11.21.16:00 [PR] |
10.31.22:18 ひとり旅は映画館と |
ひとり旅、というほどでもないけれど、毎年ある仕事関係で九州内の各県や運がよければなかなか行けない香川県だとか宮城県仙台市なんてところに行ける。
ただし、その3日間あるいは2日間に見聞きする内容には、ある一定の我慢や忍耐も必要な場合もある。
(手放しで素晴らしい!と感じることもある(^^ゞ)
それはさておき、自分のお金ではなく旅費など出してもらう身分で文句は言えないし、行った先々で私は必ず個性的な映画館に行き、ひとりで映画を観て帰ることを楽しみにしている。
始めて行った香川県高松市のソレイユ。
http://kagawa-soleil.co.jp/
ここは街の真ん中に市立美術館があるという、オシャレな街だ。
それに何と言っても驚いたのが、これ↓
http://www.kagawa-rff.org/pc/index.html
すごい~画期的。
なんとなく盛り上がってるのか盛り下がってるのか判らない雰囲気だけれど、できることならこういう頑張ってる企画は続いていってほしいなと思う。
街の中、飲み屋街以外アーケード内のお店はほとんどが夜の8時には閉まっていたのには困った。
映画の帰りにホテルにコーヒーを持って帰ろうと思っていたのにっ!
映画館はアーケードからちょっとだけ入った、まるで中庭のような場所に建つ小さなビルの中にあった。
新しくはなく、時間待ちをしていると他のお客さんが「寒いから持って行ったほうが良い」と、置いてあったブランケットをすすめてくれた。
観たのは「アフタースクール」。
確かに劇場の中は寒く、ブランケットが役に立った。
観終わってとても良い気持ちで映画館をあとにして、ビルの目の前にあるエスニック料理屋に入ろうかと思ったが閉店していた。
仕方がないのでホテルの人がすすめてくれたうどん屋に行った。
同じ年に鹿児島にも行けた。
この時はミッテ10で綾瀬はるかの「ICHI」を観たんだった。
これはホントにスローモーションの多用がもったいない作品だったと思う。
せっかくの綾瀬はるかのアクションが台無しだと思った。
映画館からホテルまでの道、歩いて帰った道のりはとても気持ちが良かった。
次の年が仙台市。
ちょうど広瀬川で灯篭流しと花火の日だったので、ホテルで行き方を尋ねて地下鉄に乗って見に行った。
生まれて初めて一人で見た花火と灯篭流しは切なくて、ちょっと良い感じだった。
なんだかこの時、私はひとつ大切なものを諦め、ひとつ大切なものを得たように思う。
花火を見て、行ってみたのが仙台フォーラム。
http://www.forum-movie.net/sendai/
時間に間に合わず、映画は観ることができなかったのが残念。
小さくてここも新しくはないけれど、中で働いている人たちが若く、頑張ってる雰囲気が伝わってくる映画館だった。
その年、九州では福岡市。
福岡市ではソラリアシネマで「空気人形」を観た。
http://fsc-ent.jp/cinema/
ここは確かバス乗り場があるビルだったと思う。
なーんとも薄暗くて、ビルの上階なのにアングラな雰囲気のところだった。
11月いっぱいで閉館になるとは残念。
この劇場で観た「空気人形」の衝撃は忘れられない。
そして今年は北九州市、小倉。
ここには小倉昭和館がある。
http://www2.ocn.ne.jp/~showakan/
とあることで何年か前から顔見知りのM日新聞のI氏。
彼が実はかなりの映画通だということが、ひょんなことから判り、以来ちょくちょく映画についてのあれやこれやをメールでやりとりしている。
その彼が小倉にいるということで、是非ご一緒してください!とお願いして案内してもらった。
その日の小倉は小雨、それに風が強くて少し肌寒かった。
小倉駅からモノレールで2駅目の旦過駅。
駅員さんに映画館の場所を尋ねると、「ホラ、そこの路地、赤ちょうちんが見えるとこ歩いて行ったらつきあたりを左、駐車場みたいなのが見える向かいの道を行ったとこにあるよ」。
