば『あしたのジョー』の矢吹丈か、『愛と誠』の太賀誠だった。
その気持ちは今でも変わらない。

悪の花園(実業高校)の女番長・高原由紀率いるスケバングループにつかまり、リンチを受けている太賀誠と早乙女aitomakoto.jpg愛。
鉄棒に縛られ、裸の上半身をムチで叩かれ、その上に塩をまかれ、なお叩かれる。
愛と代わってくれ、そう言えばリンチを止めてやる、由紀が言う。
「もう止めて!」何度も愛は泣き叫び、スケバンたちから殴られる。
そのとき、ちょっと待て、誠が言う。
愛は、「いいのよ、誠さん、喜んで身代りになるわ」そう心に決める。ニヤリとする由紀。

「よく考えやがるな。ムチで叩かれた上に塩なんて振られ、それだけでも気絶するほど痛いのに、なおムチの雨が降ればさすがに俺だって痛いと叫ぶ。
俺の悲鳴を聞くと、愛お嬢さんが泣き叫びなさる。綺麗な心とやらが痛みなさる。
だから、頼む。
俺の悲鳴が聞こえねえぐらい遠くへ、彼女を連れてってくれ」

その言葉を聞いたとき、ふたりの女は感動し、同時に、誠を心から愛するのだった。
おまけに私も。。。。
このエピソードは以前も紹介した。

『愛と誠』に登場する「男」は、新宿緋桜団の砂土谷峻以外は、かなり男らしい。
ウラナリの岩清水弘も、「早乙女愛よ、岩清水弘は、君のためなら死ねる」という名せりふのもと、名門・青葉台から、悪の花園に愛を守るために転校し、高所恐怖症にも関わらず校舎から吊るされる、というリンチにも耐える。
愛から借りたハンカチを、口元に当てながら。

影の校長・座王権太は、誠を愛してしまい自殺未遂をし、顔に傷を負った高原由紀に非情さが失われた、とスケバングループの仲間からストリップのリンチを受けている中、助けに入る。
新宿緋桜団の後ろ盾をもらい、権太と由紀に反旗を翻した花園の生徒たちにいたぶられながらも必死に。

「こんな顔になってしまった私は、権太が愛した自分ではない、だからほっておいて」
そう告げる由紀に、大丈夫だ、と言い、自分の顔に硫酸をかける。
こうすれば他のヤツラはどうでも、自分の前なら顔のことを気にせずにすむだろう、と。

『愛と誠』に登場する彼らに流れるのは、損得なしの潔さ。
このマンガが週刊少年マガジンに連載されていたのが、私が小学校5,6年生の頃。

小林繁が阪神にトレードされたのが、ちょうどその頃だった。
むさぼるように読んでいた『愛と誠』の世界を、小林繁に見た、12歳の私がいた。

オタクや・・・・

でも、小林繁を語るときには、今でも泣きながら話します。だから、めったに話しません・・・・


PR

01.13.22:53

アバター ~映画~

avatar.jpg期待していたわけではないが、少しは「おお♪」と思うような部分があるかもしれない、と思って観たがやはり無かった。
正直全然面白くなかった。
物語の流れは、ディズニーチャンネルあたりで放映されている番組程度で。

少し期待したのは、予告を観たとき、主人公がアバターにリンクする前の姿が車イスの足が不自由な人だったから。
主人公が人間よりも動物的で、自由に動くことができるアバターにリンクしたときの心情や、葛藤といった深みがあるかな?と思った。

初めてアバターにリンクしたシーンでは地面を踏みしめる足が強調されていたし、自由に動く足に彼自身も嬉しそうに見つめていたりはした。
でも、そこまで。。。だったように思う。
というのが、あまりにも物語が薄くて退屈で眠ってしまったので、わからないんだな。

映像も、実は3Dでは観ていないのでわからない。
だから映像についてどうのこうのも言えない。
3Dを観なかったのは、短時間ならあの眼鏡をかけて画面を観るのもいいけれど、2時間もはダルイなぁと思ったから。
それに飛び出す映像に、私はそれほど魅力を感じないし興味ない。

ということで面白く観ることができなかった「アバター」だったが、映像を楽しむ作品なんだ、ということでいいわね。
エンターティメントじゃない、これは遊園地のアトラクションだわ、と思ったが、そういえば昔観た「大地震」では、地震のシーンでは観客のイスがぶるぶる・・・と震えるおまけがあった。
物語や画面以外の演出で観客を楽しませる、という試みが昔もあったなぁ、と思い出し、ま、そういうことで、と良しとしとこう。

