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02.12.16:13 [PR] |
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11.16.22:31 可愛がられてます |
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11.09.20:57 人権、人権ってうるさいなぁ |
どういう訳だか、行政でも教育機関でも「人権」に関する講演会だけは何がなんでもやらなければいけないようだ。
学校で保護者向けの勉強会を企画する役を2年やったが、人権についての勉強会だけは強制的に予定が組まれていた。
東京のNPO法人かものはしプロジェクトの村田さんをお呼びして講演をしてもらったのが1回目。
カンボジアの貧困による人身売買や児童売春についての話しをしてもらった。
まだ性のことなど何もわからない幼児たちが、いきなり大人たちの性具にされ、傷つき、病気になり、身体を壊し、死んでいくこと、そしてそんな運命に立ち向かう術すら知らない、それこそが人権侵害だと私は思ったから。
人権侵害、と一言で言ってもいろいろあるそうだ。
例えば、誰かが「私は○○の中で差別されています!」と言えば、その人の周りの人たちはそれだけでも人権侵害を行った、ということになるらしい。
そこで、今、きっと日本をどこかの国に差し出そうとしているとしか思えない民主党が、またまた野望に向けての布石というか、新たな法案を出している。
「人権擁護法案」
これは、昔の五人組のようなことになりかねない法案である。
または密告が横行した中国の文化大革命のころのような。
民主党が出している法案は、簡単にいうと人権保護のために人権を守っているかどうかを国が監視する、ということである。
ヘタをすると、ものすごく不条理な目にも遭いかねない。
で、この法案が今国会で可決されるかもしれないという。
それも尖閣諸島ビデオ流出で、その話ばかりになっている時に。
ネットで調べてみると、ガセだ、デマだ、という人や、いいやそうじゃないよー、という人、二分している。
そこで鳩山総理のときから判っていたことだけれど、もう民主党はダメだということだけはハッキリしている。
経済の方でも、または食料問題でも日本が危機的状況に陥っていることを、知っている人は知っている。
マスコミが報道しないだけで。
裸に首輪をつけて、四つん這いになって手を使わずにご飯を食べろ、排泄もそのままやれ、そのまま生活しろ、そんなことを強要されたら人権侵害だと訴える。
人間扱いされていない。
または、家族を養うために10歳にも満たない子どもを売って、過酷な状況で売春させる。
病気になったらほったらかし、死んだらゴミ袋に入れて捨てる。
それは人権侵害だ。
差別はそれを口に出したときに始まる。
利用しようと思えばいくらでも利用できる。
本当に死ぬほど苦しんでいる人たちが、その中にどれくらいいるのだろう。
国レベルで対処しなければいけない場合をのぞき、手を差し伸べることができるのは、周りの人間たちだ。
行政で対処するような人権擁護って、いったいどこまでのレベルなんだろう。
学校で保護者向けの勉強会を企画する役を2年やったが、人権についての勉強会だけは強制的に予定が組まれていた。
東京のNPO法人かものはしプロジェクトの村田さんをお呼びして講演をしてもらったのが1回目。
カンボジアの貧困による人身売買や児童売春についての話しをしてもらった。
まだ性のことなど何もわからない幼児たちが、いきなり大人たちの性具にされ、傷つき、病気になり、身体を壊し、死んでいくこと、そしてそんな運命に立ち向かう術すら知らない、それこそが人権侵害だと私は思ったから。
人権侵害、と一言で言ってもいろいろあるそうだ。
例えば、誰かが「私は○○の中で差別されています!」と言えば、その人の周りの人たちはそれだけでも人権侵害を行った、ということになるらしい。
そこで、今、きっと日本をどこかの国に差し出そうとしているとしか思えない民主党が、またまた野望に向けての布石というか、新たな法案を出している。
