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06.09.04:17 [PR] |
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03.10.00:16 そっけない、の |
会員ナンバーは絶対5桁だろう!と思っていたらまだ4桁だった。
なんだか嬉しかった・・・
年会費、ウチの映画サークルより2千円も安いし。
で、会員しか見ることができない、というブログを読みながらニヤニヤしていたら娘から変人扱いされた。
なんなわけ?
みたいな顔されたので、「コメント入れる人の名前覚えてもらえるんだよ!こないだいいともで言ってたもん!」とムキになったら「へぇ~~~?」とそっけなく言われた。
そっけなく。
娘が夕食の生春巻きを食べながら、「ねぇ、そっけなく、ってどんなの?」と尋ねてきた。
気のないそぶり、冷たい雰囲気、適当、おざなり。。。
おざなり、というとまた尋ねられると思ったので、前の3つを答えた。
たまに「どっから来たんだ?」と驚かせてくれる質問が出るのが面白い。
娘の国語の回答は笑える。
「くらいにわによこになり、ぎんいろのほしをながめる」を漢字を使って書き直しましょう、という問題の答え。
『くらいに輪に横になり、銀色の星をながめる』。
全然意味が分からない・・・・というか分かっていない。
命令、は「明令」。
栄える、は「労える」。
兵隊、は「戦隊」。
あと、パソコンで出せない物体は数知れず・・・
綾香ぽんのブログ同様、脱力系の癒しです。
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03.07.18:23 しあわせな孤独 |
夕べ、恒例の映画サークル合評会で『チェンジリング』の母親が言っていた「希望」について語っていたら、なんだか泣きそうになった。
一般的に見たら、またはあの母親の周りから見たら、彼女が誇らしげに告げた「希望」はひどく哀れに思うだろう。
もういいじゃない、自由になって。
どうか新しい夢に向かって。
誰もが、そう彼女に対して望むに違いない。
第三者は「待ってはいない」から。
かけがえのないものを失って、わずかの望みを大切に握りしめ、それを生きる糧にする気持ちはわからない。
誰だって幸福でいたいから、周りも幸福でいてほしいから、「おそらくそれが事実であろう現実」を受け入れ、新しい道に踏み出してほしいと願う気持ちもよくわかる。
その人への疎ましさが少し含まれた優しさ、悪いことではない、当たり前のことだ。
しかし、彼女自身が待つならば、それを「希望」というならば彼女にとっては「希望」なのだ。
少しも気持ちを誤魔化してはいない、騙してもいない、思い込みでもない、ただ針の先ほどの望みを、まっすぐに目を逸らさず見つめているだけだ。
待っている間に見える景色は、ふたりで見る景色とは違って見えるだろう。
待っている間に聞こえる音楽は、ふたりで聞く音楽とは違って聞こえるだろう。
待っている間に考えることは、ふたりで考えることとは違って思えるだろう。
はたから見るとどんなに愚かでも、胸に宿る涙や笑顔とともに過ごす時間の切なさは、どれだけ人生を深くさせるだろうか。
偏執狂的な行いで誰かを傷つけないかぎり、待つことは少しも悪くない。
むしろその時間から得られるものは、その人にだけに理解できる大きな愛、そして必ず祝福は訪れると信じたい。
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03.07.15:58 たまちゃんたら・・・ |
お相手は有頂天のケラ。
近頃だと演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチと言った方がわかるのかもしれない。
有頂天の頃は可愛かったよ、ケラ。。。
でも、あんな見かけ「おっさんぽい人」を選んだたまちゃんって、やっぱりいいなぁ。
たまちゃんの演劇観たいなぁ。
家帰ってたまちゃんがいたらいいなぁ。。。
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03.04.17:38 それは彼の自我ではなく |
その後、森田必勝は腹を切り、再び古賀が介錯した。
それが今まで信じられてきた市ヶ谷駐屯地での三島の割腹自殺である。
先日、本屋で『三島由紀夫の死と私~西尾幹二著』という本をみつけた。
この中にあった、三島のたぶんこれが真実であろう割腹の現場、には今まで一般的に言われてきた森田の未熟さはかけらもなく、彼がどれだけの強い意志と精神力で三島の介錯を務め、そして自身の割腹に至ったかが、当時の法医学の斎藤教授の解剖所見から書かれてある。
三島は常人では考えられないほどの意志を持って腹を深く真一文字に切り裂いた。
それは介錯人がおらず、ひとりで死ぬときのやり方だった。
そこまでの傷を負った場合、体に起こる反応として、まずは失神状態に陥り、首は肩にめりこみ、腹部の圧力で腸ははみ出し、上体はガクッと前のめりになるか、後ろへ反り返るか、だそう。
著者はそんな状態の三島を介錯しなければならなかった森田について「正規の介錯などできない、悲劇的な状態」だったろう、と推測している。
押え役がおらず、おそらく後ろに倒れてきた三島に、前に倒れることを予想し一刀目を振り下ろした森田は、三島の右肩に打ちつけることになる。
そのため今度は前屈みに倒れ、悶え苦しむ三島の首には狙いが定まらず、介錯人としては最悪の状態の中で二刀目、三刀目を振り下ろした。
結局、古賀が四刀目で三島の首を落とす。
打首人の義務と名誉は一太刀で首を落とすことであり、敬愛する三島に対してそれができなかった森田の絶望的な苦しみは、そのすぐあとに控える自分自身の割腹を完成させることで、見事に三島に報いてみせたのではないだろうか。
森田は浅く腹を切った。
それは介錯人にうまく首を斬らせる、切腹の作法にのっとったものだった。
古賀は一刀のもとに森田の首をはねた。
25歳の森田は壮絶な斬首の現場のすぐあとに、師よりも崇高な精神を持って腹を切ったのである。
しかし、、、、、それだけ、だろうか?