01.09.17:08

寅まつり

虎年にちなみ、劇場で4本寅さんシリーズが上映。
「男はつらいよ」「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」「男はつらいよ 噂の寅次郎」「男はつらいよ 寅次郎の青春」
寅さんシリーズは新しくなるにつれ面白くないので、宮崎ロケの「寅次郎の青春」はスルーしたが、残りの3本、これは劇場側のチョイスにお見事でした!と言ってしまおう・・・・それとも、寅さんを劇場でちゃんと観ていなかった私が、ビデオやテレビ以外で初めてしっかり観たから気付いたこと?
ストーリーの流れがパターン化されているのはそのままでも、3本それぞれの雰囲気が違う。
改めて劇場で観て、その点には驚いた。

torasan2.jpg「男はつらいよ」
劇場版第一作目。
倍賞千恵子がめちゃめちゃ可愛い!
マドンナは光本幸子。
緒川たまきを少しシャープにしたような顔、初めて知った女優さんでしたが、綺麗だった・・・・。
それも御前様の娘とは!娘がいたのも知らなかったし、おまけに、写真を撮るときに「バター」と言う掛け声は、寅さんが最初だと思っていたけど、御前様だったことが判明。
集合写真を撮るときには私も必ずそう声掛けますが、たいてい「はぁ?」という顔をされるので覚悟して言いましょう。

物語は20年ぶりに葛飾柴又に帰ってきた寅さんが、妹さくらの縁談をまずはぶち壊し、裏の印刷工場で働く宏との間を図らずも取りもってしまう・・・というもの。
舎弟のノボルはこの頃から舎弟だったのですね。
ドタバタしながらも、「おれがイモ食べてお前のケツから屁は出ない」という自分の気持ちは自分だけのものだ、という寅さん語録や、宏のさくらへの愛の告白、結婚式での志村喬のスピーチなど、セリフが良い。
またラスト、遠巻きのカメラが映す寅さんとさくらの姿。
「お兄ちゃん、帰るとこないじゃないっ(「行くとこ」だったかなぁ)!」と寅さんの背中に叫ぶさくらに、少し振りむき、ちょっと手を上げて去っていく寅さんの後姿には胸がぎゅ~っとなった。
そのシーンは青さんが「シェーン・カムバーック」なんだ、と言っていたけど、確かにそう。

torasan1.jpg「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」
11作目。
マドンナは浅丘ルリ子。
でました!リリーさん。
まずは柴又に帰ってきた寅さんの、さくらがピアノ欲しい事件で、自慢気におもちゃのピアノを買ってきてタコ社長に馬鹿にされて再び出て行く、というエピソードで始まります。
ホントに初期の寅さんの笑いはテンポが良くて最高!
北海道でも行きたいなぁ・・・・と宏が寝転がっていると、寅さんはその北海道に行っている。
笑ってしまうのが、北海道の景色BGMが何故かクラシック。
綾香ぽんのお陰で私も知っていたシェヘラザード。

ドサ回りの歌手・松岡リリーはこの後、3作ほど寅さんシリーズに登場する名物マドンナなので、私は彼女と寅さんは実は大恋愛をするのかと思っていた。
が、そうではなく、彼女に対しては寅さん、親友や同志、または兄妹のようなすごく身近な感覚を持っていたのですね。
商売の途中でリリーさんに声を掛けられ、彼女を見たときの寅さんの目は、恋を予感させるものではなく、とても近い、懐かしいものを見つけた、という目。
渥美清の、この演技は拍手もの。
二人、港に立っている後ろ姿で、堅気じゃない根なし草の似た者同士、という雰囲気を綺麗に表わしている。
同じ根なし草でも、柴又という愛している故郷があり、家族がいる寅さんが、母親との縁の薄いリリーさんに同情する心情が切ない。

私が子どもの頃、隣に雀荘があり、順番待ちの時間に我が家に出入りしていた水商売の彼ら彼女らを思い出した。
可愛がってくれていたソープ嬢のカオルちゃんから香っていた石鹸や香水の匂いや、おこづかい、と言って財布から出すお札の感触。

もうひとつ、コピーが良い!

ほら、
逢ってるときは何とも思わねぇけど
別れた後で妙に思い出すひとがいますね。
そういう女でしたよ、あれは・・・・

この作品には笑いの中にも大人の雰囲気と、少し特殊な感覚があった。


浅丘ルリ子はペネロペ・クルスのよう・・・
なんなんだ、あの妖しさ、手を伸ばしてあげたくなる儚さ。
目だけギョロギョロした、ただのガリガリのオバサンだと思っていたけど、あの匂いには気付けて良かった。


torasan3.jpg「男はつらいよ 噂の寅次郎」
シリーズ22作目
マドンナは大原麗子。

まずは隣の墓参り事件から、再び旅に出た寅さんは宏の父親と旅先で偶然再会。
「今昔物語」を教えてもらい、人生の無常に感銘した寅さんは虎屋の面々に話して聞かせる。
修行だと言って再び旅に出ようとした矢先、離婚して友人宅にやっかいになっている大原麗子が、とりあえずの仕事として決めた虎屋へやってくる。
美人を見た寅さんは行くに行けなくなり、急にお腹が痛いと言いだし、そのまま居座る。