「人権擁護法案」
これは、昔の五人組のようなことになりかねない法案である。
または密告が横行した中国の文化大革命のころのような。
民主党が出している法案は、簡単にいうと人権保護のために人権を守っているかどうかを国が監視する、ということである。
ヘタをすると、ものすごく不条理な目にも遭いかねない。
で、この法案が今国会で可決されるかもしれないという。
それも尖閣諸島ビデオ流出で、その話ばかりになっている時に。
ネットで調べてみると、ガセだ、デマだ、という人や、いいやそうじゃないよー、という人、二分している。
そこで鳩山総理のときから判っていたことだけれど、もう民主党はダメだということだけはハッキリしている。
経済の方でも、または食料問題でも日本が危機的状況に陥っていることを、知っている人は知っている。
マスコミが報道しないだけで。
裸に首輪をつけて、四つん這いになって手を使わずにご飯を食べろ、排泄もそのままやれ、そのまま生活しろ、そんなことを強要されたら人権侵害だと訴える。
人間扱いされていない。
または、家族を養うために10歳にも満たない子どもを売って、過酷な状況で売春させる。
病気になったらほったらかし、死んだらゴミ袋に入れて捨てる。
それは人権侵害だ。
差別はそれを口に出したときに始まる。
利用しようと思えばいくらでも利用できる。
本当に死ぬほど苦しんでいる人たちが、その中にどれくらいいるのだろう。
国レベルで対処しなければいけない場合をのぞき、手を差し伸べることができるのは、周りの人間たちだ。
行政で対処するような人権擁護って、いったいどこまでのレベルなんだろう。
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11.08.21:10 こんなのを物語と言うんだろうか |
拝啓 S
私があなたに連絡することを止め、どれだけ月日が過ぎたでしょう。
ずいぶんと時を重ねたようにも思えるし、そうでもないような気もする。
満月が美しいだの、寒くなったから身体に気をつけてだの、何かにつけあなたにメールをしていた頃の私と、今の私はまるで違う。
あの人は、あなたは元気にしてるんだろうか?と私に尋ねる。
あなたが元気かどうかなんて、私にはどうでもよいこと。
それにこうして私があの人の腕の中でまどろんでいる最中に、思い出したように尋ねることじゃない。
だから元気に決まってる、と答えた。
あの人は、そうだと良いねと言い、私をまた抱きしめた。
そう、元気に決まってる。
周りがどうなろうと、自分が生きていくことにひたすら貪欲なあなただもの。
気にかけるだけ無駄だと、やっと判った。
でも何故、こうしてあなたの事を私がまた考えているのか。
あの人はいつも思いがけないことを不意に尋ねる。
私をぎゅっと抱きしめながら、普段自分を感じることがある?などと聞く。
当たり前じゃない、と思ったけれど、その時に気付いた。
美しい月を見たとき、風が冷たいと感じたとき、真っ先に思い出すのはあの人だってこと。
もしあなたが世界からこぼれ落ちても
私が両手をのばして受け止めよう
大好きな本の帯に書かれた言葉。
あの人は世界からこぼれ落ちていた私を見つけて、受け止めた。
受け止められたことに私は気付かないまま、あの人もそのことをいつまでも告げずに、私たちはいつの間にかずっと一緒にいるようになった。
そうして私はあなたを忘れた。
自慢でも振られた女の強がりでもない。
あなたがいた場所に、気付いたらあの人がいた。
あれは奇跡のような出会いでした。
だからとても大切に思っています。
月のない夜はあの人と星を見上げる。
寒いと私を強く抱く。
もしあの人が世界からこぼれ落ちたら、私が両手をのばして受け止める。
ずっと穏やかで静かに、あの人がいつの間にかそばにいたように、私たちはこのままずっと一緒にいる。
あなたが幸せでいてくれたらいいなと、心から願っています。
私があなたに連絡することを止め、どれだけ月日が過ぎたでしょう。
ずいぶんと時を重ねたようにも思えるし、そうでもないような気もする。
満月が美しいだの、寒くなったから身体に気をつけてだの、何かにつけあなたにメールをしていた頃の私と、今の私はまるで違う。
