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02.11.23:46 [PR] |
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02.17.23:53 日の丸がんばれ |
それまではえらく、国旗は掲げません!国歌は歌いません!なんて言ってる連中が影をひそめるのである。
頬に日の丸を描いたり、日の丸を両手で掲げたり、ヤンキーよろしく日の丸を身にまとう観客も現れる。
国歌が流れ、胸に手を当てて聴いている選手、観客もいる。
そんな姿を頬笑みをたたえ、マスコミもこぞって流すのである(でもでも、選手が日の丸をまとった姿を放映しない場合もある・・・・・)。
不思議やぞ、あれほど学校の入学式や卒業式なんていう人生の節目に、そんなことするのは断じて拒否します!なんて言う人たちもおるのに。
日本が誇る自動車メーカー、トヨタが社運をかけて開発したハイブリッド・カー「プリウス」のリコール問題で揺れている。
なんでそういうことになった、とかいうのは、判っている人は判っているからこの際、ここでは出さない。
困ったことに、日本が世界に誇る大企業・トヨタについて、日本のマスコミがあまり擁護していない。
なぜ?
まさかと思うが、ニュースのネタにしてるだけ?
まさか他人の不幸は蜜の味、なんて思ってる?
というか、ほとんどテレビ局だが、彼らがどれだけの知性を以ってニュースを流しているのだろう・・・
小泉自民党が郵政民営化を問う!造反者には刺客を送る!なんて選挙のときにも、マスコミは「そのことだけ」取り上げた。
多くの国民たちは、それ以外に自衛隊を海外に派遣するとか、郵政民営化自体がアメリカにものすごい額のお金をお渡しするための政策であったとか、そんなことは露ほども考えずに自民党を大勝させたのである。
あ、こないだの政権交代も、ねっ♪
こういうこと(アメリカでやいのやいの言われてしまったトヨタのリコール)が起きるとつくづく思うのが、日本人って自国をどう考えてるんだろう?ということ。
たまに、北朝鮮の総書記マンセー!さを、ちょっと見習おうかな、なんて思ったりもする。
プリウスユーザーのhalupyさんが、日本がんばれ!トヨタがんばれ!とブログで吠えていたのを読んで、おう!その通りだぜ!と追従した。
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02.15.01:51 大事なのはバランスかな |
この藤原さんという人、実際に話を聞くまではあまり印象のない人だったのに、語り口の優しさといい、雰囲気の温かさプラス凛とした見た目、というバランスの良さがとても素敵な女性だった。
仕事をバリバリやっているからか、自分の力が全て、だからか、売りが「女」ではないのに女らしい、格好良い人。
彼女の話に触発され、今日は午前中にメイク用ブラシにアイシャドウ2色を購入してしまった。
ふっふっふっ・・・・次、お会いする時の私はちょいと違うかもしれません・・・・・・・・
藤原さんを見ていて思い出したこと。
ずっと前から無意識に思っていたが、私は男女関係なく、どっちにもモテたい。
その方が、私には格好良いと思えるから。
ほとんどの場合そうだけど、男性が「いい!」という広末涼子は女性には評判悪い。
どうやら男性から見ると彼女、色っぽいらしい。
やらせてくれそう、という意見も聞いたことがある。
そこが判らないところだが、私、広末涼子は子どもにしか見えない。
なので彼女のラブシーンは居心地悪いし、気持ち悪い。
演技力もあるとは思えず、たまたま「おくりびと」に出ていたから(あの作品では彼女だけ超ミスキャストだったと思う)主役級ぽい扱いになっているとしか思えない。
「花と蛇」の彼女にはくらくらした。
で、杉本彩を嫌いな女性は、あまりいないと思う。
広末涼子はどう見ても普通なのに男性にモテてるのが許せず、杉本彩だと敵わないから仕方ないな、みたいな感じだろうか。
杉本彩の姉御風な感じが女性に受けている、というのでは面白くない。
彼女には女性らしさに加えて、男前な感じがあるんだと思う(デカイからじゃん?とか言わないように!)。
ということで目指すなら断然、杉本彩。
どんなに適わない目標だとしても!
