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  • 02/09/12:25

08.04.10:51

コクリコ坂から ~映画~

この作品の致命傷は、登場人物たちがやたらと「良い子」だということ。
たしかにジブリの作品には、先生に反抗して生徒指導部に呼ばれる女子高校生など登場しないのだが、観たあとに、なんか違う!なんでこんなにヤな気分なんだ!と感じていた答えがそれなんだと気付いた。

主人公と彼氏は最たるものだけど、あの気持ち悪いというか、こまっしゃくれた生徒会長かなんか、上手く立ち回りすぎじゃない?
部活を休みにしてまでの臨時の生徒総会だか、話しが紛糾しているのは観てわかるけれど、ただゴチャゴチャワーワーしているだけで、賛成派・反対派の数がどれだけで、生徒たちがどういう関心をもってあの場に臨んでいるのかが、サッパリわからない。
その上、あの総会と先生たちとがどういう関係性なのかもわからないまま、見張りの子がいるようだけど、先生たちが見周りに来たことを知らされ、皆で肩を組んで何かの歌を歌い出す始末・・・・
総会の内容をごまかすため?
それとも、大人しく皆でまとまってますよ♪みたいな?
(あの歌って実際にあの頃に流行った歌なんだろうか?それとも校歌?それもわからん)
その姿を見て、ニヤリとして出て行く先生たち。
あんたたち、誰や?
なにしに来たと?

壊されようとしているカルチェラタンという建物が、あの学校内で生徒たちにとってどのような精神的な意味を持ち、そして誰がどうして壊そうとしているのか?
それを「ひっひっひっ・・・」と悪代官の如く心にイチモツ持っているような大人がいない。
イチモツ持ってなくてもいいけど、壊そう推進派の大人が出てこない。
戦う相手がいない。
けど、なんだか戦ってる風である・・・

総じてこの年頃の少年少女の敵は「大人」なのに、戦う相手とめちゃめちゃ上手く関係性を作っているようにしか見えないのがダメダメ。
真夜中、校舎のガラスを叩いてまわる年頃やろー!きみら。

建物壊そう!と決めた出版社の社長も、「エスケープ」という言葉に「おう!そんくらいの気持ちがないと若者はいけないぞっ♪」みたいな気分になってたけど、3年間で一日だけ学校サボることを若者の反抗心、大いによろしい!みたいに本気で思ってんのかっ!
(それに「お掃除」という言葉と、女子高校生にも反応してたな・・・好きなんだな、お掃除と女子高生が。)
あの手の人は、そういうのは許すけど、校舎の裏で男女がイチャイチャしてるとか、スーパーのトイレで煙草吸ってるのは許さないんだよ。
それってどうよ?
大人の気持ちの中のフィールドで遊んでいるだけなら、許してやるって態度。
それを見越して行動している、あの生徒会長や主人公や彼氏。
そんな人たちが作った今の社会だから、こんな風にダメダメなんだぞっ!っていう、暗に今の社会を批判してるんだったら許すぞ!吾朗っ♪

高校生の頃に、生徒指導部やその手の先生たちと上手くやってるような学生なんて、気持ち悪い。
そんな子たちばかり登場してるから変な映画なんだと思う。
なのに、青春映画ぽく作っているから、ほんとに気持ち悪い。
この宮崎吾朗という人も、先生にも親にも反抗しない子だったんじゃない?

以下は1987フォーラムに入れた

自意識過剰というか、自己満足というか、自己完結というか、「宮崎吾朗氏だけが判っている世界」を観た感じです。

物語の構成が悪すぎます。
こちらが、話しの流れをくんでやらないといけません。
テーマもさっぱり判りません。
また、ただの懐古趣味なのか、あの時代への憧れなのかわかりませんが、1964年、それも高校生、という設定も意味不明。
それに音楽が、主張しすぎ。
うるさいし、押しつけがましいです。

吾朗氏が良いと思っている、ここが盛り上がり部分だよ!と思っているシーンを、「ほらほら!!!!!ここ!!!!」と見せられるのですが、そこがなんで良いのか、なんで盛り上がり部分なのか、サッパリわからないので、白けます。
音楽だけがやたらと盛り上がる。
主人公が毎日あげてる旗の意味も、わからない。
そして、おばあちゃんはいったいどこに?
最初に見たっきり、どこにも登場しない・・・・・
どこに消えたのっ?