三島は森田に生きてほしいと願っていたのかもしれない。
自身の悶え苦しむ様をみて、森田には死ぬなと、無様でもよいから生きろと、願っていたのかもしれない。
三島由紀夫ほどの人が、自身の最後に計算違いをするだろうか。
森田を初めから道連れにするつもりならば、切腹の作法にのっとって浅く腹を切り、美しく介錯されて果てたのではないだろうか。
森田必勝は三島の思いを理解した。
だからこそ死を選んだ。
恥にまみれた悲劇的状況にあっても、彼自身の切腹を完成することができた。
あくまでも私の甘い想像であるが・・・・
のんびりとコーヒーが香る街なかの本屋で、孤高の美しい幻影だった三島の切腹には、もうひとつの愛おしい魂が寄り添っていたこと、そして彼らの間には死に対しても怯まない愛が存在していたことに感動していた。
それは心をのびやかにする香りの中ではあまりにも似つかわしくない、血にまみれた愛と死のイメージだった。
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03.02.22:40 好き、って言って |
今までのことを思い出してみても、誰かから「好きです」と告白されたことは数えるほどしかない。
高校一年になりたての頃、他のクラスの女の子が「うちのクラスの〇〇クン、知ってるでしょ?手紙もらってきた」と私に渡してくれたが、私はその〇〇クンを見たことも名前を聞いたこともなかったので、そんな人知らない、と伝えたら、しばらくするとその〇〇クンは別のクラスの女の子と付き合いはじめたらしいことを、周りの友人たちが事細かに私に報告した。
二年生で男女混合クラスになった。
休み時間が終わると、机に落書きがあった。
『男一匹硬派とは ひとりの女を愛すること
女一匹硬派とは ひとりの男を愛すること』
すぐ後ろの席のごっつい柔道部のI君が、俺が書いた、と言ってきた。
彼は私の耳たぶにほくろがあるとか、今朝は朝シャンしてきたな、とかそういうことをやたらと話しかけてくる子で、適当にあしらっていたけれど、成績も似たりよったりで三年のクラスも同じだったから、補習を一緒に受ける羽目になったりで、男女として付き合うよりも良い友人関係になった。
高校生最後の私の誕生日には、自分で作った、というジェームス・ディーンのパズルをプレゼントしてくれ、今でも大切に持っている。
東京にいたころ、完璧に友だちだと思っていた人から好きです、と言われた。
今のところ、私に直接好きだと言葉で告げてきたのはその人だけ。
去年は久しぶりにラブレターをもらった。
私が平日、いつも通っていたお店のレジにいた人で、まっすぐで誠実な文面には切ない気持ちになったがそこまで。
何通かもらった文章を読んでいると、文章を書く、ということについて彼と話してみたい、という誘惑にかられたけれど、そんなのダメだ、と思っていたら行く機会を失い、自然に行かなくてすむようになった。
実は小躍りするほど嬉しいのだが
そう言われる度にいつも「て」が余計だな、と思う。
『PARIS』という映画を観ていたら、登場する人たちが皆、まるで世の中「愛」と「恋」だけかのように笑いあって、キスして、悲しんで、見つめて、いた。
フランスは行きたい国リストにもちろん入っている。


