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  • 02/09/09:00

10.17.23:09

ホームレスの女

日曜日の朝、久しぶりにひとりで映画を観るために出掛けた。
ウチから大通りに出て右折し北に向かう。
道を曲がりながら、信号待ちをしているひとりの女を見た。
陽に焼けた肌に髪の毛がところどころ抜けおち、そろそろ寒くなってきたというのに半そでのシャツを着て、車輪のついたトランクのような荷物を引いている。
女がどんな暮らしをしているのか知らないが、清潔とは見えないそのいでたちから何となくホームレスかもしれないと私は思っている。
思っている、というのは、私はその女を5,6年前から同じあたりで見かけているからだ。
もっと前から女はいたかもしれない。

女を見掛けたのは久しぶりだった。
その日曜日は近くの小学校で運動会が開かれており、そうでなくても人通りのまばらな町はいつも以上に人がいない。
空は高くさわやかな秋晴れで、女のいる風景は寂しいくらいにとても爽やかだった。
どうしてか、懐かしい思いがした。
女が今でも陽に焼けた肌とところどころ髪の抜け落ちた頭をして、ささやかなトランクを引いて町を歩いていることが、なぜかとても嬉しかった。

その少し前、私は訪れた場所で人懐こい迷い犬に出会い、写真を撮ったすぐあとにその犬が保健所に連れて行かれたと知った。
迷い犬だと聞いたときに悪い予感はしていた。
面倒みきれないなら関わってはいけない。
そう知っているけれど、顔がとても不細工で可愛くないのにとても人懐こい犬だったので、つい写真を撮った。
犬は悪さをするでもなく、そこにいた。
あと少ししたら殺されるのだろうか。
やはり関わらなければ良かったと思った。

女は誰かに助けを求めているのだろうか。
何年も前から同じような姿で暑い日も、寒い日も町を歩いている。
ならば女は今のままの自分で、今のままの生活で良いのだろう。
尋ねたことはないが。
犬と違い女は人だから通報されないのだろうか。
それとも誰も声をかけないだけか。
町の中に存在する、周りからは異質に見えるもの。
それらが周りに何の迷惑もかけず、ただそこに存在しているのならば、そのままで良いと思う。
もしかするとそれらの方が私よりもマトモかもしれないし。

新興住宅地の暗がりのベンチでは、近くの進学校の高校生たちが身体を重ねて恋に没頭している。
「私はどんな考え方でも受け入れている」と、なぜか上から目線で嘘つき女がさけぶ。
彼らはみんな自分は普通だと言っていたっけ。
自分を顧みもせず。

今夜は少し寒い。
あの女はどこで眠るのだろう。
関わろうとは思わないが、私はあの女を見掛けるとホッとする。
それはただのわがままかもと自嘲する。
少し寒い夜。



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10.05.23:17

同じベッドで

私たちは同じベッドで生まれた。
彼女の方が3カ月早かったけど。

あと1時間で彼女の誕生日。
眠いから、早めにおめでとうを言っておきます。
お誕生日おめでとう。
新しい貴女のはじまりですね、ってきっと何も変わらないけど。



09.16.21:22

メアリー&マックス ~映画~

個性的なキャラクターばかりが登場するクレイアニメ。
色彩はほとんどモノクロに近く、物語も決して明るくはない。
内容はとても重い。
でも、観終わったときの気持ち、ぽろぽろこぼれた涙は、とっても温かかった。

オーストラリアに住むメアリーは、いじめられっ子。
彼女のお母さんはアル中、お父さんは地味な仕事(ティーバッグに糸をとおす)で趣味は道端で死んでいる鳥のはく製作り。
友だちはいないけれど、向かいに住む広所恐怖症のヒスロップさんに毎日あいさつするし、お隣のダミアンに恋している。
だけど本物の友だちがほしいと思い、電話帳で見つけたアメリカのマックス・ホロウィッツさんに手紙を出す。

