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02.19.09:01 [PR] |
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03.25.01:25 あなたが空しく生きた今日 |
「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった人が、あれほど生きたいと願った明日」
「生」と「死」についてしょっちゅう考えるようになっている。
生きる、とか死ぬ、という単純な意味だけでなく、「どう生きる」だの「どう死ぬか」だの、考えたってなるときはなるのよ!という、正常な感覚の時ならば「考えたって仕方ないじゃん」と思えることまで考えているので困ったものである。
もっと困ったことに、そういうことを考えだすと性欲までが減退してしまう、という性質を持っているので、好みの男女を見てもときめかない。
これは!という文章にも音楽にも映画にも人にも、みょうにpeaceなイメージしか湧かず、悶々とした修行僧のようだった今までの私が、何かを悟ったかのような剃髪した尼さんみたいな気分だ。
中村久子という人がいた。
両手両足を幼いころに失って、「ダルマ娘」として見世物小屋にいた人。
短い両腕と口を使って裁縫をする。
美しい書を書ける。
料理もできる。
ハサミも使える。
アイロンもかける。
それでも彼女は嘆く。
「この手では拝めない」
知り合いが他のブログで書いていた言葉には『ある不幸。ない幸せ』(だったと思う)そうあった。
四肢満足にしている誰もが天を拝むのか?
拝みたくても拝めないと嘆く心を、どれだけの人が思うのか?
嘆く心の気高さを、わかる心を持てるのか?
さまざまな出来事、思考に阻まれ、こうして生きている、生かされている幸せに気づけない。
なんと罰当たりなことだろう。
誰の上にも同じように空はあること、あやまちを犯さねば気付かない。
私たちは何と傲慢なのだろう。
ただ、やはり私はこんな気持ちのまま、深く狭く広く浅く、物事を考え、あやまちを犯し、傷つけ傷つき、叶わぬ願いを抱きながら生きていくのだと思う。
「生」と「死」についてしょっちゅう考えるようになっている。
生きる、とか死ぬ、という単純な意味だけでなく、「どう生きる」だの「どう死ぬか」だの、考えたってなるときはなるのよ!という、正常な感覚の時ならば「考えたって仕方ないじゃん」と思えることまで考えているので困ったものである。
もっと困ったことに、そういうことを考えだすと性欲までが減退してしまう、という性質を持っているので、好みの男女を見てもときめかない。
これは!という文章にも音楽にも映画にも人にも、みょうにpeaceなイメージしか湧かず、悶々とした修行僧のようだった今までの私が、何かを悟ったかのような剃髪した尼さんみたいな気分だ。
両手両足を幼いころに失って、「ダルマ娘」として見世物小屋にいた人。
短い両腕と口を使って裁縫をする。
美しい書を書ける。
料理もできる。
ハサミも使える。
アイロンもかける。
それでも彼女は嘆く。
「この手では拝めない」
知り合いが他のブログで書いていた言葉には『ある不幸。ない幸せ』(だったと思う)そうあった。
四肢満足にしている誰もが天を拝むのか?
拝みたくても拝めないと嘆く心を、どれだけの人が思うのか?
嘆く心の気高さを、わかる心を持てるのか?
さまざまな出来事、思考に阻まれ、こうして生きている、生かされている幸せに気づけない。
なんと罰当たりなことだろう。
誰の上にも同じように空はあること、あやまちを犯さねば気付かない。
私たちは何と傲慢なのだろう。
ただ、やはり私はこんな気持ちのまま、深く狭く広く浅く、物事を考え、あやまちを犯し、傷つけ傷つき、叶わぬ願いを抱きながら生きていくのだと思う。
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03.17.17:11 ちゃんと、ちゃんと |
作者の吉田まゆみが松任谷由美と大江千里の大ファンだったこともあり、ユーミンは網羅していた私は「普通だったら絶対聴かない」大江千里も聴いてみた。
『REAL』の歌詞にはハマったので、ひとりのドライブ時にこっそり聴いていた。
ありのままに生きるのは難しい、とは実感しているけれど、ちゃんと生きるのは大事だと思う。
私は少なからず誰かを傷つけながら生きているけど、その分誰かからも傷つけられながら生きている。
迷惑もかけるしかけられる。
そしてちょっとずつ感謝の気持ちも返してもらってるし返してる。
誰もが同じように生きているんだろう、そう思う。
中には「イメージすること」がとても苦手な人もいる。
人の中で生活するうえで、「イメージすること」はすごく重要だ。
これを言えばこうなるかも、これをするとこうなるかも、と考えることができれば、最悪の場合から逃れられることもあるだろう。
たとえば「今が大事」という言葉には、ふたつ、意味がある。
今、このときを大切にしなければ、この先二度とない時間なのだから、という意味。
または、今だけ良ければいい、先のことなどどうでもいい、という意味。
前者の場合は未来を見越した気持ちだが、後者の場合は実に刹那的な気持ち。
絶対にやらないとは言わないが、必ず後者だと後悔するので、余程投げやりな時でなければやらない。
前者は判っていてもできないときがある。
また会えるからいいや、また次でいいや、とか、つい「絶対」などという言葉を信じてしまったとき。