あの人は、あなたは元気にしてるんだろうか?と私に尋ねる。
あなたが元気かどうかなんて、私にはどうでもよいこと。
それにこうして私があの人の腕の中でまどろんでいる最中に、思い出したように尋ねることじゃない。
だから元気に決まってる、と答えた。
あの人は、そうだと良いねと言い、私をまた抱きしめた。
そう、元気に決まってる。
周りがどうなろうと、自分が生きていくことにひたすら貪欲なあなただもの。
気にかけるだけ無駄だと、やっと判った。
でも何故、こうしてあなたの事を私がまた考えているのか。
あの人はいつも思いがけないことを不意に尋ねる。
私をぎゅっと抱きしめながら、普段自分を感じることがある?などと聞く。
当たり前じゃない、と思ったけれど、その時に気付いた。
美しい月を見たとき、風が冷たいと感じたとき、真っ先に思い出すのはあの人だってこと。
もしあなたが世界からこぼれ落ちても
私が両手をのばして受け止めよう
大好きな本の帯に書かれた言葉。
あの人は世界からこぼれ落ちていた私を見つけて、受け止めた。
受け止められたことに私は気付かないまま、あの人もそのことをいつまでも告げずに、私たちはいつの間にかずっと一緒にいるようになった。
そうして私はあなたを忘れた。
自慢でも振られた女の強がりでもない。
あなたがいた場所に、気付いたらあの人がいた。
あれは奇跡のような出会いでした。
だからとても大切に思っています。
月のない夜はあの人と星を見上げる。
寒いと私を強く抱く。
もしあの人が世界からこぼれ落ちたら、私が両手をのばして受け止める。
ずっと穏やかで静かに、あの人がいつの間にかそばにいたように、私たちはこのままずっと一緒にいる。
あなたが幸せでいてくれたらいいなと、心から願っています。
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10.31.21:04 日向の山田会 |
「幸福の黄色いハンカチ」のデジタルリマスター版と、山田洋次監督が客員教授をやっているらしい立命館大学の学生製作の「京都太秦物語」の上映である。
山田洋次監督と、女優の倍賞千恵子さんがゲスト。
この上映会は山田会と山田洋次監督との密接な繋がりにより出来ており、そのおかげで毎回のゲストが素晴らしい♪
おかげで私は檀れいだって吉永小百合だって見れたのである。
今日は倍賞千恵子さん。
素敵な素敵な高倉健さんと、何本も一緒に映画を撮った人である。
この二人が並んで立っている姿の絵になること・・・・
その倍賞さんである。
いつもゲストに惹かれて参加する上映会だが、日向市には映画館がない。
そのかわり、山田会がある。
そう言っても過言ではない。
それぐらい頑張っている。
今年はすでに今回で2本である。
1月に吉永小百合さんをゲストに迎え、「おとうと」の上映をしている。
日向市文化交流センターは、1,500ほどのキャパがある。
毎回、会場が満席になるほどの盛況ぶり。
観客の誰もが、「この作品」を待っていた、そんな雰囲気を感じる。
それに会場内の雰囲気がとても温かい。
周りと一体になって作品を観ている、という感覚がある。
これはとても懐かしい感じ。
今日も、黄色いハンカチを観ながら、ここで笑うか?と思うような場面で何度も笑いがおき、私もつられて笑ってしまった。
上映終了後の舞台挨拶時、あらかじめ観客に配られた黄色い布を、監督と倍賞さん登場時に全員で振った。
それは、普通考えつくであろう演出だが、実際、させてしまうところが山田会らしいところ。
私も布を振りまくった。
こんな演出をされたら、きっと嬉しいだろうなぁと思っていたら、倍賞さんが涙ぐんでいた。
周りのジジババ率はかなり高く、あまり嬉しくない香りもたくさん漂っている会場内だが、そんな泥臭い感じも山田監督の作品に合っていて、いつも「あー、良いものを観た♪」と思える山田会の上映会。
来年は山田監督が監督50周年を迎えられるとのこと。
またきっと面白いイベントを考えてくれるに違いない。
楽しみにしてます。
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10.06.09:11 幸福の黄色いハンカチ ~映画~ |