突然、オーストラリアからの風変わりな手紙を受け取ったマックスは、独り暮らしの中年男。
彼も人づきあいが苦手。
それを何とか克服したいとは思っているが、うまく出来ずにいる。
そんな時に届いた一通の手紙が、彼の人生に鮮やかな色をつける。

途中で流れた「ケ・セラ・セラ」は、「17歳のカルテ」の「この世の果てまで」のようでキツかった。
世の中に自分ひとりだけになったようにおもえる時、そんな時に救ってくれるのは、やはり人。
誰かを大切に思えることが、人としての成長の第一歩。
この作品を観ていてそう思った。
一人ぼっちは寂しい。 楽だけど。
でも、誰かとならば変わり映えのない毎日が、少しは面白くなるかもしれない。
確かに理解できずに苦しいときもある。
自分の思い通りにいかなくて、傷つくこともある。
腹をたてることもある。
だけど、一人ぼっちで何もなかった毎日よりか笑うことも多くなるに違いない。

アスペルガーの特性を持つマックスが、とても愛おしい。
降ってわいたような状況を、何となく、ではなくきちんと理解しなければ先に進めないマックス。
そのため時間も精神的な労力も人一倍かかるが、その分、相手に対しての真っ直ぐな気持ちは何よりも勝る。
それは時には諸刃の刃にもなる。
相手も傷つけ、そして自分も傷つく。
だけど、メアリーとマックスはそうしてお互いが傷つきながらより深くお互いを知り、許し合う。
その過程はとてもつらい作業だけれど、受け入れたときに見える景色は素晴らしい。

続く

08.22.22:33

ツリー・オブ・ライフ ~映画~

20歳の時に観た、デレク・ジャーマンの「エンジェリック・カンバセーション」をちょっと思い出しました。
あの作品を今観たら、もう少しちゃんとわかったかな。

the-tree-of-life-movie-poster.jpgこの作品は全体を通して、魂の旅が描かれていると感じました。
それは生きている人であれ、亡くなった人であれ、過去を生きたものであれ、また未来を生きようとしているものであれ、人だろうと動物だろうと植物だろうと、宇宙に生を受けたもの全ての存在の。
形などなくてもそこにある、永遠に。
魂ってそんなものでしょう? きっと。

初めは、身体を引き裂くような喪失した魂の慟哭です。
そう、それもこの世界から旅だった魂と、残った魂の。
いくつもの銀河、星の営みは、偶然ですが、以前私がひどい喪失感の中、すがった姿でした。
夜中、ひとりでいくつもの小宇宙の姿を見つめました。
なぜなのでしょうね、セリフの中にもありましたが、「強くなりたい」「私を許してください」ただただ自分の弱さや愚かさを、大きな存在に許してほしくて。
あの時、いえ、それは今もです。
宇宙の中の大いなるもの、そして地球、その中にある大いなるものに、私自身を抱きしめてほしくて。
きっと、今は私の身体を借りているこの魂は、いつでも自由に飛び回ります。
その思いは、激しく流れ落ちる瀑布や、美しい砂漠や、海の底や、いくつもの銀河や、誰かの身体を流れる血にもなれるんだと思います。
ふっとした瞬間に、夕日を思い浮かべたり、美しい月夜を思えるように。

登場する母親などからキリスト教的な部分も見えるのですが、不思議と十字架も磔のキリストも登場しないのはなぜでしょう?
もしかすると、テレンス・マリックは、ちゃんと自然界の「大いなるもの」に対しての敬意をはらっているのでは?と思います。
もし、キリスト教的な教え、という感じを受けたなら、こんなに敬服しなかったと思います。
例えばステンドグラス、登場しましたが、確からせんでした。
自然界に存在する最高に美しい黄金比の。
そこにあるのは、キリスト教的ではあるけれど自然界の抗えない法則、天国も地獄もない、あるのは魂の旅だけだ、という美しく冷徹な自然界の法則が隠されているのではないでしょうか。
むしろ仏教に通じるような。