彼女のトークショーをお金出してまで聞きたいほどファンではないけれど、彼女の語る「男の落とし方」なんて別に興味もないけれど、ぜーったいにあんな胸には今さらなれないとはわかってはいるけれど、あの雰囲気は気持~ち、目標にしてます・・・・・
ところで、今朝(2/15)の宮崎日日新聞27面に載っている写真の上村愛子は格好良い。
冬美ちゃんも好き。
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01.31.22:49 馬に蹴られて |
昨日と今日、パシリみたいな仕事で朝から閉館まで図書館にいた。
ある町の資料集めで明治28年から去年までの地元紙、宮日新聞の記事を読んでいた。
明治28年から平成2年までの新聞は、マイクロフィルムに収められている。
金曜日にはちらっと様子見で、全然関係のない「太平洋戦争開戦」だの、「玉音放送」だのを試しに探してみた。
なんとなく切ない気持になったのが、終戦の頃の新聞が、紙面の半分ほど真っ白だったこと。
戦後、少しずつ生活が落ち着いてきたころの三面記事は面白い。
「発狂した夫、妻と子を食べる」
「結婚を嫌って家出」
「寝床大爆発」
「馬に蹴られて幼児死亡」
などなど。
誰それが心中した、という記事もかなりあったのだが、中でも「おお!」と思ったのが、男同士で、という心中記事がふたりの顔写真入りで大きく載せられていたこと。
年や月が限られて読んでいたのに、2件見つけた。
その中の1件には「変質的な関係にあり」とあった・・・
彼らの友人にも話を聞いていて、「ふたりは大変お酒を飲むのが好きだった。きっと給料だけでは足りなかったので、厭になったのだろう。それしか考えられない」と、載っていた。
ナイス、友人。
馬に蹴られて亡くなっている人たちがけっこういる、というのは時代を感じる。
また、寝床大爆発は、自宅の地下に戦時中の爆薬を隠していて、それが爆発したのだとか。
結婚を嫌って家出した娘は、両親から許嫁を勝手に決められ、嫌がって家出したらしい。
彼女の身長は四尺七寸。。。。。何センチ?
発狂した夫、というのは宮崎ではなかったが、なんでも仕事で大変な目にあい、衝動的に妻と息子を殺し、お腹を切り裂いて内臓をまさぐっていたとか、首を切断していたとか・・・
なんとなく、まだテレビも各家庭に普及してない時代なので、事件の扱い方がまさに三面記事らしいというか、カストリ雑誌ぽくて面白い。
性病を持っている女性の仕事の割合なども調べられていた。
一位は旅館の仲居、その後、カフェーの女給、なんてものもあった。おいおいおい。
紙面に大きく映画の広告が出ているのも特徴。
載っていない日はないぐらい。
映画館もかなりの数。
東映三本立て、とかで、若山富三郎のなんたらと、肉欲のなんとか、みたいなエッチな感じのが二本ついていて、エッチな写真入りで広告がでていた。
映画がしっかり娯楽だった時代なんだわ。
「欲望という名の電車」を三名の識者が語る、という企画も興味深いものだった。
座談会形式で、参加していた女性がマーロン・ブランドにはセックスアッピール(この言い方が素敵)を感じた、と語っていたが、この映画の彼・・・私もそう感じた。
ということで、仕事は進まず、目は疲れ、だけど面白い経験だったす。
ある町の資料集めで明治28年から去年までの地元紙、宮日新聞の記事を読んでいた。
明治28年から平成2年までの新聞は、マイクロフィルムに収められている。
金曜日にはちらっと様子見で、全然関係のない「太平洋戦争開戦」だの、「玉音放送」だのを試しに探してみた。
なんとなく切ない気持になったのが、終戦の頃の新聞が、紙面の半分ほど真っ白だったこと。
戦後、少しずつ生活が落ち着いてきたころの三面記事は面白い。
「発狂した夫、妻と子を食べる」
「結婚を嫌って家出」
「寝床大爆発」
「馬に蹴られて幼児死亡」
などなど。
誰それが心中した、という記事もかなりあったのだが、中でも「おお!」と思ったのが、男同士で、という心中記事がふたりの顔写真入りで大きく載せられていたこと。
年や月が限られて読んでいたのに、2件見つけた。
その中の1件には「変質的な関係にあり」とあった・・・
彼らの友人にも話を聞いていて、「ふたりは大変お酒を飲むのが好きだった。きっと給料だけでは足りなかったので、厭になったのだろう。それしか考えられない」と、載っていた。
ナイス、友人。
馬に蹴られて亡くなっている人たちがけっこういる、というのは時代を感じる。
また、寝床大爆発は、自宅の地下に戦時中の爆薬を隠していて、それが爆発したのだとか。
結婚を嫌って家出した娘は、両親から許嫁を勝手に決められ、嫌がって家出したらしい。
彼女の身長は四尺七寸。。。。。何センチ?