上から見下ろした景色は、ちょっと暗めの飲み屋街。
ホントに赤ちょうちんの灯りしかない細い路地、そこに並んでいるお店は中華屋にお好み焼き屋、韓国料理屋、雰囲気ありすぎ。
雨の路地、水たまりにうつるのは赤や青のネオンの灯り。
「夜がまた来る」に「ヌードの夜」だ、これは。
石井隆の世界だ。
そんなところにちょこんと建っていたのが小倉昭和館。
http://www2.ocn.ne.jp/~showakan/
素敵すぎる。
ここでも若い人たちが働いていた。
宮崎では見ることができなくなった丸い窓のチケット売り場。
まるでパチンコの景品交換所みたいなところ。
だったんだけど、映画館の中に入ってチケットを買うやり方が身に付いてしまっている私は、そのまま映画館の中に入り、ロビーを物色してから「阪急電車」のチケットを買ってしまった。
ずうずうしい客だと思われただろう・・・・ごめんなさい。
しばらくしてI氏が到着。
久しぶりの彼は、まるでとても懐かしい友人を迎えるようにそれはにこやかに応対してくれ、映画まで少し時間があったので、すぐ裏の旦過市場を案内してくれた。
映画館から市場までがまた・・・・私たちは二人とも100円の傘をさし、小さなお稲荷さんの前を通りぬけ、夢に出てきそうなとても狭い路地をくぐり、ぱっと開けたところが旦過市場だった。
昔ながらの店が並ぶ狭いアーケード。
豆屋、自家製のかまぼこ屋、寿司屋、うどん屋、キムチ屋、とにかく見ているだけで楽しい。
雑多でどこか健全なだけじゃない活気のある雰囲気が素敵だった。
そういえばモノレールでは、私の目の前に座っていた男性のスーツがキラキラで、いかにもヤクザ風で嬉しくなったっけ。
そうして観た「阪急電車」は、とても気持ちの良い映画だった。
そこにたどり着くまでの心の動きがプラスされて、きっともっと清々しく良い映画になったんだと思う。
I氏がそのあと連れて行ってくれたブルースバーも素敵だった。
ミッキーカーチスのひげが短くなったような格好良いマスターがいて、店の奥には小さなステージ、ドラムセットが並んでた。
I氏の「カサブランカのボガードとピーター・ローレとシドニー・グリーンストリートはほとんど3人で色んな映画に出ている」という映画のよもやま話を聞きながら、楽しくコーラを2本飲んだ。
宮崎からのお土産の風門は、もう飲まれただろうか。
たったあれっぽっちでは申し訳ないぐらいお世話になってしまった。
駅前通り、二人でびゅーびゅー風に吹かれて歩いたことはずっと忘れないと思う。
色んな街で、素敵な人たちや映画館、映画のあと、部屋でひとり眠るときの心の温かさといったら。。。。
ホテルでのひとりの時間は、それまでの時間をゆっくり私に抽出してくれ、もう一度それまでの何もかもをとても好きにさせてくれる。
そして心からありがとうと、幸せな気持ちで眠るのだ。
ただし、その3日間あるいは2日間に見聞きする内容には、ある一定の我慢や忍耐も必要な場合もある。
(手放しで素晴らしい!と感じることもある(^^ゞ)
それはさておき、自分のお金ではなく旅費など出してもらう身分で文句は言えないし、行った先々で私は必ず個性的な映画館に行き、ひとりで映画を観て帰ることを楽しみにしている。
始めて行った香川県高松市のソレイユ。
http://kagawa-soleil.co.jp/
ここは街の真ん中に市立美術館があるという、オシャレな街だ。
それに何と言っても驚いたのが、これ↓
http://www.kagawa-rff.org/pc/index.html
すごい~画期的。
なんとなく盛り上がってるのか盛り下がってるのか判らない雰囲気だけれど、できることならこういう頑張ってる企画は続いていってほしいなと思う。
街の中、飲み屋街以外アーケード内のお店はほとんどが夜の8時には閉まっていたのには困った。
映画の帰りにホテルにコーヒーを持って帰ろうと思っていたのにっ!
