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45style book Get real

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02.25.05:44

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  • 02/25/05:44

08.01.17:31

だからここにいるんだ



たぶん作詞・阿久 悠 作曲・筒美京平の曲では一番好き。
このふたりの楽曲には確かに名曲が多い。
情景がきれいに浮かぶ。
とてもきれい、ほんとに。
今は夏、だからかもしれない。

loveis.jpg私のマイラブに、高学歴なのに私からみたら上手にそれを使いこなせてない人、について話していたら、その人だって45さんだって始まりはそう大差ないのに、今はそれだけの違いになってる、ということは、お互いがそれぞれに仕方なく選択したものがあったとしても自分自身で選んで生きてきた結果なんだから、羨ましいとか言ってるヒマがあればそうなれるように努力したほうがマシ、と、ダイナマイト関西のスプラッシュ・マウンテンと、長与千種のスーパーフリークで叩きのめされた感じで、立ち上がることが出来なかった。
正論だ・・・・さすがはマイラブ。
けど、正論って、あとから考えるとなーんか悔しいんだよね。

他人や私のそんな正論以外の気持ちのブレ、がすごく好き。
ネガティヴというのとは違う、「本音」だ。
感情にまかせて泣きわめいて暴れることはしないけど、許される限りの本音は口に出しているつもり。
羨ましいといえばそれが羨ましい、とその人は言う。
しかし、私はその聡明で嘘つきな唇を愛している。
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08.01.01:45

峰不二子とわたしの違い

kamo1.jpg学生の頃からスクーターやバイクは憧れで、近所の新聞販売所でバイトしてる同級生に頼んで配達バイクを借りて、友達を後ろに乗せて堤防を走ったことがある。
とにかく昔から、道路をバイクで走るのがこわい。

今日は県北の北方から五ヶ瀬まで、車で走ってきた。
北方のゴルフ場で、そこに住みついているカルガモをフロントの人と一緒に探して追いかけてきた。

「おねえさん、やせてますね。食べても太れない体質でしょ?」
「おねえさん、たいていここのスタート地点にいるんですけどね」
おねえさん、おねえさんウルサイ!
そんなにあんたと歳は変わらん!私のことはどうでもいいから早くカモ見つけやがれ、と思っていると、いた。
人口池の近くで見つけて写真を撮って、グリーンキーパーの人が毎朝エサをあげてるそうで、野生なのに人慣れしている。
近づくとカモの臭いがした。
あたりまえだけど・・・

そんなしてると、延岡の方で個人的な用事をすませて五ヶ瀬まで行くのに、少し道に迷ってしまった。
延岡市内はいつもどこかで大きな工事をしている印象がある。
だからどうも走りづらい。
市内をぐるぐるまわったので、延岡市内から高千穂・五ヶ瀬に行くルートだけは地元民ぐらい把握したと思う!
国道10号線から国道218号線を目指せばいいわけだ・・・川が二本だろうが、橋がたくさんあろうが、もう間違わないっ!

glass.jpgで、バイクである。
今日のように、狭い町をウロウロ迷ったときに、横をスイスイすり抜けていくバイクのなんと自由なこと。。。
面白いお友だちがスズキのグラストラッカーというバイクに乗っていて、先日、その年期の入った格好可愛いバイクを見せてくれた。
素敵だ。
こんなのに乗って、私もひとり旅に出てみたい。
そこで思い出すのが峰不二子。
彼女が黒のつなぎでハーレーに乗って夕日の中を走っている姿は、それはそれは美しい。
grasstracker-white08.jpgが、しかし・・・・・

峰不二子のモデルになったマリアンヌ・フェイスフル。
「あの胸にもういちど」という映画。
早朝、夫のいるベッドから抜け出し、全裸に革のつなぎをまとい、ハーレーにまたがって恋人であるアラン・ドロンに会いにいく。
その道々、彼に会い、キスして抱き合って、つなぎのジッパーをおろされ・・・・そんな想像をしながら走り、そして事故に遭い、死ぬ。
切ない話だった。

そのマリアンヌ・フェイスフルは私と、そう身長はかわらない。
むしろ小さいはず。
が、しかし・・・・

その両者と私との違いは胸だ。
顔はバッチリ化粧すれば峰不二子にだって、若いころのマリアンヌ・フェイスフルにだってなれる!はず。
しかし、胸だけは無理。
それに、ハーレーなど、きっと私が押しても引いてもびくともしないだろう。
一緒に倒れた日には、対向車にぶつからなくても、私はバイクの下敷きになって死ぬだろう。

mari5.jpg45さん、バイク事故で死んだらしいよ。。。。。というのが密かな憧れなのに、それが単にバイクを起こせず下敷きになって死んだ、では恥ずかしすぎる。
グラストラッカーも、きっと押せない。
やはり、私はおとなしく自転車に乗るほうが良いのかもしれない。

五ヶ瀬までの道のりで、ひとり、女性が格好よく大きなバイクで走っている姿を見て、スーパーカブぐらいには乗れたほうがいいかなぁ・・・と思いながら、憧れは憧れのままにしといたほうがいいこともある、と納得した。
 

07.31.01:06

いぬのえいが

hachi.jpg来週末に公開の「HACHI 約束の犬」。
予告を観る度、公式HPの解説や物語を読む度、涙している。

生まれたときから側には必ず犬がいた。
生家の軒下で、放し飼いしていた母犬が子どもを産んだ。
軒下を這いながら子犬を追いかけた記憶が、きっと私の一番古い記憶だ。
そのうちの一匹のメス犬が母の実家にもらわれていき、チルという名前をつけられた。
チルは、私が遊びに行くたびにそれはそれは喜んで迎えてくれ、その喜びようは怖いほどだったので、幼かった私は、チルを祖父に押えてもらわないと家に入ることができなかった。