笑いどころがかなり冴えている。
しかし、奇をてらった笑いではない。
確かに自分ちの隣のお墓に気付かず参るのはありえないけれど、寅さんならありえる!と私たちが普通に受け入れてしまうところがこのシリーズの面白さ。
ワンパターンな流れの妙、寅さんというキャラクターと渥美清という俳優のなせる技が、もうひとつ、ラストの大原麗子との会話にある。

憎からず思っている男を追おうとする彼女が、寅さんに「寅さん、私ね・・・」と何か言いかける。
「おう!明日聞くからなっ、明日な!」
寅さんはそう言って、早く行けと促す。
しかし、明日はない。
振られたことに気付いた寅さんは、もう虎屋を出て行くから。

邦画の伝統がそうなのか、それとも喜劇役者がそうなのか、普通の可笑しさの中にどこか救われない寂しさが常にあって、それは働いても働いても上流にはほど遠い庶民の暮らしとか、まともな暮らしができない自由人だからとか、そんな自由人を馬鹿にしながらも憧れてしまう気持ちとか、そんな空気が流れているからだろうか。
しっかりと観よう!と思って映画館で観た3本の寅さん。
これは誇れる!



01.07.12:06

映画を観る

新しい年になり、毎日寒い日が続く。
それでもトラ年ということで、宮崎キネマ館では1週間限定で寅さん映画を4本上映している。
昨日まででようやく2本観たが、どちらも面白かった。
感想はのちほど。

観た後に「貴女は映画に何を求めているの?貴女にとって映画って何?」と尋ねられた。
なんだ?その質問。
考えたこともなかったから戸惑った。
上手く言葉にできず、悔しいので少し考えて、メールしたのがコレ↓

「とある件で映画観るのも馬鹿馬鹿しくなってた頃に観た「パンズラビリンス」は、とても残酷なファンタジーでしたが、主人公と妙に(私を)リンクさせてしまい、ラストの小さな木の芽に私の気持ちの何もかもが救われました。

「ガマの油」は(自分にとって)気休めでも独りよがりでも、弟もあんな風にどこかで笑っているかも?と思わせてくれた。

「空気人形」は私たちに、生きて、捨てられ死ぬことは、虚ろでも淋しいままでも、そのままでいい、美しい、と優しい風を送ってくれた。

文学や絵画や音楽、ファッションを含む映画は、総合芸術なので、私たちに何かを訴えるツールとしては究極ですね。
それも娯楽という形をとっているので堅苦しくなく、身近。
たまに映画を芸術である、と言う人もいるけれど、私はあくまでも娯楽だと思っています。

で、そういうことなんです。
たとえ(観終わって)暗い気持ちになっても、私は映画を観て、面白いから観る。
同じ作品を観た誰かと、あの時の、あの顔がいいね、素敵だったねなんて話すのが嬉しいんです。
経験したことより深い感動は(映画には)ありませんが、心の中の引き出しを開ける鍵になります。
その鍵は、たまに、死んでしまいたいと思うほどの傷をも、癒す薬を見つけてくれます」

小さい頃から私の日常には映画館に行く、という行為があった。
それはテレビを観ることと同じくらい普通に。
私の祖父や両親の世代にはまだ、娯楽=映画、という気持ちがあったからか、
「ニューシネマパラダイス」に出てくるような、雑然とした映画館でざわざわと観客がごった返しながら映画を楽しむことが、子どもの私には普通だった。
もちろん、今のように映画が始まる前に、禁煙です!携帯切れ!とか、ポップコーン飛ばすな!とか、話するな!なんて画面から注意されることもなかった。
また、夜11時すぎるから子どもは来ちゃダメ!なんて言われることもなかった。
煙草臭い館内、ポテトチップはここでだけ食べられる、夜でも親と行ける、そしてうるさい客がいたら父が怒鳴る、それが私にとっては映画だった。

映画は猥雑な娯楽、決してお行儀のよいものではなく。
子どもで意味が判らなくても、その時の記憶はどこかにあって、
そしていつか何かの拍子にポコッと表れる。
または、いくつかの経験を経て、忘れていた記憶を呼び覚ましてくれる。
気持ち良くなったり、落ち込んだり、気付いたり、歳を重ねるにつれ自分自身と向き合う道具にもなっていく。
文句なし素敵なものなのです。

で、四の五の言うなっ!
好きだから観る。
それだけでまた、今年もどんな作品に会えるのか楽しみです!

12.31.01:51

誕生 

2009年も今日でおしまい。
とても当たり前で、だけど気付かなかったことに気付いた。
私たちはいつだって、何かを失いながら与えられていること。
そうして生きていること。

<<< PREV     NEXT >>>