映画館はアーケードからちょっとだけ入った、まるで中庭のような場所に建つ小さなビルの中にあった。
新しくはなく、時間待ちをしていると他のお客さんが「寒いから持って行ったほうが良い」と、置いてあったブランケットをすすめてくれた。
観たのは「アフタースクール」。
確かに劇場の中は寒く、ブランケットが役に立った。
観終わってとても良い気持ちで映画館をあとにして、ビルの目の前にあるエスニック料理屋に入ろうかと思ったが閉店していた。
仕方がないのでホテルの人がすすめてくれたうどん屋に行った。
同じ年に鹿児島にも行けた。
この時はミッテ10で綾瀬はるかの「ICHI」を観たんだった。
これはホントにスローモーションの多用がもったいない作品だったと思う。
せっかくの綾瀬はるかのアクションが台無しだと思った。
映画館からホテルまでの道、歩いて帰った道のりはとても気持ちが良かった。
次の年が仙台市。
ちょうど広瀬川で灯篭流しと花火の日だったので、ホテルで行き方を尋ねて地下鉄に乗って見に行った。
生まれて初めて一人で見た花火と灯篭流しは切なくて、ちょっと良い感じだった。
なんだかこの時、私はひとつ大切なものを諦め、ひとつ大切なものを得たように思う。
花火を見て、行ってみたのが仙台フォーラム。
http://www.forum-movie.net/sendai/
時間に間に合わず、映画は観ることができなかったのが残念。
小さくてここも新しくはないけれど、中で働いている人たちが若く、頑張ってる雰囲気が伝わってくる映画館だった。
その年、九州では福岡市。
福岡市ではソラリアシネマで「空気人形」を観た。
http://fsc-ent.jp/cinema/
ここは確かバス乗り場があるビルだったと思う。
なーんとも薄暗くて、ビルの上階なのにアングラな雰囲気のところだった。
11月いっぱいで閉館になるとは残念。
この劇場で観た「空気人形」の衝撃は忘れられない。
そして今年は北九州市、小倉。
ここには小倉昭和館がある。
http://www2.ocn.ne.jp/~showakan/
とあることで何年か前から顔見知りのM日新聞のI氏。
彼が実はかなりの映画通だということが、ひょんなことから判り、以来ちょくちょく映画についてのあれやこれやをメールでやりとりしている。
その彼が小倉にいるということで、是非ご一緒してください!とお願いして案内してもらった。
その日の小倉は小雨、それに風が強くて少し肌寒かった。
小倉駅からモノレールで2駅目の旦過駅。
駅員さんに映画館の場所を尋ねると、「ホラ、そこの路地、赤ちょうちんが見えるとこ歩いて行ったらつきあたりを左、駐車場みたいなのが見える向かいの道を行ったとこにあるよ」。
上から見下ろした景色は、ちょっと暗めの飲み屋街。
ホントに赤ちょうちんの灯りしかない細い路地、そこに並んでいるお店は中華屋にお好み焼き屋、韓国料理屋、雰囲気ありすぎ。
雨の路地、水たまりにうつるのは赤や青のネオンの灯り。
「夜がまた来る」に「ヌードの夜」だ、これは。
石井隆の世界だ。
そんなところにちょこんと建っていたのが小倉昭和館。
http://www2.ocn.ne.jp/~showakan/
素敵すぎる。
ここでも若い人たちが働いていた。
宮崎では見ることができなくなった丸い窓のチケット売り場。
まるでパチンコの景品交換所みたいなところ。
だったんだけど、映画館の中に入ってチケットを買うやり方が身に付いてしまっている私は、そのまま映画館の中に入り、ロビーを物色してから「阪急電車」のチケットを買ってしまった。
ずうずうしい客だと思われただろう・・・・ごめんなさい。
しばらくしてI氏が到着。
久しぶりの彼は、まるでとても懐かしい友人を迎えるようにそれはにこやかに応対してくれ、映画まで少し時間があったので、すぐ裏の旦過市場を案内してくれた。
映画館から市場までがまた・・・・私たちは二人とも100円の傘をさし、小さなお稲荷さんの前を通りぬけ、夢に出てきそうなとても狭い路地をくぐり、ぱっと開けたところが旦過市場だった。
昔ながらの店が並ぶ狭いアーケード。
豆屋、自家製のかまぼこ屋、寿司屋、うどん屋、キムチ屋、とにかく見ているだけで楽しい。
雑多でどこか健全なだけじゃない活気のある雰囲気が素敵だった。
そういえばモノレールでは、私の目の前に座っていた男性のスーツがキラキラで、いかにもヤクザ風で嬉しくなったっけ。
