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02.13.22:16 [PR] |
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05.18.08:00 阿修羅のごとく |
長い行列が話題になっていたので、「まさか阿修羅で?」と思っていたらやっぱり阿修羅展だった。
ばかー!くやしい・・・
その上、仏像好きが増えてるだとー!?
たしかに阿修羅は仏像には違いないけど「仏像」ってひとくくりにしてほしくないわー。
ってか、あんな風にあの人を取り上げてほしくないわー!
いいんだってば、阿修羅は教育テレビの夜10時45分、みたいな微妙な時間帯にひっそり取り上げてくれれば。
私の阿修羅をー!
私の阿修羅をー!
あの人の周り一周するのに20分近くかかる、なんて話題にしないでー・・・!
この腹立ちはなんなんだ。
嫉妬かー!
ああ・・・くやしい、会いたい、阿修羅に。
そんな阿修羅が九州にも来てくれる、って話しも出し惜しみしてたのにー。
太宰府の九州国立博物館で7月14日~9月27日。
何がなんでも行かなければ。
興福寺の改修工事に伴って旅にでた阿修羅さまたち。
10代からの憧れの君に会えるので、今から緊張している。
きっと泣くと思う・・・
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05.16.01:30 共存する脳 |
感覚を司るのが右、言語や理性・知性を司るのが左。
ハーバード大学で脳科学の専門であるジル・テイラー博士は、ある日脳卒中をおこす。
リハビリで回復するまでの期間、彼女は奇跡のような日々を過ごす。
なぜなら「脳科学者が脳卒中だなんて素晴らしい体験!」。
身を持って自らの研究を知ることができる。
左脳の機能が停止。
自分で脳卒中だと気づくまでに、不思議な感覚に陥る。
体の境目がわからない。
体の境目がわからないから自分自身の存在が大きく広がっていくようだ。
こんなに大きい私には、あの入れ物(体)は小さかったろう・・・
などという、奇妙な感覚。
右脳だけになってしまったテイラー博士は、すべての名前のない世界にたたずみ、実体がなく、ただのエネルギー体として自分を認識した。
自分以外のすべてのものを、そう意識した。
それは素晴らしい体験だった。
しがらみや、対立もなく、穏やかに。
そうして思った。
全ての人々が、自分の意識を左脳から右脳へ、または逆へと、思い通りに行ききできたら・・・
ストレスのない社会。
人々はみんな美しく、穏やかで慈悲深いに違いない、と。
私の大好きなブログの作成者・新蔵さんのネタ。
面白いので打たせてもらいました、ありがとうございました。
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05.14.00:12 道をゆずる |
車を運転していると、信号機のない小さい道から大きい道へ発進とか、大きな道沿いにある駐車場から大きな道へ発進とか、そういう場面はたくさんある。
ひどく混んでいる道などで、どうぞ、と道を譲ってくれる人には恋心にも似た気持ちの盛り上がりを感じる。
仕事で行ったとある場所で、話を聞いていた人と取材以外の話で盛り上がってしまい、「あ、こんな時間ですね、食事はしてこられましたか?」と尋ねられ、食べてないけど、いつもこんなでどこそこで食事にありついているため、今回は「食べてきたんですよー」と嘘ついてしまった。
「あー、残念!うちのサイコロステーキは自慢なんですよ♪」
サイコロステーキ・・・・
サイコロステーキ・・・・
あー!牛をどれぐらい食べてないだろう!
「でも、おみやげは持って帰ってください」
わぁ♪なんだろう♪ちらし寿司かなぁ、それとも鰻のかば焼き弁当かなぁ♪
と、期待していたらしばらくして申し訳なさそうに、
「45さん・・・すみません。きらしちゃいました。でも、大丈夫、送りますから!」
いえいえ!そこまでしていただかなくていいですよ、申し訳ないです。
と、丁重にお断りして帰宅の途についた。
期待が大きかったのでお腹のすき具合もかなりで、これは新山いちご園のソフトクリームでも食べて帰らねば途中で低血糖になってしまう、また貧血起こして倒れてしまう。
そんなときはダメなことが連鎖するもので、新山いちご園のソフトクリーム屋は閉まっていた・・・
今日はおしまい?臨時休業?私が格好つけたばっかりにサイコロステーキも食べ損ね、4時前だというのにさっき出して下さったアイスコーヒーしかお腹の中にはない。
お腹すいた・・・
ガムとチュッパチャップスで血糖値を上げなければ貧血おこす。
まったく・・・この道ったら田舎道なのにどーしてこんなに車が途切れないの!
