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02.10.10:43 [PR] |
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06.12.22:00 道に倒れて誰かの名を |
スポーツでも何でも、たいていのことは普通に出来る私でも、これだけはどう頑張ってもできない!のが「お酒を飲むこと」。
高校生の頃などはイキがって頑張ってみたけれど、ちょっと飲んだだけでしこたま気持ちが悪くなり、しまいには冷や汗が出て手が震えてくるので、周りに迷惑をかけるうえ、私自身もそんな気持ちの悪い思いをしてまで飲む必要性が感じられず、今でも全然飲まないが、夜の街は大好き。
20代のはじめ、ショットバーでバイトをしていた頃はほんの少しだけ飲んでいた。
すごく頑張って。
やはりお酒を飲む必要性は感じられず、仕事で仕方なく飲む以外は飲まなかった。
それでも朝まで付き合うことは平気でできたし、馬鹿もできた。
でも、素面でやる馬鹿はホントの馬鹿なので、ちょっと!ちょっとちょっとちょっと!と思うようなことはなかなか出来ない。
それで良いと思う。
でも、歌に登場するような、
「道に倒れて誰かの名を呼び続ける」とか、
「気がつけば痛む頭を赤子のように撫ぜられている 何を話したのだろう」などと思うような、酒のうえでの出来事に憧れている。
恋人と別れて朝まで飲んだくれてさ~
とか、
あれは酒がやらしたことよ・・・・
なんて、一度言ってみたいものだと、若い頃からずっと思っている。
飲んだくれなどしようものなら、私は救急車に乗せられ、救急病院で点滴をうけることになる。
まず、飲んだくれる前に口から泡を吹いて倒れるだろう。
お酒が私に何かやらす前に、私は急性アルコール中毒で死んでしまう。
考えただけで恐ろしい・・・・
街で飲んだくれることが出来ないので、ひとーりで車に乗って中島みゆきの「誕生」を聴きながら泣く。
それか、夜中のベランダで空を見ながら煙草を吸う。
辛いことがあったときに、毒にも薬にもならない誰かと過ごすことができない。
そんな根暗で融通の利かなさを、実は気に入っているが、やはり永遠の憧れ「酒のうえでの出来事」には一生遭うことがないので、くやしいなぁ。
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06.03.16:04 Happy birthday ! |
今日は娘の12回目の誕生日。
12年前の今日も抜けるような青空だった。
前日の大雨が嘘のような。
お昼の1時すぎだったから、今頃は私、がっっっっっっっっり寝てたな。
12年前の今日、私も、もう一度生まれた。
この日から、私には一生かけて守るべき存在が生まれた。
その存在は、私が何者であっても、私を無条件に信じ、無条件に愛していた。
手を握って、私を見上げた小さい娘に、どれだけ感謝したかわからない。
だから、その瞳を、裏切ることだけはしないと思った。
それまでたくさん悪い事もしてきたけど、
その瞳に、私の100%の思いを伝える事ができないことだけは、しないと思った。
彼女がいるから、私は私の全部で生きている。
今日も元気に学校に行った。
こんな私の娘だけれど、とても素直に良い子に育ってる。
勉強も、どうしてだか出来てる。
吹奏楽も頑張ってる。
学校には吹奏楽やるために行く、とまで言う。
私立や付属の中学を受ける予定はない。
娘も地元の公立中学校に行きたいと言っている。
地元の中学には大好きな先輩がいて、一緒に吹奏楽をやりたいから。
そんなことを言うようになったんだな、と嬉しく思う。
ママは相変わらずダメダメだけど、ダメな女にはならないよ。
格好良い女になりたい。
貴女はどんな貴女でもいい。
小さい頃の瞳で十分。
ありがとう。
そしてお誕生日おめでとう!