そうして観た「阪急電車」は、とても気持ちの良い映画だった。
そこにたどり着くまでの心の動きがプラスされて、きっともっと清々しく良い映画になったんだと思う。
I氏がそのあと連れて行ってくれたブルースバーも素敵だった。
ミッキーカーチスのひげが短くなったような格好良いマスターがいて、店の奥には小さなステージ、ドラムセットが並んでた。
I氏の「カサブランカのボガードとピーター・ローレとシドニー・グリーンストリートはほとんど3人で色んな映画に出ている」という映画のよもやま話を聞きながら、楽しくコーラを2本飲んだ。
宮崎からのお土産の風門は、もう飲まれただろうか。
たったあれっぽっちでは申し訳ないぐらいお世話になってしまった。
駅前通り、二人でびゅーびゅー風に吹かれて歩いたことはずっと忘れないと思う。
色んな街で、素敵な人たちや映画館、映画のあと、部屋でひとり眠るときの心の温かさといったら。。。。
ホテルでのひとりの時間は、それまでの時間をゆっくり私に抽出してくれ、もう一度それまでの何もかもをとても好きにさせてくれる。
そして心からありがとうと、幸せな気持ちで眠るのだ。
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10.05.23:17 同じベッドで |
私たちは同じベッドで生まれた。
彼女の方が3カ月早かったけど。
あと1時間で彼女の誕生日。
眠いから、早めにおめでとうを言っておきます。
お誕生日おめでとう。
新しい貴女のはじまりですね、ってきっと何も変わらないけど。
彼女の方が3カ月早かったけど。
あと1時間で彼女の誕生日。
眠いから、早めにおめでとうを言っておきます。
お誕生日おめでとう。
新しい貴女のはじまりですね、ってきっと何も変わらないけど。
12.21.09:59 あなたとみた青 |
ハンドルのついたホースから溢れる細かい水のシャワーは、姪の小さな手でも太陽に透かせば綺麗な虹を作っていた。
ここのところ洗車ができず汚れ放題になっていた私の車だったので、ついでにと何気なく姪に洗車の手伝いを頼んだが、そういえばこうしてふたりで何かをするのは初めてだと気付いた。
姪が水を掛けて私が拭く。
それだけを黙々と続けて、車はピカピカになった。
赤い車に青空がうつった。
親の事情で姪は宮崎を離れ、4月からは熊本に住むことになる。
行ってしまえば二度と会えないことを私は知っている。
もっと一緒の時間を過すんだったと、鼻の奥がツンとした。
「無料洗車できれいになったね」姪が私に耳打ちした。
そうだね、綺麗になったね。ありがとう。
もっと早くやっておけば良かったよ。
見てほら、空がうつってる。
蒼来っちの青い空。
そうだね、綺麗になったね。ありがとう。
もっと早くやっておけば良かったよ。
見てほら、空がうつってる。
蒼来っちの青い空。
もし覚えていてくれるなら、一緒に車を洗ったこと、
そしてパパが付けた名前の青い空を、どうか忘れないでいて。
元気でいてね。空を見るたび、あなたを思い出すから。
今年5月のボツ原稿。
整理してたら出てきた。
そしてパパが付けた名前の青い空を、どうか忘れないでいて。
元気でいてね。空を見るたび、あなたを思い出すから。
今年5月のボツ原稿。
整理してたら出てきた。
11.21.21:02 彼女と彼がいた場所 |
毎年恒例のダンロップフェニックストーナメントに今年もバイトで行ってきた。
気付くともう7年目、最終日の今日、帰るときにお疲れさまでした!と輸送本部(会場内の人の流れ・車の流れ・迷子に来場者数などを操る、トーナメントの中枢部である!)に挨拶したら、「お疲れさまでしたー!また、来年も・・・かな?」と言われたので、声が掛かればですね~と答えたら何故か大ウケされた。
なんでやねん。
今年は晴天で暖かく、連日ベストコンディションだったにも関わらず、石川遼プロはスイング改造中とのことで調子が悪く、観客の足もぼちぼち。
池田勇太プロがDPT8年振りとなる日本人選手優勝!で、とりあえず無難に終わった感じ。
このトーナメントに行けば会える人たち、に会えることが楽しみのひとつ。
なんだけど、今年はそのうちの2人、ショップに個人で雑貨のブースを構える大阪のお姉さんと、私が初めてバイトに入った年から一緒に仕事をしているFtM(女性から男性に)の子が参加しておらず、なによりも彼女・彼に会うことを楽しみにしている私はそれはそれは物足りなかった。
