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  • 02/11/01:18

05.07.17:32

隙のある女の人になりたい

健やかな隙、のある女のひとになりたい。 by宮沢 りえちゃん ←至極同意 

真剣な恋が終わったあと、ひとりでくよくよと悩む時間はかけがえのない時間。
そんな時間が過ぎたあとは、つぎはぎだらけでも必ず前よりもっと大きな、
深い、広い心を持つ人になるんだと思う。
そして、ああ、あの人に愛されて良かったと、思ってもらえる生き方をするんだ、という誇りこそ、
とても大切なことだと思う。
それは、たった一瞬愛し合った相手に対してであっても、最低限の敬意なんじゃないかな。



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05.06.22:27

三つの愛

すーごく思うところあったのに、その頃これ以上に色々とあって、出しそびれていた話。

a66996d1.jpeg去年の末、年賀状を出す出さない、なんて時期のこと。
私が毎年年賀状を出していた、独身時代の職場仲間の名字で喪中のハガキが届いた。
私も喪中だったのだけど、彼には喪中ハガキを出しておらず、あー出さなくてすんだー、なんてその時は思った。
てっきりお母さんが亡くなられたんだろう、と思ったから。
が、差出人が彼の奥さんになっていて、途端に鼓動が大きくなった。
亡くなったのは、彼、本人だった。
時期を見たら、まだ49日も過ぎていない。
驚いて、まず、連絡しなきゃ!と私が思い立ったのが、彼が職場恋愛していたMだった。

Mはとても・・・・・・・・・そう・・・言ってみれば昔話に出てくるような、見てくれは悪く、頭もそうよくはないけれど、心根の優しい、気立てのよい、よく働く、面白い子だった。
高校を出てすぐに私と同じ下水道の設計会社に就職したMにとって、彼は、初めての男だった。

その彼も、決して見栄えのする男ではなかった。
天パの髪の毛は頭の横半分が剥げていて、風の強い日、一緒に外を歩きながら笑うに笑えなかったことがある。
私を高校時代にしょっちゅう叱っていたソロバンの先生の息子で、背が低く、近眼眼鏡で頭の薄い彼は、私にとって愛玩動物のような存在だった。

Mは優しい子なので、私から適当に扱われている彼をとても気にかけていて、いつの間にかふたりは付き合うようになっていた。
だんだん綺麗になっていくMが意外に可愛くて、恋ってスゲーなぁと思っていた。
ただ、二人にはふたまわりの年の差がある事が、Mの父親にしてみたら心配だったらしい。
Mが彼の子を宿したとき、Mの父親は完全にキレて彼に慰謝料を請求して別れさせたのだった。
しばらくして私が会社を辞め、Mも辞め、Mはその後Mに良く似た面白い男と知り合い結婚した。
子どもも2人できたんだった。

彼らの全てを知っていた私は、どうしてもMに連絡できず、まず同僚だったTに連絡した。
Tも驚き、事情を知らない彼女はMに連絡してくれた。
年末のある日、3人で彼の家にお参りに行こうということになったが、直前、Tが行けなくなり、結局、おあつらえ向きの二人で行くことになった。

久しぶりのMは相変わらずニコニコして、私と二人で行くことになって良かった、と言った。

彼の家に着くと、とても優しげな女の人が「わざわざありがとうございます」と、車を誘導してくれた。
家に入るとお線香の匂いがして、彼の骨と、写真になった彼がいた。
写真の彼はとても幸せそうに笑っていた。
私が思わず、なんて良い顔して写ってるんでしょう!と言ったほどだ。
「これは、就職のために自分で撮ったんです」
奥さんが言った。
そういえば彼の趣味はカメラだった。

年取った彼のお母さんが出てきて、Mを思わず下の名前で呼んだ。
Mはお久しぶりです、と挨拶して、私たちはお線香を上げた。
面と向かうと、どうしても泣けた。

しばらく四人でお茶を飲み、私が毎年年賀状を出していたので、私の名前は知っていたこと、彼が仕事の忙しい建設会社にいて随分無理をしていたから新しいところに仕事を変えたばかりだったこと、朝、仕事に行くために準備をしていて倒れ、そのまま死んでしまったこと、奥さんはぽつぽつ話した。
いつも一緒にいたのに、彼が疲れていたことに気付いてあげられなかった・・・・・と泣いた。