井上雄彦の「バガボンド」を読んでいる人なら、なんとなくこの作品の感覚がわかるんじゃないかなぁと思います。
この少ないセリフといくつもの景色、あの漫画にある「間」に、少し似ていると思いました。
必死に自分自身と向き合おうとしている。
だからこそ、自分の弱さ、小ささを見る。
それは魂の姿でもある。

ここのところ少し疲れていてささくれていた気持ちを、綺麗に流してくれたような、いつかあの場所に行きたいと思える魂の旅を映像で見せてもらえたような、そんな作品でした。
プロデューサーにブラッド・ピットの名前があった。
彼のこと、見直した。
ショーン・ペンの家はすごく格好良かったなぁ。
あの渓谷はどこなんだろう。。。

08.22.21:51

キッズ・オールライト ~映画~

The-Kids-Are-All-Right-Poster.jpgとても期待して観たのに、残念な作品。。。
設定がレズビアンのパートナー同士が作っている家族、というだけで、話としての新鮮味はまるでありません。

判り易く、アネット・ベニング=夫、ジュリアン・ムーア=妻としましょう。
20年近く何ごともなく幸せに一緒に暮らしているふたり、妻をまるで飾りもののように大切にしている夫がいて、その立場に不満を感じている妻がいて、妻が興味を持っていることをネタに、少し魅力的な男から声をかけられたとする。
つい、ホントについ、フラッといっちゃった、本当に愛しているのは夫なのに。
夫のことをひどく傷つけたけれど、それで絆が深まった、みたいな。
「運命の女」のような。。。。ちょっと違うか。
ジュリアン・ムーア(妻)はマーク・ラファロ(男)に恋してたワケじゃないので。

そこに二人の子どもたちがいて、浮気の相手が精子提供者だったという設定が同性愛者カップルならでは、なのでしょうが、その設定ちょっとありえん。。。。。。。
ぶっ飛びすぎというか、ネタを作り過ぎというか、ハーレクイン小説のようであまりにあんまり・・・
何でもありの韓国ドラマみたい。

この作品は、お話としては面白いかもしれませんが、物語の組み立てとして同性愛者カップルやその子どもたちや精子提供者、というキャラクターを組み込んでいったという作りで、私はあまりいただけないです。。。
子どもたちの立場というか、タイトルどおり、あの子どもたちはホントに良い子たちで素敵なんだけど、それ以上はちょっと・・・

ecf7f9a7.jpeg監督かプロデューサーがレズビアンで「The L word」(←だいたいこのドラマもどうか?と)かなんかにもエピソードを提供してるらしいですが、彼女たちも仕事として同性愛者じゃない人たちにでも「おおお♪」と思わせるような話しを作っているわけで、決してイコールレズビアン全般ではない。
当然だけど。
(ちなみにこの中で選ぶなら左から3番目の金髪ショートのアリスがいいなぁ。)

最近文句ばっかりでイヤだわ、、、

面白い映画、キャスティングではありました。
アネット・ベニングもジュリアン・ムーアも素敵。
とってもお洒落で大人で、格好良い。
マーク・ラファロもなかなかgood。
いい感じに崩れてセクシー。
二人の子どもたちも可愛いし。
キャスティングは魅力的です。
それに、スンナリとレズビアンカップルの話しを観ることができそうな演出だし。
ただ、設定が・・・
ジュールスが浮気したのも、あれ、男性がお金払って風俗で性処理するのと同じようなことかなと。
だからポールから「僕たちの関係」なんて言われて、ウザっ!って携帯を放り投げるんですが、
あ~~~、きっとこの歯痒さはわかってもらえないわ。

アメリカのホモフォビア(嫌同性愛者)にも笑ってもらえる?観てもらえる?みたいな軽い感じの話しを作った、ということじゃないでしょうか。
また、アメリカでの精子提供による妊娠・出産がとても日常化していることによるトラブルが多いとか。

難しいです、、、、良くもなく悪くもなく、という気持ちが正直なところ。
アメリカの映画界でもレズビアンやっていくには大変なのよ!
レズビアンの映画つくるには色んなトコに気を使ってんのよ!ってことなのかなぁ。
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