ストーリーテラーとして、この人は破たんしてると思いました。
これで完成品だと本気で思っているのだとしたら、宮崎駿がいなくなったあとのジブリの未来は、残念なことになりそうですね。
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07.31.23:35

いま、そこにある危機

中国で大きな列車事故が起こり、日本ではここぞとばかりに中国の建設事情だの、ものすごい手抜き工事の実体だのを報道している。
主にワイドショーと呼ばれる、毒にも薬にもならない番組で紹介されているのだが、世の中の大勢はこのようなツールで情報を得ているので、そんな皆さんはもしかすると今頃「ほんっとに中国って油断できないわー」なんて心のすみにインプットされているのかもしれない。
いやいや・・・・・日本政府も相当なものです。

あんな番組を観ていると、つくづく私は芸能人じゃなくて良かったと感じる。
今のご時勢で、私の性格で、「まあ・・・・、中国でも大変な事故がおこり、政府も事態の収拾と、国民感情の鎮静化に懸命に取り組んでいるようですが、日本国内でもあれ以上のことが起きてますよねぇ」など、言わないはずがない。
他に伝えたいことがあるのに、ニコニコして「ロックは可愛い」など言えない。

中国のあの列車事故は、あの場所で、あの列車に乗っていた人たちが被害に遭ったのだけれど、日本国内の被害は、国内全域、被害者数は数知れず、それも特定できず。
そのうえ、政府や行政、一般市民までが総ぐるみで拡大させている。
政府や行政はメンツの名のもとに、一般市民は支援という善意の名のもとに。
子どもが食べる以外は、大人であれば東北産の食べ物はいくらでも食べてよいと思う。
子どもとは違い、大人にはもう想像しうる未来しかないもの。
でも、それを他にすすめたりはしないでね。
食べたい人だけで食べればいい。

福島県会津地方の美坂高原という場所のコピーを作った。
どのような場所なのか、直接電話をして尋ねたのだが、電話に出た女性が丁寧に答えてくれた。
とても誠意を感じさせる応対をしてくれた。
その時は、そこが福島県だと気付かずにいたのだが、調べものをネットで検索して気付いた。
美坂高原はとても美しい場所で、民間の団体が運営しているらしく、高原の利用方法などを一般の人たちから募集するような書き込みもあった。
管理人が山登りのブログを作っていたが、自然への畏敬や感謝にあふれた素敵な文章だった。

そのような人たちが住んでいる。
故郷へのほこり、自分たちが作った食べ物への誇り、それらをしっかりと持っている。
真摯に生きている。
彼らの気持ちを感じて、とてもつらかった。
このような人たちに、放射能汚染されているからしばらくは住めないよ、とは言えない。

正しい事を正しく公表する。
4か月経っていても良い。
いつまでも黙ってられるより良い。
真摯に生きている人たちには真摯に対応することが礼儀だ。
それがどんなに辛い現実を語ることになっても、それが礼儀だ。

宮崎県内でも放射能汚染物質を含む牛肉が出回っている。
なぜ牛肉だけを取り上げるのかは判らないが、
内部被ばくをしている食品は牛肉だけではない。
それにしてもこの話題を地元新聞が取り上げないのは何故だろう?
知らないはずはないし、とても重要な話しであることも判っているはずだ。

政府は日本国民を助けるつもりはないらしい。

07.19.22:59

大鹿村騒動記 ~映画~

(映画の話しに入るまでの前フリが長いけど)
原田芳雄は、私が初めて大人の男として意識した人だった。

高校時代からの友人光早子が、彼の大ファンだった。
もし実際に彼に出会ったとしたら・・・・きっと恥ずかしくてまともに顔を見ることもできず、下を向いているに違いない、と光早子が言っていた。
大好きな彼女が大好きだという男がどんな男なのか、興味を持ったのが始まりだったが、原田芳雄は10代の少女の思い人にしてはあまりにも男くさく、無頼漢のような印象で、私は彼にではなく、彼を好きだと言える光早子に嫉妬した。

一度、彼のライブに光早子と行った。
野外ステージでのライブで実際に見た彼は、とても締まった体をした、とても魅力的な男性だった。
くしゃくしゃした長髪は、画面でみるようなワイルドな印象とは違い、もっと洗練されお洒落に見えた。
こんな素敵な大人の男から愛される女になりたい。
彼を見ながらそう思った。
憂歌団なんかも聴いていた頃で、18歳の女の子が一生懸命大人に憧れていた感じ。
煙草がセブンスターからキャビンになって、ピースライトなんか吸っていて、10代の王道を歩くよりも少しすねて、こてこてのロックンロールかブルースを聴くほうが格好良いと思っていた。
聖子ちゃんも聴いてたけど。

今日、原田芳雄が死んだ。
最後の主演作が「大鹿村騒動記」。
大鹿歌舞伎を300年守り続けている群馬県、大鹿村。
男とその妻、男の親友で妻の愛人、村に住む人々が、大鹿歌舞伎を行うまでの物語で、とても穏やかな、優しい印象の作品だった。
時が過ぎる、時が経つ、歳を重ねることを、素直に素敵だと思えるような。

