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  • 02/14/01:22

05.06.16:01

空飛ぶイルカは格好良かった

T-4.jpg宮崎では毎年この時期になると国際音楽祭が開かれる。
何年か前まで故アイザック・スターン氏を中心に室内楽音楽祭として開催され、彼が亡くなって国際音楽祭と名称を変えて今年で14回。
予算が少なくなって開催を危ぶまれてもいたが、なんとかやっている。

その一環として、昨日は宮崎市のメインストリートを歩行者天国にし、ストリート音楽祭が開かれた。
プロからアマチュアまで、多くの音楽愛好者たちが演奏し、聴衆を楽しませてくれた。

今年はオープニングで航空自衛隊西部航空音楽隊が演奏することになり、セレモニーとして自衛隊機T-4(ドルフィン)がメインストリート上空を飛ぶ!というイベントがあった。
それに物申す人たちがずいぶんたくさんいたらしい。
騒音が気になる、危険である等、はっきり言うが「憲法9条を守る」人たちがイベントに対して猛抗議していたそうだ。
たしかに音楽には関係ないんですがね。。。でも見たいじゃない。

さすがにデモなどはしておらず、実行委員の人たちは大変だったろうが、上手に対応してくれていたのだろう。
お疲れ様でした。

t4.jpg3機のT-4が飛んだ。
格好良かった。
昔、お付き合いしていた戦闘機乗りのことを思い出した。
新田原の基地から飛びたつ練習機に、わくわくしていたことを思い出した。
危険性に配慮して、騒音はなかったし、ゆっくりすべるように空を行く3機の戦闘機は美しかった。
ただ滑るように空を行った。
音をたてず行くそれは口輪をかまされた闘犬のようであり、こんなもんか・・・という印象は否めなかった。
その後の演奏中に飛んできた民間飛行機のほうが、よっっっっっっっっぽどうるさかった。
それで抗議していた人たちの気持ちをくんだのだから、仕方ないのかな。


もし、私が先の大戦で米英露中に愛する人を殺されていたら、どう思っただろうか。
日本の軍国主義に翻弄され、愛する人を失っていたら、どう思っただろうか。
あの頃にあの飛行機があれば!と思うだろうか。
それとも、平和を守るためにこそ武器は捨てねば、と思うだろうか。

全体主義は嫌いなので、足並みそろえて「鬼畜米英!」(これはたとえで(笑))などと叫びはしない。
ただ、あのような非常時においては生き残るためにきっと上手く世渡りするように思う。
または愛する人のため、自分の心の正義のため、戦って凌辱されることを厭わないかもしれない。
あとで犬死にのように思えても、そんな風に死んでいった人々も大勢いただろう。
誰にも理解されずにひっそりと死んでいった人々も大勢いただろう。

北朝鮮が今の体制を失い、北と南が平和的に統一されたら?
中東の人々が憎しみの連鎖を断ち、石やトタンや心の壁を取り払ったら?
世界中の一部の金持ちが、天国まで持っていこうかとするようなマネーゲームを止めたら?
資源をたくさん持った貧しい国を利用することを止めたら?
世界はどうなるのだろう。
私たちはまた新しい戦いを、どこかに挑むのだろうか。

国境は、あって然るべきだと思う。
私たちが住まいに壁を作ることと同じだと思う。
動物だってお互いの縄張りを持ち、暮らしている。

色んな考え方の人がいて、出会って、一緒にいたいと感じ、または一緒にはいられないと感じ離れていく。
この人とは理解しあえない、と感じたら、私は二度と関わらない。
まだお互い気持が幼いから、とか、まだまだ成長途中だから、などという、他人に対しての期待は絶対にしない。


壁は追い払う、閉じ込める、ではなく「その人」を侵さない、という約束であってほしい。
そこにはノックすれば開かれるドアをつけて。
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05.04.10:12

ひとりはみんなのために

体育会系ノリ、というとどんなイメージになるのだろう?
単純、情熱ばか、ストイック、一直線、私が思うのはそういうことだが、他人と話をしていてハッッッッ!としたことがある。
それは、私が「体育会系ノリ」と聞いてイメージする中に、「団体」や「仲間」がなく、「その人ひとり」で考えていたこと。
スポーツをイメージするにしても、個人競技しか思い描いていなかった・・・
一瞬落ち込んだ。 なんなんだ、私って。