お恥ずかしいが。
ラストシーンだけはしょっちゅう色んな場所で観ていたが、全編通して観たことがなかった。
だってポスターにも使われているぐらい、最初からネタバレしてるし。
デジタルリマスター版(意味はわからないが、古いフィルムをきれいにした?)が劇場で公開された。
リバイバルはとても嬉しい。
往年の名作を劇場で観ることができるなんて、幸せだー。
ということで、1987フォーラムに気合を入れたので、あそこで語れなかったことを入れてみる。
高倉健、「網走番外地」や「昭和残侠伝」の時にも感じていたのですが、可愛い。。。
凛としていて、格好良くて綺麗で、そしてすごく可愛い。
素敵ですねぇ。
あんな健さんだから、ラストシーンがぎゅっとくるんだなぁと思いました。
顔をくしゃくしゃにして武田鉄矢と桃井かおりに無言で別れを告げ、地面を踏みしめるように歩いて、そして、
(多分)何も言わず、ハンカチを見上げる姿、格好良かったなぁ。。。。
ラストは全員セリフ無し。
そこもいい。
武田鉄矢と桃井かおりのキスシーンはなくてもいいとは思ったのですが、許せる範囲だったのでよしとする。
これ以降、現代劇にも登場することになるのですが、残念なことに、彼ほどの俳優をしっかりと使いこなすことのできる監督がいないのか、現代劇(というのかわからないが)で、良いと思ったことはあまりないように思う。
「あ、うん」ぐらいかなぁ・・・・・・・ちょっと軽い実業家の役で、似合ってた。
何にしても、自衛隊出身者とか、昔はヤクザだったとか、そういう設定が多いと思う。
なので、映画がワンパターンになりやすいのは否めない。
でも、昔の俳優さんは型にハマった役を演じる、のが常ではありました。
そんな、昔ながらの俳優だからこそ、燦然と輝いて見えるのかもしれません。
この作品、「あ、こういうことなんだな」という演出が綺麗にはまる作品です。
登場人物たちの心の軌跡が、ラストに向かうにつれピッタリとつじつまが合う。
つじつまの合い具合も、あたたー、それはないやろう・・・と感じさせるようなものがない。
色んな場所で、何度も観たことのあるラストシーンも、そうなると判っていてもぐっとくる。
映画の流れが、大団円を迎えるからですね。
教科書のような作品ともいえるかもです。
ですが、面白味がない、という意味ではありません。
演技者全てがすばらしい俳優陣です。
映画、という場所で生きてきた人たちだからでしょうか、スクリーンに登場しただけで、その場所にピタッとハマって、大きく主張するでもなく、ちゃんとそこにいるんです。(虎屋のおばちゃんとか)
山田監督のもとで仕事をしている人たちだ、と観客も知っているので、そんなカメオ出演に気付いたときにホッとする、温かい気持ちになるし、安心するんですね。
山田洋次監督作品だからできるのでしょう。
健さん以外、倍賞千恵子はもちろん、映画初出演だったという武田鉄矢、彼もおばかさんで軽薄な若者役でしたが、ドタバタも許せる範囲で上手だったし、だんだんと真面目になっていく過程がわかる。
桃井かおりも、登場した時とラストの表情がまるで違う。
彼らがどうしてそう変化していったのか?という心の軌跡がちゃんと描かれているからだと思います。
その演出にきっちりと応えている彼らも素晴らしい。
私、近頃映画を観るたびになーんか憤りを感じてたのですが、この作品を観て、まさに幸せな気分になりました。
昔、人々が映画を娯楽として楽しみにしていたように、単純だからこそ
素直に心に訴える作品っていいなぁと思いました。
単純なこと、それは物語もそうなのですが、「自分自身と向き合う」という大切な姿勢の事でもあります。
他の誰かと比較して寂しがったり、虚しい気持ちになったり、そんな人物像が最近多いと思います。
この作品に出てきた若者ふたりがそうですが、それじゃいけない、ということを健さん演じる勇作と知り合って気付いていくんです。
そんな姿が描かれています。
だから観ていて気持ちが良いのだと思います。
日向でも上映されますね!
山田監督や倍賞千恵子も来場するそうですよ。
私事ですが、チケット購入しましたー♪