全然!
あんな良い顔してる彼を私は初めて見ました。
きっとすごく幸せだったんでしょうね、結婚したことは年賀状で知っていたけど、あんな男の人と結婚する人がどんな人なのか、実はとても心配だったんです。
今日は奥さんに会えて良かった、彼はとても幸せだったはず。
だってあんな顔で笑ってるんですもん。

お母さんの前なのに、そんなことを奥さんに言った。

奥さんはMに、「失礼ですが、お名前は?」と尋ねた。
Mは現在の姓で答えた。
場が一瞬、緊張したのがわかった。

彼の家からの帰り道、Mは行って良かったと言った。
別れてからは一度も会ってなかったから、と。
Mはひと月ほど前に、道端に立っている彼の幻を見たそうだ。
ちょうど彼が亡くなった頃だ。
そうか・・・彼はあんたに会いに来たんだね、気にしてたんだよ。
Mも、そうですね、と言った。

これは去年の末のこと、なんとも言えず爽やかな気持ちになった出来事だった。
ちょうど私も幻をみたMと同じ頃、友人に、天パで頭の薄い彼の話をしたところだった。






05.02.23:55

音楽が結んでくれるもの

ongakusai1.jpg今日は宮崎国際音楽祭のイベントのひとつ、ストリート音楽祭。
去年は出演した大淀小学校吹奏楽部だけれど、今年は見学で・・・・
パーカッション担当の子どもたち5人を連れて、母親3人と行ってきた。
落書きコーナーでは子どもたちが思い切り「大淀小吹部部員募集中」と書いて、私も、燃え尽きたジョーと葉子と段平を書いてきた。

遠ーいけど、ドラムは井ノ上先生。

橘通りが6つぐらいのステージに分かれていて、それぞれにライブをやっている。
お目当てはラストの宮崎学園吹奏楽部のステージだったが、学校にドラムを教えに来てくれている服部先生や、娘がドラムを習っている井ノ上先生が色んなバンドの助っ人で叩いていた。
大人のコピーバンドを聴くのはダルいけど、中に知ってる人がいれば、まあ許せる。
学生でバンドはじめの子たちのコピーバンドならいいんだけど。
ongakusai2.jpg
服部先生がパーカッションで参加していた石原有輝香というシンガーソングライターは良かった。
服部先生のパーカッションは相変わらず格好良いし。

やっぱりねぇー、こういうイベントを見てると、見てるだけより演奏した方が楽しいだろうと思う。
でも、見ている子どもたちはそれなりに楽しそう。
次から次へと吹奏楽部の連中が集まってきて、あとではけっこうな一団になっていた。
県大会、頑張れー!



ongakusai3.jpg
宮崎学園。ここは演奏は上手いけど、MCはどうにかならんものか・・・・









ongakusai4.jpg車の通っていない橘通り。
ちょっとバニラスカイ。
 







 

04.29.23:11

あなたが世界からこぼれ落ちても

愛しの洋子さま。

gorly.jpg貴女が綴る言葉に浸り、遊ぶとき、私が思うのは、洪水のあと、保険金がわずかの規定はずれで支払われないと判ったとき、自分が生れ育った大切な家ですら忌々しく思う気持ち。

光があれば影がある、そんな当たり前のことをあなたの物語から感じます。
物心ついて初めてだったかもしれません。
なにかが生を謳歌している時、どこかで誰かが死んでいる。
どこかで何かが傷ついている、そんなことに気付いたのは。
そして死や、それにまつわることは(たとえば血や、体液や、骨、腐ってゆく肉体の臭いなど)とても日常的で、私たちはDNAとDNAとの媒介物でしかないこと。