おさるのさんも、炎のシェイカーとトウモロコシでお祝い
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05.27.08:50 また、ふたりで映画に行ける日を |
戦う相手は口締疫という伝染病、国、人々のこころ。
帰宅するのは朝の3時、4時だそうだ。
私に見えるのは、いつもは少し所在なさげにしていた彼女が、きっと自信を持って毎日働いているであろう姿だ。
こなしても、こなしても、それらが目に見えて効果を上げるとか、苦しんでいる誰かを救うとか、そんな姿を見ることはできないでしょう。
でも、彼女が寝る間もなくやっていることが、この先のいつか、彼女にとって誇れる日が来ると願っています。
そうだったらいいな!と思います。
ね?考えてごらんよ。
去年の今頃の貴女と、今の貴女。
全然違うでしょう?
その理由がなんであれ、貴女は確実に変わってる。
それは素晴らしいことだよ。
今、貴女が見て感じていることで、貴女がまた成長するのでしょうね!
楽しみです。
昨日は宮崎牛をお腹いっぱい食べた!!!!!!!
美味しいかったーーーー!
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05.26.00:05 夢の中で、せめて |
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05.19.10:16 子牛みたいなおばちゃんと |
去年の初夏。
私は母を連れて佐土原の畜産農家を訪ねた。
田んぼのあぜ道を通り、見えてきたいくつかの牛舎は新しいのや古いのや建っていて、セメントで舗装された道の真ん中には背は小さいけれどドラム缶のような、天童よしみのような奥さんがいた。
奥さんは母を見るなり、わざわざ来たとねー!とニコニコしながら大声で挨拶した。
泣き笑いしながら挨拶しているふたりの姿が、とても温かかった。
奥さんのお嬢さんが、祝い事で母の会社から衣装を借りたので、それをお届けがてら、弟が亡くなったときにお見舞いをいただいていたので挨拶に来たのだ、と母が説明した。
牛舎の周りには白い砂のようなものが捲いてあった。
今、話題の石灰だ。
新しい牛舎は最近建ったのだ、と奥さんは言った。
子牛がいるよ!可愛いよ!と、私を案内してくれた。
子牛の写メを撮ろうとすると、「も~」と鳴く。
すると母牛らしい大きな牛が、私を威嚇するように鳴く。
はいはい・・・・ごめんごめん、と写メを撮ると、母牛が「あっちに行ってっ!」という風にまた鳴いた。
いつか夫を日本一の畜産農家にするんだ!と、脱サラして牛を飼いはじめた夫と、ふたりで頑張ってきた。
まだまだ大変だけれど、牛舎も増やした。
おばちゃんは毎日毎日こんなよー!土の色か顔の色か、わからんが、あははー。
もう、急に来るから何も用意しちょらんかったが!こんだけしかないけど、あぐるが、もっていきない。
そう言って、私に千円札を渡した。
その千円札は今でも使わずに、畳んで財布のお守りにしている。
おばちゃんから渡されたとき、一生使わず持っていようと決めたんだ。
そんなおばちゃんたちが、今とても苦しんでいる。
おばちゃんの牛舎は佐土原だから、そう思うけれど、考えるといてもたってもいられない。
おばちゃんは、あんな豪快な人だから大丈夫、そう思うけれど心配になる。
おばちゃんが、母や私をあんなに温かく迎えてくれたのは、おばちゃんも身内を自殺で亡くしていたからだ。
納屋で首をつっていた甥をみつけて、母に「どうすればいい?」と連絡してきたことがあったそうだ。
その時に色々と世話してくれたから、と、おばちゃんはとても感謝していた。
おばちゃんは、私たちをとても優しく迎えてくれた。
何をしてよいかわからないけど、むやみに発生地域に立ち入らないこと、県内から人が集まるイベントを自粛すること、宮崎牛や豚を食べること、おばちゃんのためにも私にできることをしたい。
あんなに健気に頑張っている人たちが、一部の権力者の犠牲になっちゃいけない。
絶対にいけない。
新しい牛舎を建てた日。足元に刻んであった。