あんな風に人を許せて、穏やかに日々を過ごせるならば、歳を重ねることはそれだけで素敵だなとしみじみ感じた。
まだ私にはそんなことは出来そうにないから、あんな日々を迎えるために歳をとっていくのもいいかなと思った。
あんな穏やかな作品を選んだ原田芳雄は、きっとあんな穏やかな気持ちになっていたに違いない。
気持ちが丸くなって、大きな心で誰かを許せる、そんな気持ちになっていたのかなと思う。

大好きな大鹿歌舞伎をやることが大事だから、他のことはまあ、色々あるけどどーでもいい!という村人たち。
多くの人たちが、そー上手くは行かなくても、他人のことをあれこれ言うのはヒマだから?なんてことも、この映画は言ってます。

関係ないけどブルースといえば木村さん↓


07.18.22:33

夏至 ~映画~

今さらな作品だが、「青きパパイヤの香り」がレンタル中だったので。
色合いはとても素敵。
初めてベトナムに憧れたのは「ラマン」を観た時だったけれど、着ている服や、建物と街の色合いが、とても好き。
特にトラン・アン・ユン監督の作る映像が美しいのか、色合いのとても美しい作品だった。
その他は、物語があってないような。

三姉妹それぞれが持っていた、思い人への疑惑。
疑惑を抱えながら、夫以外の人と重ねる逢瀬や、大きくなっていくお腹や、恋人のように仲の良い兄との馬鹿騒ぎなどで日々をやり過ごしていくさま。
それらが鮮やかな色彩と、熱帯の匂うような雰囲気で表わされる。
ともすると、バカバカしくも見えるような彼らの営みは、実は私たちの日々の暮らしと似ている。
むしろ、そのもの、なのかもしれない。

仕事先で出会った女との間に子どもまでいる長女の夫。
初めての子を流産したことで傷ついている長女は、よそよそしい態度をとる夫に諦めのような感覚を持つ。
そんな時に出会った年下の男との情事を、止めることが出来ずにいる。

旅先で出会った女性に声をかけ、部屋に誘われたのに寝姿を見るだけで何もせずに部屋を出る二女の夫。
二女は、夫のスーツから部屋のメモをみつけ、夫の浮気を確信し、泣き崩れる。
きっと夫を責めない。
ただし、今だけは。

三女の存在はどのような意味を持つのだろう。
兄を恋人のように慕い、彼のベッドにもぐりこみ、子どものようにはしゃいでいる。
気になる異性はいるが、まだ彼とも特定の間柄ではないらしい。
少しの勘違いも含めて。
そう、彼女こそがいきなりのスコールや、蒸れて匂い立つような熱帯の花や、果物や、色彩のような、夏の化身なのかもしれない。

三女の勘違いの告白から、長女も二女も、隠していた涙を見せる。
だからといって、何も変わらない。
それぞれの思いはそのままに、ただ、日常は流れて行く。

色彩がとても印象的な作品。
観てすぐに心を掴まれるような部分はなくても、いつか、あ、この感覚、と、思い出すような、そんな雰囲気。
なのかなぁ・・・・・

07.15.00:21

まるで武道

平原綾香のライブを観ていて思ったこと。
この人、歌い始めるときに必ず「ため」が入る。
格好良いなぁ。
好きになったから、好きだから、言ってるんですが、機会があればホントに観てほしいなぁ。
彼女のライブ。
声が現れて、消えていくまでしっかり音になってるんだよー

今年もファンクラブ優先で1列目、真ん中から少し右~
なんで都城市民文化ホールや!と思ったけれど、そんなことはどうでもよろしい。
なんてったってステージから1mも離れてないじゃないか!
綾香ぽんが目の前にー

「ジュピター」「明日」「ノクターン」は、彼女の定番ソングだけれど、今回で3度目のライブで3回聴いてもそれぞれ印象が違う。
アレンジが違うとか、そんなことじゃなく、きっと彼女の中で歌詞から浮かぶ風景が違ってるんじゃないだろうか。
この人は、歌の心をしっかりと自分の中に抱えて消化して、そして出してる感じがする。

書家の伯母がいる。
彼女が宛名書きの仕事をしているところを見ていると、筆に墨をつけて紙におとし、そしてまた墨をつけるまで、息を止めてるのがわかる。
だから私も息をとめて見ている。
綾香ぽんの歌い方はそんな感じがする。
初めて聴いた曲でも、しっかりと歌詞が気持ちの中に入ってくる。



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