今日、私は牛の眼球解剖をした人の話を聞きました。
彼女は眼球の中にある、水晶体の美しさを興奮気味に話して聞かせました。
まつ毛つきの牛の眼球は、まず視神経から、それがどちらの目なのかを確認する。
次にまわりの脂肪、筋肉を取り除いていき、硬い角膜を切る。
そうして現れた水晶体の美しさに、どれほど感動したかを。
それを通して文字を見たとき、ちゃんと大きく見えたことを。

私たちの体は、何も言わず、控え目に、とても自然に脳からの信号に逆らうこともせず動いています。
眠いなぁと思いながらこの文章を打っている私の眼球にも
美しい水晶体があり、特に何かを主張するわけでもなく、
ただ、水分とたんぱく質の塊なのだそうです。
そう気付くと、何だか偉そうなことを言ったり、したりしていても、
それだけがまるで自分の世界かのように錯覚していても、
所詮、たんぱく質の塊でしかない人間って、愚かで可愛いなぁと感じます。

大好きな小川洋子様、最近では一冊読むことすらままならない要領の悪い私です。

04.14.20:50

きょうの私に

さよならしましょ。

今まで生きてきて、誰かのこと「この人は!」と思ったことはそれほど無い。
ここ5年ほどの間、私はそう思える人たちに出会った。

2c2e5ff4.jpeg話をしていてとても楽しい、似たようなことに腹を立てて、共感しあえて、指摘しあって、ガハガハ笑えて、という友人が何人かいる。
皆、スマートな頭を持っている。
スマートだな、と感じる部分は知識があるとか計算ができるとか、そんなことではない。
素直さと、柔軟さ、だ。
彼らは何かを決めつけない。
自分の気持ちや立場などを考えず、とても公正な考え方をする。
だからきちんと批判もする。
彼らから得る知識を、私は心から信頼している。

そんな大切な友人のひとりが、今日、宮崎から完全に去ってしまうことになった。
彼女は医療従事者の立場で、医療と教育と福祉をつなげようとした人だが、そんなことは望んでいない行政から切られてしまった。
小児科医が足りない、足りない言ってるのに、ばかなことだ。

一緒にお昼を食べて、夕方、彼女が月に一度だけ仕事を許されている現場に行ってみた。
入所している子どもたちの、健康診断のようだった。
「この子たちはみんなそれぞれに個性があって、声のかけ方ひとつに好みがあるの」
そう言って笑ったが、私はそこにたどり着くまでの道のりに、ひどく驚いていた。

県社会福祉事業団の管轄である知的障害児施設。
そこの宿泊ができる棟には初めて入ったが、学園長が鍵を開け・閉めながら進んで行く姿に緊張しながら付いて行った。
薄暗く、お世辞にもきれいとは言えない、まるで肝試しのような場所の、鍵のかかる診察室に彼女はいた。
いつも通りの明るくて優しい笑顔に救われたが、あの建物の雰囲気に私は重く衝撃を受けていた。
心臓に鳥肌が立つような感覚だった。

診察室の空調は悪く、排泄物の臭いが漂っている。
表玄関とは大違いで、建物の奥へと進むにつれてその臭いは強くなっていった。
鍵のかかる廊下、知的障害児たちが思い思いに過ごす部屋、あの奥の棟で私は一日過ごすことはできないだろう。
あの場所で正常な意識を持った者が過ごすには、かなりのストレスを感じるはずだ。
ニュースでよく流れている福祉施設での入所者への虐待は、あのような環境から生まれるのかもしれない。
「人権擁護の推進」と経営方針に謳ってあるが、はたしてあの環境でそう言えるのだろうか。
彼女の雰囲気のおかげで、彼女の周りだけは日常的と言ってもよかった。
けれど空調の悪さで、相変わらず部屋の中は排泄物の臭いがしている。

こっつん、こっつん、
打たれる土は、
よい畑になって、
よい麦生むよ。

朝から晩まで、
踏まれる土は、
よい路になって、
車をとおすよ。

打たれぬ土は、
踏まれぬ土は、
要らない土か。

いえいえ、それは
名のない草の、
お宿をするよ。

『土』 金子みすゞ

誰もかれもが幸せになってほしい。