どうしてそんな話になったか、というと、市内のブラスバンドの名門校での話。
国際音楽祭での演奏のために、娘の小学校との合同練習が行われた。
相手は高校生、それはそれは素晴らしい演奏をするところなので、合同練習は有難い。
パーカッションをやっている娘は「楽しかったー!」と帰ってきた。

が、管楽器パートの人が目撃したのは、音をはずしてしまった女の子の髪の毛を引っ張ったり、足を蹴ったりする同じパートの子どもたち。
その学校の昔からの伝統?で、そういう話は聞いていたけれど、実際に見てしまった彼女のショックはかなりだった。

「ひとりはみんなのために。
みんなはひとりのために」

スポーツの団体競技や、大勢で音を作り上げていく吹奏楽や合唱などに於いて、それは良い言葉だとは思うけれど、大きなお世話でもある。
「体育会系ノリなんだよねぇ」
そう言って彼女は、受けてしまった衝撃を自分の中で消化しようとしていたけれど、あのキラキラピカピカした素晴らしい音色のために、どれほどの子どもたちが苦しんでいたのか、とふたりで複雑な気持ちになった。
ちぇ・・・私の目の前でやってほしかった・・・

指導者にもよるが、目標を高く掲げ、そこに向かって進むことをいけないとは思わない。
思わないが、そこまでの過程は、やはり『音楽の素晴らしさ』を知る心の旅であってほしい。
甘いかな。


band.jpg毎年、夏には各地で吹奏楽コンクールがある。
去年の九州大会には、各県から60人規模の大所帯の小学校から、20人にも満たない小さな小学校まで出場した。
小さな団体は大きなところと比べると見劣りするし、県によって力を入れているところ、そうでないところの差は歴然としていたけれど、彼らがあの日のために練習してきた日々を思うと、あのステージに立って演奏していることにたいして心から祝福できる。
どの団体が賞を受けても、みんな素晴らしい!と言える。
『ダメ金』という言い方以外は・・・・・・

各地のコンクールでは銅・銀・金を決める。
金賞は一校ではなく、何校かあり、その中から地区代表が選ばれる。
選ばれなかった他の金賞受賞校は、通称『ダメ金』と呼ばれる。

長年、合唱や吹奏楽をやってる人たちは、フツーに「ダメ金」という言葉を使う。
その思考は間違ってないかなぁ・・・・・
ならば銅や銀を見る目、かなり馬鹿にしてるはずよね。
コンクールの代表を決めるシステムが変なんだけど、でもそこに染まるのは素直すぎない?


要は何事もステレオタイプになってはいけないんじゃないか、ということ。
その世界だけが全てではなく、いろんなものを見て、聞いて、そして頭のフィールドだけは無限大にもっともっと広げて、ひとつのものをひとつの方向からは見ないこと。
困難を跳ね返す力、これは変だよ、と感じたら口に出せる素直な心、ぶつかってみる力、変えてみようとする勇気、自分にとって大切なものならば尚更、前向きに反骨で。

どこも色々あるね、ちゃんと見てるよ!

05.02.15:50

山のあなたに

gionyama.jpg宮崎県の北、五ヶ瀬町の鞍岡というところに行ってきた。
遊びではない。
仕事です!

全校生徒が27人、という鞍岡中学校。
高千穂から五ヶ瀬まで30分ぐらい、五ヶ瀬から椎葉の方向へ20分ほど走ったところに宮崎県で一番雪が降る、という鞍岡地区がある。
去年、県が指定した「子どもの生活リズム向上支援推進事業モデル校」(なんだか大きなお世話な・・・)に指定された本校に、2年目を迎えての取り組みやなんやを取材した。

朝はあいさつ、地元が狭いのでみんな知ってる人ばかり。
学校内ではみんな、小学校から変わらない子どもばかり。
給食は冬以外はみんな一緒に食べている(先生たちも)。
昼休みはみんなで遊ぶ。
家に帰ってテスト期間中は『ノー・テレビディ』というテレビを観ない日、があるが、小学校も一緒になって5年前から始めており、今では全然苦にならない、もともと娯楽もないし。

養護のT先生が「ここに住んでいれば普通でも、よそから来た人はみんな『心が洗われたー』と言って出ていきますよ」と言った。
住めば私も良い人になれるかな・・・

中身はどうでも、とにかく山の生活を普通に過ごしていたら早寝早起きになってしまった、ということらしい。
子どもたちはお肌がピチピチで、みんながみんな瞳が大きく、くるくるしていて可愛かった。
話聞かせてくれてありがとう!