発狂した夫、というのは宮崎ではなかったが、なんでも仕事で大変な目にあい、衝動的に妻と息子を殺し、お腹を切り裂いて内臓をまさぐっていたとか、首を切断していたとか・・・
なんとなく、まだテレビも各家庭に普及してない時代なので、事件の扱い方がまさに三面記事らしいというか、カストリ雑誌ぽくて面白い。
性病を持っている女性の仕事の割合なども調べられていた。
一位は旅館の仲居、その後、カフェーの女給、なんてものもあった。おいおいおい。
載っていない日はないぐらい。
映画館もかなりの数。
東映三本立て、とかで、若山富三郎のなんたらと、肉欲のなんとか、みたいなエッチな感じのが二本ついていて、エッチな写真入りで広告がでていた。
映画がしっかり娯楽だった時代なんだわ。
「欲望という名の電車」を三名の識者が語る、という企画も興味深いものだった。
座談会形式で、参加していた女性がマーロン・ブランドにはセックスアッピール(この言い方が素敵)を感じた、と語っていたが、この映画の彼・・・私もそう感じた。
ということで、仕事は進まず、目は疲れ、だけど面白い経験だったす。
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01.07.12:06 映画を観る |
新しい年になり、毎日寒い日が続く。
それでもトラ年ということで、宮崎キネマ館では1週間限定で寅さん映画を4本上映している。
昨日まででようやく2本観たが、どちらも面白かった。
感想はのちほど。
観た後に「貴女は映画に何を求めているの?貴女にとって映画って何?」と尋ねられた。
なんだ?その質問。
考えたこともなかったから戸惑った。
上手く言葉にできず、悔しいので少し考えて、メールしたのがコレ↓
「とある件で映画観るのも馬鹿馬鹿しくなってた頃に観た「パンズラビリンス」は、とても残酷なファンタジーでしたが、主人公と妙に(私を)リンクさせてしまい、ラストの小さな木の芽に私の気持ちの何もかもが救われました。
「ガマの油」は(自分にとって)気休めでも独りよがりでも、弟もあんな風にどこかで笑っているかも?と思わせてくれた。
「空気人形」は私たちに、生きて、捨てられ死ぬことは、虚ろでも淋しいままでも、そのままでいい、美しい、と優しい風を送ってくれた。
文学や絵画や音楽、ファッションを含む映画は、総合芸術なので、私たちに何かを訴えるツールとしては究極ですね。
それも娯楽という形をとっているので堅苦しくなく、身近。
たまに映画を芸術である、と言う人もいるけれど、私はあくまでも娯楽だと思っています。
で、そういうことなんです。
たとえ(観終わって)暗い気持ちになっても、私は映画を観て、面白いから観る。
同じ作品を観た誰かと、あの時の、あの顔がいいね、素敵だったねなんて話すのが嬉しいんです。
経験したことより深い感動は(映画には)ありませんが、心の中の引き出しを開ける鍵になります。
その鍵は、たまに、死んでしまいたいと思うほどの傷をも、癒す薬を見つけてくれます」
小さい頃から私の日常には映画館に行く、という行為があった。
それはテレビを観ることと同じくらい普通に。
私の祖父や両親の世代にはまだ、娯楽=映画、という気持ちがあったからか、
「ニューシネマパラダイス」に出てくるような、雑然とした映画館でざわざわと観客がごった返しながら映画を楽しむことが、子どもの私には普通だった。
もちろん、今のように映画が始まる前に、禁煙です!携帯切れ!とか、ポップコーン飛ばすな!とか、話するな!なんて画面から注意されることもなかった。
また、夜11時すぎるから子どもは来ちゃダメ!なんて言われることもなかった。
煙草臭い館内、ポテトチップはここでだけ食べられる、夜でも親と行ける、そしてうるさい客がいたら父が怒鳴る、それが私にとっては映画だった。
映画は猥雑な娯楽、決してお行儀のよいものではなく。
子どもで意味が判らなくても、その時の記憶はどこかにあって、
そしていつか何かの拍子にポコッと表れる。
または、いくつかの経験を経て、忘れていた記憶を呼び覚ましてくれる。
気持ち良くなったり、落ち込んだり、気付いたり、歳を重ねるにつれ自分自身と向き合う道具にもなっていく。
文句なし素敵なものなのです。
で、四の五の言うなっ!