と、新山いちご園の向いにあるコンビニに駆け込みたくて腹を立てていると、気合いの入ったヤン車が静かに停まってライトをぱかっと光らせた。
ナイス!ヤンキー!ありがとう!
最近のヤンキーにありがちなサングラスをかけて、髪の色は皿に出したプリンのような男の子だった。
それでもいい。
ありがとう、ヤンキー兄ちゃん。
あなたのお陰で私は貧血起こさずにすみました。
好きよー!
ひどく混んでいる道などで、どうぞ、と道を譲ってくれる人には恋心にも似た気持ちの盛り上がりを感じる。
仕事で行ったとある場所で、話を聞いていた人と取材以外の話で盛り上がってしまい、「あ、こんな時間ですね、食事はしてこられましたか?」と尋ねられ、食べてないけど、いつもこんなでどこそこで食事にありついているため、今回は「食べてきたんですよー」と嘘ついてしまった。
「あー、残念!うちのサイコロステーキは自慢なんですよ♪」
サイコロステーキ・・・・
サイコロステーキ・・・・
あー!牛をどれぐらい食べてないだろう!
「でも、おみやげは持って帰ってください」
わぁ♪なんだろう♪ちらし寿司かなぁ、それとも鰻のかば焼き弁当かなぁ♪
と、期待していたらしばらくして申し訳なさそうに、
「45さん・・・すみません。きらしちゃいました。でも、大丈夫、送りますから!」
いえいえ!そこまでしていただかなくていいですよ、申し訳ないです。
と、丁重にお断りして帰宅の途についた。
期待が大きかったのでお腹のすき具合もかなりで、これは新山いちご園のソフトクリームでも食べて帰らねば途中で低血糖になってしまう、また貧血起こして倒れてしまう。
そんなときはダメなことが連鎖するもので、新山いちご園のソフトクリーム屋は閉まっていた・・・
今日はおしまい?臨時休業?私が格好つけたばっかりにサイコロステーキも食べ損ね、4時前だというのにさっき出して下さったアイスコーヒーしかお腹の中にはない。
お腹すいた・・・
ガムとチュッパチャップスで血糖値を上げなければ貧血おこす。
まったく・・・この道ったら田舎道なのにどーしてこんなに車が途切れないの!
ナイス!ヤンキー!ありがとう!
最近のヤンキーにありがちなサングラスをかけて、髪の色は皿に出したプリンのような男の子だった。
それでもいい。
ありがとう、ヤンキー兄ちゃん。
あなたのお陰で私は貧血起こさずにすみました。
好きよー!
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05.10.00:59 心ゆくまで嘆く自由 |
慶応大医学部の渡辺久子先生。
彼女の著書を読んでいると、「あなたはそのままでいい」んだと力強くうなずいてもらっている気がする。
傷ついたら傷ついた、悲しいなら悲しい、寂しいなら寂しい、と、自分の負の気持ちに蓋をせずに体験し、そこから動けずに見つめ続けることが、人間としての証なのだ、と語りかけてくれてる気がする。
大きな喪失感。
3月から今日まで、私が体験したいくつかの喪失感は、言葉にするとあまりにも馬鹿馬鹿しい。
馬鹿げていて、おまけに物語じみている。
そのいずれも相手は自分のことしか考えていない。
羨ましいほどに。
さりげない愛情。
その間、私にひそやかに寄り添ってくれた人たち。
遠慮がちに食事に誘ってくれたり、メールで何度も心配してくれたり、ライブに連れて行ってくれたり、花やお線香をあげてくれたり、ドライブに連れて行ってくれたり付き合ってくれたり・・・
そのいずれにも温かい気持ちを感じて、どんなに嬉しかったか。
彼らに悪いと思いつつも、その時その時の私の気持ちをその場で吐露することが、どれだけ救いになっているか。
今の私に声を掛けることが、どれだけ気を使うことなのかがよく分かるから、そんな彼らの勇気と優しさには心から感謝する。
ひとりの友人が言った。
「隠している気持ちを表に出すことで、得られるものがきっとある」
それはわかるけれど、やはり程度がある。
渡辺先生は、
「人としての成熟のための試練は過酷だけれど、葛藤の炎をくぐりぬけた後にくる透明な明るく悲しい世界は、愛の美しさを有無を言わさず納得させてくれる」
先生、本当にそんな心の美しさを私が得られるのでしょうか?