昨日は高千穂や五ヶ瀬の神さまたちにも再び会ってきた。
1月に行ったときは雨降りで、行き帰りも大変だったが、そこは可愛いgirl friendが助けてくれた。

新緑、初夏の空気、いつでもそこに大きく構えていてくれる神さまたち、綺麗なお山、川。
高千穂・五ヶ瀬はハマる。
旅人ではあるが観光ではないから良いのかもしれない。
そこにいる空気をそのまま感じることができる。

面白かったのが鞍岡の祇園神社。
お参りしていると、神主さんがお願いもしてないのに祓串でばさっばさっと祓ってくれた・・・・
サービス満点。
その後も「あそこの壁には神さまたちがいっぱい降りてきとらす」と、どう見てもシミだけど、神さまだと教えてくれた。
神主さんはあやしいけれど、神社自体はとても趣のある美しいところだった。
もし鞍岡に行く機会があれば是非!

takachiho11.jpg帰りは五ヶ瀬の温泉に入ってきた。
町の運動公園そばの『木地屋』。
宿泊施設を兼ねたところで、まだ新しい雰囲気。
夕暮れのお山で、温泉に浸かってサッパリできて、極楽、極楽。。。

イヤな事ばかりではない、いい事もたくさん。
何もかもありがとう!
高千穂の神さまもバンザイ!
五ヶ瀬のお山もバンザイ!


04.29.10:06

そこだけ忘れてしまいたい

いじわるな神さまが、私にくれた大きな勘違いは、どうか無かったことにしてください。
穏やかだった心の海を、また荒くさせる風をとめてください。
砂が波にさらわれるみたいに、するするとながれていく心を守ってください。
または埋めてください。
あの人のように生きていける強さを、少しは私にもわけてください。
いつまでも気弱にのばすこの腕は、振り払われたと気づかせてください。
だれもがいいかげん話をそらさずに。
または可哀想だと思わずに。
それが愛なら私にください。

04.28.17:16

幸せな毛布がほしい

nobara.jpgすごく身近なところの、子供による家庭内暴力の話をきいた。
ひどく衝撃を受けた。
最近の諸々あった出来事から受けたダメージとして、ダメ押しされたみたいに。

その子は私の知ってる子で、前から噂はチラホラ聞いていたけれど、とてもそういう子には見えなかったし、まだ小さい子だし、ご両親のこともあまり知らなかったので、噂を聞いていただけだった。
まさか本当にそこまでになるとは考えも及ばず、夕べ、その子が施設に入れられたらしい、と聞き、私にも影響することが出てきたため、ちゃんと考えてみようと思った。

子どもにとって、両親が揃っていてもいなくても「愛されている」と実感できることがどれだけ大切か。
その自信のようなものは、目に見えなくても手で触ることができなくても、確実に体や心のどこかにあって、自分に何があっても何をやっても、そこに行けば休息できる、受け入れてくれる、そこに逃げていける、毛布のようなものだ。

その毛布自体が幸せでないと、子どもは逃げて行けない。

幸せじゃない毛布が多い、とても多い。

思春期に差し掛かってきたときに、今までの生活を憤り、または性について深く感じ、やり切れない気持ちを抱えていたとき、自分の毛布が情けなく、幸せではなかったら、溢れんばかりの気持ちの行き場を何とかしたくて自傷したり、毛布を破いたりする気持ちはよくわかる。
すごくわかる。


その子が満面の笑顔で写っている写真がそばにある。
友だちとこうしているときが、きっとこの子には心の支えになっていたのかもしれないなぁ、と思う。
頑張っていたから、ここだけは自分の居場所だったのかもしれないなぁ、と思う。

rainasu.jpg自分が幸せでいることは、周りの幸せにもつながるなぁ。
どんな小さなことでもいいから、幸せを感じなきゃなぁ。
そして、こんな気持ちぶれぶれの私でも、どんなことでも真っ直ぐ向き合って、ちゃんと傷ついて、弱さも何もかも、ネガティブなものから逃げずに、ちゃんと受け入れられる人になりたいなぁ。