好きだから観る。
それだけでまた、今年もどんな作品に会えるのか楽しみです!
それでもトラ年ということで、宮崎キネマ館では1週間限定で寅さん映画を4本上映している。
昨日まででようやく2本観たが、どちらも面白かった。
感想はのちほど。
観た後に「貴女は映画に何を求めているの?貴女にとって映画って何?」と尋ねられた。
なんだ?その質問。
考えたこともなかったから戸惑った。
上手く言葉にできず、悔しいので少し考えて、メールしたのがコレ↓
「とある件で映画観るのも馬鹿馬鹿しくなってた頃に観た「パンズラビリンス」は、とても残酷なファンタジーでしたが、主人公と妙に(私を)リンクさせてしまい、ラストの小さな木の芽に私の気持ちの何もかもが救われました。
「ガマの油」は(自分にとって)気休めでも独りよがりでも、弟もあんな風にどこかで笑っているかも?と思わせてくれた。
「空気人形」は私たちに、生きて、捨てられ死ぬことは、虚ろでも淋しいままでも、そのままでいい、美しい、と優しい風を送ってくれた。
文学や絵画や音楽、ファッションを含む映画は、総合芸術なので、私たちに何かを訴えるツールとしては究極ですね。
それも娯楽という形をとっているので堅苦しくなく、身近。
たまに映画を芸術である、と言う人もいるけれど、私はあくまでも娯楽だと思っています。
で、そういうことなんです。
たとえ(観終わって)暗い気持ちになっても、私は映画を観て、面白いから観る。
同じ作品を観た誰かと、あの時の、あの顔がいいね、素敵だったねなんて話すのが嬉しいんです。
経験したことより深い感動は(映画には)ありませんが、心の中の引き出しを開ける鍵になります。
その鍵は、たまに、死んでしまいたいと思うほどの傷をも、癒す薬を見つけてくれます」
小さい頃から私の日常には映画館に行く、という行為があった。
それはテレビを観ることと同じくらい普通に。
私の祖父や両親の世代にはまだ、娯楽=映画、という気持ちがあったからか、
「ニューシネマパラダイス」に出てくるような、雑然とした映画館でざわざわと観客がごった返しながら映画を楽しむことが、子どもの私には普通だった。
もちろん、今のように映画が始まる前に、禁煙です!携帯切れ!とか、ポップコーン飛ばすな!とか、話するな!なんて画面から注意されることもなかった。
また、夜11時すぎるから子どもは来ちゃダメ!なんて言われることもなかった。
煙草臭い館内、ポテトチップはここでだけ食べられる、夜でも親と行ける、そしてうるさい客がいたら父が怒鳴る、それが私にとっては映画だった。
映画は猥雑な娯楽、決してお行儀のよいものではなく。
子どもで意味が判らなくても、その時の記憶はどこかにあって、
そしていつか何かの拍子にポコッと表れる。
または、いくつかの経験を経て、忘れていた記憶を呼び覚ましてくれる。
気持ち良くなったり、落ち込んだり、気付いたり、歳を重ねるにつれ自分自身と向き合う道具にもなっていく。
文句なし素敵なものなのです。
で、四の五の言うなっ!
好きだから観る。
それだけでまた、今年もどんな作品に会えるのか楽しみです!
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12.31.01:51 誕生 |