そのために私の心はまだ暗い場所で思うままに居ても良い、とおっしゃるのですか?
一日、一日が過ぎていく。
なるべく用事を作る。
普段通り早起きして、娘を学校に送り出し、家の中の用事をすませ、外に出ていく。
夜はつい遅くまで起きていてしまうけれど、その間によく本を読むようになった。
なるべく文字に触れ、言葉を考えるようになった。
「死」は身近にあるということを知った。
何かを失うことが、とても怖くなった。
または最初から期待しなくなった。
急に涙がこみ上げてきて、頭を抱えてしまうようになった。
もしも私が心の闇に何もかも取り込まれてしまったら、どうかその時は遠慮なく叱ってください。
または、ぎゅーっと抱きしめてください。
素朴な勇気と優しさを持って、密やかに私を守ってください。
理不尽な世界に生きるあなたたちのことを、同じ世界に住む私も全力で守りますから。
彼女の著書を読んでいると、「あなたはそのままでいい」んだと力強くうなずいてもらっている気がする。
傷ついたら傷ついた、悲しいなら悲しい、寂しいなら寂しい、と、自分の負の気持ちに蓋をせずに体験し、そこから動けずに見つめ続けることが、人間としての証なのだ、と語りかけてくれてる気がする。
3月から今日まで、私が体験したいくつかの喪失感は、言葉にするとあまりにも馬鹿馬鹿しい。
馬鹿げていて、おまけに物語じみている。
そのいずれも相手は自分のことしか考えていない。
羨ましいほどに。
さりげない愛情。
その間、私にひそやかに寄り添ってくれた人たち。
遠慮がちに食事に誘ってくれたり、メールで何度も心配してくれたり、ライブに連れて行ってくれたり、花やお線香をあげてくれたり、ドライブに連れて行ってくれたり付き合ってくれたり・・・
そのいずれにも温かい気持ちを感じて、どんなに嬉しかったか。
彼らに悪いと思いつつも、その時その時の私の気持ちをその場で吐露することが、どれだけ救いになっているか。
今の私に声を掛けることが、どれだけ気を使うことなのかがよく分かるから、そんな彼らの勇気と優しさには心から感謝する。
ひとりの友人が言った。
「隠している気持ちを表に出すことで、得られるものがきっとある」
それはわかるけれど、やはり程度がある。
渡辺先生は、
「人としての成熟のための試練は過酷だけれど、葛藤の炎をくぐりぬけた後にくる透明な明るく悲しい世界は、愛の美しさを有無を言わさず納得させてくれる」
先生、本当にそんな心の美しさを私が得られるのでしょうか?
そのために私の心はまだ暗い場所で思うままに居ても良い、とおっしゃるのですか?
なるべく用事を作る。
普段通り早起きして、娘を学校に送り出し、家の中の用事をすませ、外に出ていく。
夜はつい遅くまで起きていてしまうけれど、その間によく本を読むようになった。
なるべく文字に触れ、言葉を考えるようになった。
「死」は身近にあるということを知った。
何かを失うことが、とても怖くなった。
または最初から期待しなくなった。
急に涙がこみ上げてきて、頭を抱えてしまうようになった。
もしも私が心の闇に何もかも取り込まれてしまったら、どうかその時は遠慮なく叱ってください。
または、ぎゅーっと抱きしめてください。
素朴な勇気と優しさを持って、密やかに私を守ってください。
理不尽な世界に生きるあなたたちのことを、同じ世界に住む私も全力で守りますから。
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05.09.21:00 酢豚の中身 |