私が子供の頃、というのは、飼い犬であってもほとんどが放し飼いだった気がする。
チルも首輪をつけて放し飼いされていた。
母の実家と私の生家は歩いて5分ぐらいの距離だったので、そのうちチルは遊びに来た私について、私の生家までやってくるようになった。
最初の頃は、私を送るとちゃんと母宅に帰っていたが、そのうち帰らなくなり、結局住みついてしまった。
生家には元気なスコッチテリアのブラック♀がいたが、彼女たちはけっこう仲良くやっていた。
ブラックは自由に動き回れるチルが羨ましいようだった。
ブラックには家があり、家のない居候のチルはブラックの家の側で休んでいたけれど、それでも私や父の姿が見えるとぴゅーっと走って行くチルは、ブラックにしてみたら羨ましい存在だったようだ。

hachi1.jpgチルはなんだかわからない中型犬の雑種。
ブラックは由緒正しいスコッチテリア。
2匹と散歩すると、チルはまるでブラックのお付きのもの、のようだった。

リチャード・ギアの「Hachi~♪」と呼ぶセリフに違和感を覚えながらも、しょっちゅう観ているとすっかり耳について慣れてしまった。
物語は知っているので、あの可愛いハチが死ぬとわかっているのに観に行きたくない。
娘が行きたい、と言うだろうが、なるべく私はスルーしたい。
最初から最後まで、目を腫らしながら泣いている自分がわかるから。

犬の映画には弱い・・・
そんな私を唯一、犬で泣かさなかった監督は、犬童一心だけだ。
褒めているのではない。
inunoeiga.jpg「ジョゼ~」ですら、う~~~~ん・・・と感じたので、私と彼は合わないんだと思う。
その後の作品も観ているが、どれも良いと思えない。
去年の「グーグーだって猫である」なんか、最低だった。
犬についてのオムニバス「いぬのえいが」では、彼のエピソードだけはあまりに嘘くさくて腹が立った。
最後の「ねえ、マリモ」これは宮崎あおいちゃんのナレーションだけで泣けたというのに。。。。。

ということで、結局私は観に行くんだろうなぁー・・・アメリカのハチ公物語。
ああ・・・憧れの秋田犬・・・・・子犬時代は柴犬だけど・・・可愛すぎ。

07.30.01:32

あついところは見せてやらない

9songs.jpg映画という、ジャンルについて。
文字であらわす小説とは違い、映画は視覚と聴覚を刺激して何かを伝える。
小説と映画の共通点というと、視覚や聴覚を越えたシックスセンスで感じる部分がある、ということだろうか。
それは極個人的な思い出(そこには触感、嗅覚なども含まれるだろう)から得られるものなので、小説や映画の評価がひとりひとり違うのは、その部分が大いに関係すると思う。

ずっと以前にある人から感想を求められたけど観てなかった「9songs」という作品がある。
それは付き合っている男女が普通に付き合って、そして時がきて別れる、という話だが、作品の内容としてはお気に入りのライブへ行き、セックスし、そしてまたライブへ行き、セックスし・・・という9つのライブを絡めた流れで一時間程度の作品のほとんどがセックスシーンという、実に困った映画。
監督は「CODE46」「マイティ・ハート」のマイケル・ウィンターボトム。

冒頭、南極探査に訪れている主人公の「彼女の思い出は服装などではなく、匂いと味」というセリフがある。
確かにそうだと思う。
そして結局はそれがこの作品のテーマなんだと思った。
なんというか、一時間ずっとそんな男女の絡みを観ていると、興奮するために観てるわけじゃないので困る。
困るし、滑稽にも思えてくる。
滑稽に思えてくると、あんなに愛し合ったのに、ひとつになりたがったのに、どうしたって私たちはひとりずつでしかない、ということを感じて馬鹿馬鹿しくなった。
もしかすると、それも裏テーマなのかもしれない。
単に、全裸で本番のセックスシーンも厭わない俳優たちがいたから、じゃあやってみよう!みたいな実験的な気持ちだけなのかもしれない。
そこは私の感覚として感じたものではなく、作り手側だったら?という想像からくる感想。
演出の好みとして言えば、どんなに重要なシーンだとしてもせいぜいセックスシーンは2つか3つでいい。

去年、大人気だった「ラスト、コーション」は女の子が敵の男を欺きながら抱かれる、というシチュエーションが作品中重要な部分だったので、濃厚なシーンでも納得する。
作品自体は、周りが言うほど絶賛はできなかったけど。

映画も小説も、どんなにノンフィクションを謳っても、ドキュメンタリーだとしても作り手がいる以上はフィクションだと思う。
ドキュメンタリーをそのまま信じてしまう素直さは私にはない。
私たちの現実は小説より奇なり。
だからこそ束の間、空想の世界に浸って遊ぶか、思い出の扉を開けるためのツールとして映画や小説はあるのかもしれない。

07.29.23:59

食べたい

vietonum.jpg突然ですがエスニックが好き。
ものすごい香辛料とわけのわからない葉っぱの入ったカレーとか、ナンプラーの臭い漂うスープとか、お米の麺で作ったヤキソバとか、酸っぱ甘いそれらの料理が急ーに無性に食べたくなる。
エスニックは香辛料が大量に使われてるからお腹に合わないとか、そういう話も聞くが、私はダメだったことがない。
きっと、この急に無性に、というのは大量の香辛料がさせてるんだと思う。
禁断症状なんだと思う。

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