イメージできる人には、もう二度とないこのときを大切に生きることができるのだろう。
できてるつもりだけど甘い。
何十年ぶりかに私より甘い人に地獄に堕ちろ!並の酷い言葉を言ってしまった。
ちゃんと生きなきゃと思って、ちゃんとをコツコツ貯めるのに、どうして失う時は早いのか。
皆、危ういバランスの中で生きていると思っていたけれど、ほんとにジェンガのようだ。
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03.14.00:08 コルテオ |
弟が死にかけている。
彼が目を覚ましたら、帰ってきたら、話してやろう。
私がどんなにどうしようもない人間か。
ノートに綴る私の言葉を、いつも暗いと彼は笑っていたけれど、
私は生きている。
太宰は好きではないけれど、「恥の多い人生をおくってきました」
それは私も同じ。
私がどれだけ貴方になりたがったか、
私が貴方ならどんなにいいだろうと
どれだけ願っていたか。
貴方は両親の愛も祖母の愛も周りの大人たちの称賛もすべて受けて育ってきた。
私が貴方をどれだけ羨んでいたか。
本当はライバルになりたかったけれど、
最初からあきらめて、私は開き直って生きてきた。
貴方は違った。
帰っておいで。
いま見ているものは幻です。
だけど疲れているから深く眠って、ゆっくりと
そしてどうか帰ってきてください。
彼が目を覚ましたら、帰ってきたら、話してやろう。
私がどんなにどうしようもない人間か。
ノートに綴る私の言葉を、いつも暗いと彼は笑っていたけれど、
私は生きている。
太宰は好きではないけれど、「恥の多い人生をおくってきました」
それは私も同じ。
私がどれだけ貴方になりたがったか、
私が貴方ならどんなにいいだろうと
どれだけ願っていたか。
貴方は両親の愛も祖母の愛も周りの大人たちの称賛もすべて受けて育ってきた。
私が貴方をどれだけ羨んでいたか。
本当はライバルになりたかったけれど、
最初からあきらめて、私は開き直って生きてきた。
貴方は違った。
帰っておいで。
いま見ているものは幻です。
だけど疲れているから深く眠って、ゆっくりと
そしてどうか帰ってきてください。
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03.10.00:16 そっけない、の |
会員ナンバーは絶対5桁だろう!と思っていたらまだ4桁だった。
なんだか嬉しかった・・・
年会費、ウチの映画サークルより2千円も安いし。
で、会員しか見ることができない、というブログを読みながらニヤニヤしていたら娘から変人扱いされた。
なんなわけ?
みたいな顔されたので、「コメント入れる人の名前覚えてもらえるんだよ!こないだいいともで言ってたもん!」とムキになったら「へぇ~~~?」とそっけなく言われた。
そっけなく。
娘が夕食の生春巻きを食べながら、「ねぇ、そっけなく、ってどんなの?」と尋ねてきた。
気のないそぶり、冷たい雰囲気、適当、おざなり。。。
おざなり、というとまた尋ねられると思ったので、前の3つを答えた。
たまに「どっから来たんだ?」と驚かせてくれる質問が出るのが面白い。
娘の国語の回答は笑える。
「くらいにわによこになり、ぎんいろのほしをながめる」を漢字を使って書き直しましょう、という問題の答え。
『くらいに輪に横になり、銀色の星をながめる』。
全然意味が分からない・・・・というか分かっていない。
命令、は「明令」。
栄える、は「労える」。
兵隊、は「戦隊」。
あと、パソコンで出せない物体は数知れず・・・
綾香ぽんのブログ同様、脱力系の癒しです。
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03.07.18:23 しあわせな孤独 |
夕べ、恒例の映画サークル合評会で『チェンジリング』の母親が言っていた「希望」について語っていたら、なんだか泣きそうになった。
一般的に見たら、またはあの母親の周りから見たら、彼女が誇らしげに告げた「希望」はひどく哀れに思うだろう。
もういいじゃない、自由になって。
どうか新しい夢に向かって。
誰もが、そう彼女に対して望むに違いない。
第三者は「待ってはいない」から。
かけがえのないものを失って、わずかの望みを大切に握りしめ、それを生きる糧にする気持ちはわからない。
誰だって幸福でいたいから、周りも幸福でいてほしいから、「おそらくそれが事実であろう現実」を受け入れ、新しい道に踏み出してほしいと願う気持ちもよくわかる。
その人への疎ましさが少し含まれた優しさ、悪いことではない、当たり前のことだ。
しかし、彼女自身が待つならば、それを「希望」というならば彼女にとっては「希望」なのだ。
少しも気持ちを誤魔化してはいない、騙してもいない、思い込みでもない、ただ針の先ほどの望みを、まっすぐに目を逸らさず見つめているだけだ。
待っている間に見える景色は、ふたりで見る景色とは違って見えるだろう。
待っている間に聞こえる音楽は、ふたりで聞く音楽とは違って聞こえるだろう。
待っている間に考えることは、ふたりで考えることとは違って思えるだろう。
はたから見るとどんなに愚かでも、胸に宿る涙や笑顔とともに過ごす時間の切なさは、どれだけ人生を深くさせるだろうか。
偏執狂的な行いで誰かを傷つけないかぎり、待つことは少しも悪くない。
むしろその時間から得られるものは、その人にだけに理解できる大きな愛、そして必ず祝福は訪れると信じたい。