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02.11.18:09 [PR] |
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03.09.22:40 日々思うこと |
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03.08.22:43 休憩中になりすまし |
何種類かのキャラがあり、私は一番クール♪な感じの男の子。
10代学生・・・・おおおー、30もサバ読んであんたっ!
で、ちょっと核心に触れる質問をされはじめたので「あっ、実は私、女性ですから」とか、徐々にカミングアウト。
続く人が「あー、おいらもっ♪」とか返してくれるので、ホントかどうか知らないけど、この可愛いキャラの裏では、ハゲオヤジとか、おばちゃんとか、LGBTとか、ニートとか引きこもりとか、悲喜こもごもの人生をおくる輩がキーを叩いているんだな・・・・と、余計なことを考えてしまい、俄然楽しくなってきた。
「あー、だるー」と言った私に「ところで明日、何がある?」と尋ねられたので、そういや娘が体育の話しをしてたなぁと「体育」と答えた。
続いて、体育ではどんなことやってるんだ?という話しになったので、「跳び箱で台上前転をやっている」と答えたら、全員から「跳び箱ーーーーーーーーーーーー!」と驚かれた。
私の頃には中学・高校までやってた記憶があるんですが・・・・・
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02.27.22:38 しまんちゅぬたから |
2009年度に宮崎県内で閉校、または休校になる小中学校が20何校あるとか。
そのうちの1校で、児童減少のために休校になる串間市築島の市木小学校築島分校。
今日はその築島分校の75周年式典を兼ねた休校式の写真を撮りに行ってきた。
南郷町道の駅から少し南へ行った舳(へた)漁港から漁船に乗る。
漁船に乗ったのは初めてだったし、今日はずいぶん波が高くて心配だったが、お~揺れる揺れる~♪と写真を撮ってるうちに着いてしまった。
そりゃそうだ、目の前だもん。
遠ざかっていくへた漁港と、漁船がつくる波しぶきには演歌の心を感じたぞ。
多分自転車は一台もないはずの、すごい坂道を歩いていくと「集会所」と呼ばれている場所が体育館を兼ねていて式典の準備がされてある。
すぐ隣は島人のお墓になっているが、景色に溶け込みすぎていて、おはか~という感じがしない。
今日は島をあげての式典ということもあってか、10基ほどのお墓全部に綺麗なお花が入っていた。
名前は「築島」さんか「近藤」さんのみ。
集会所から、坂道をちょっぴり上がると校舎がある。
私が通っていた幼稚園を思い出させるようなたたずまい。
そこでは分校の生徒たち3人が出迎えてくれたが、とっても可愛い。
3・4・5年生の女の子たち。
今日は主役だね!
集会所から港の方には、小さな祠がふたつある。
山の神さまと海の神さまらしい。
こんにちはと挨拶してきた。
式典には串間市長なんかが見えていたので、来賓あいさつなんかがダルイなぁと思っていたが、そのあとは全て子どもたちや島民が主になった構成だったので、他人事だというのに感動して泣いてしまった。
この学校が、島の核になっていたんだなぁと思った。
子どもたちや、赴任してくる先生たちの存在が、島民たちの刺激になり、生活の一部になっていたことがよくわかる。
なんてったって島民約40人。
分校のある島の西側に家は全戸建っている。
せっかくだから一周しようと思ったが、半分から先は、けもの道しかなかった・・・・・・・
3人とも元気だけどおっとりとした、可愛い女の子たち。
外に出るのが少し早まったけど、きっと楽しいはず。
そのまま築島に残る子はひとりだけど、まだ小さい妹が小学生になるときには、また分校が再開するといいね。
その可能性は限りなくゼロに近いけれど、あの可愛い校舎で勉強していた3人が、あまりに可愛いくて聡明だったので、島や彼女たちの未来がどうか明るいように、と、つい願ってしまった。
分校の全景
マンホールのふたには地域性が出ていて面白いんだな。
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02.22.10:04 外を見てみる |
どうしてそうしてしまうんだろう。
叩く手も蹴る足だって痛いだろうに。
被害者が、乳児だ3歳だと聞く度にいたたまれない。
彼らが最後に見たものは何だったんだろう?
私は子ども好きではない。
大人好きでもないので、相手が子どもだろうと大人だろうと、接し方はいたって普通だと思う。
自分の子どもでなくても食事の仕方が汚いと(机にひざをつけてたり、口を開けたまま物を噛むとか、汁ものをよそ見しながら飲んでるとか、ご飯を食べるのに茶碗を持ってないとか、洋食じゃないのに左手を下に置いたまま食べるとか・・・・・・・・・うるせーおばちゃんだなぁ(^^ゞ)注意する。
身内なら余計に注意する。
だけど、叩いたりはしない。
つねったりもしない。
縛ったりなんてしない。
熱湯をかけたり、石を投げたり、寒い夜に外に出したり、食事を食べさせないなんてしない。
動物にだってそんなことしない。
体で覚えるのは、スポーツだ。
あいさつや、食事の仕方や、生き方は、体で仕込まれるものではない。
ダウン症の特性は、おとなしく、陽気で優しい、と聞いているが、そんなことは関係なく、自分たちが出来ることで出来ない人をサポートする、という、いたって普通のことをやっていた。
そういう仕事の体制が整って、社会的に認知されるといいなぁと感じた。
彼らに出来ること、社会的な役割があると判れば、彼らの親たちも安心だろうと思った。
ただ、そんな幸せな空気のある場所にいる子たち、親たちばかりではない。
人々が十人十色であるように、ダウン症も肢体不自由児も、親たちも幅広い。
音楽療法を見学しながら、この場所に来ることのない人たちもいるだろうことを思った。
そして、今、こうしながらもどこかで誰かが苦しんでいることを。
周りを変えようなんておこがましいし、苦しんでいる誰かを助けることもできないから、私は自分の子どもを精一杯愛する。
私たちは生まれてきたのだから、きれいだねぇ、嬉しいねぇ、楽しいねぇ、と笑っていられるように。
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02.21.00:48 約束 |
その人のことが私は大好きなので、その時まで、また会えるんだなぁ、嬉しいなぁと思った。
馬鹿に正直なところがあるので、誰かとお別れするとき「いつか、また」という言い方は苦手だ。
そのあとに続くはずの言葉を(会おう・会いたいね)、そんな相手にさらさら感じないから。
もう会う気がないなら、はっきりと「さよなら」と言うし、必要ないからアドレスに残したりもしない。
それは一度は仲良くなった相手への、礼儀だと思っている。
もし、また仲良くなる可能性が残っているなら、私は決して自分からさよならは言わない。
さりげなく、毎日なにかしらの未来への約束をする。
いったい、どれだけの人がそれらを心に留めておけるだろう。
見て見ぬふりして過ごすこともあるだろう。
いつかそこに言いわけしなくてすむように、できない約束はしない。