大阪のお姉さんからは毎年クリスマスプレゼントになるようなものを買っている。
去年購入したワインポアラーは細工が美しいが少し高額だったため、躊躇したが思いきって購入して友人にプレゼントした。
とても喜んでくれた友人が格好良く写メしてくれた。
今年もお姉さんがどんな品揃えしてくれるのか、とても楽しみだったのに残念。
彼女はDPT=お祭りと捉えているらしく、普段からちょっと目立つ格好をしてショップにいてくれた。
周りを楽しませ、そしてお客の関心を引くことを考えてくれていたので、彼女のいるショップ内には、笑顔があり、面白かった。
最終日に近づくにつれお姉さんの被る帽子が派手になっていった。
シャボン玉が飛んできたぞ、と思うとお姉さんがお客さんの子どもとシャボン玉をふ~ふ~していたり、私のいる受付のテーブルに売り物のテディベアを置きにきたり(もちろん、興味を示した観客にはあちらで売ってますよ~と教えていたが)、彼女の営業のやり方はとても楽しくて温かく、おまけにちゃっかりしていて大好きだった。
もうひとり、FtMの子はホルモン治療(?)で年々男らしくなっていくのが素敵だった。
初めて会った年はまだボーイッシュな女の子だったのが、去年はすっかり男前な男子になっていた。
輸送で人の誘導や車の誘導が主な仕事だったが、彼は気がきいていて頭が良く、色々と頼りにされていた。
ダンロップやリコーカップのバイトが功を奏して一昨年、東京のイベント会社に就職したと言っていた。
そのイベント会社から去年はやってきていた彼だったが、今年はいなかった。
その二人がいたから私の中でかなり特別なイベントになっていたDPT。
国内でも大きなスポーツイベントの、自由で楽しいお祭りとしての雰囲気が、そこにはあった。
選手たちや男性・女性キャディの腰の高さ・シャープさ格好良さと同じく、プロとして人として肉体や精神、自分を高めていこうとする、普段の生活からはほとんど感じることができない世界だった。
おかげで私は大切な人へのクリスマスプレゼントを買いそこね、男前であろうとする素敵な若者の成長を見ることができず、がっかりであった。
これも「変わっていく」ものの常ならば仕方ない、と諦めつつ、彼女と彼のいないトーナメントは地味に終わった。
気付くともう7年目、最終日の今日、帰るときにお疲れさまでした!と輸送本部(会場内の人の流れ・車の流れ・迷子に来場者数などを操る、トーナメントの中枢部である!)に挨拶したら、「お疲れさまでしたー!また、来年も・・・かな?」と言われたので、声が掛かればですね~と答えたら何故か大ウケされた。
なんでやねん。
今年は晴天で暖かく、連日ベストコンディションだったにも関わらず、石川遼プロはスイング改造中とのことで調子が悪く、観客の足もぼちぼち。
池田勇太プロがDPT8年振りとなる日本人選手優勝!で、とりあえず無難に終わった感じ。
このトーナメントに行けば会える人たち、に会えることが楽しみのひとつ。
なんだけど、今年はそのうちの2人、ショップに個人で雑貨のブースを構える大阪のお姉さんと、私が初めてバイトに入った年から一緒に仕事をしているFtM(女性から男性に)の子が参加しておらず、なによりも彼女・彼に会うことを楽しみにしている私はそれはそれは物足りなかった。
大阪のお姉さんからは毎年クリスマスプレゼントになるようなものを買っている。
去年購入したワインポアラーは細工が美しいが少し高額だったため、躊躇したが思いきって購入して友人にプレゼントした。
とても喜んでくれた友人が格好良く写メしてくれた。
今年もお姉さんがどんな品揃えしてくれるのか、とても楽しみだったのに残念。
彼女はDPT=お祭りと捉えているらしく、普段からちょっと目立つ格好をしてショップにいてくれた。
周りを楽しませ、そしてお客の関心を引くことを考えてくれていたので、彼女のいるショップ内には、笑顔があり、面白かった。
最終日に近づくにつれお姉さんの被る帽子が派手になっていった。
シャボン玉が飛んできたぞ、と思うとお姉さんがお客さんの子どもとシャボン玉をふ~ふ~していたり、私のいる受付のテーブルに売り物のテディベアを置きにきたり(もちろん、興味を示した観客にはあちらで売ってますよ~と教えていたが)、彼女の営業のやり方はとても楽しくて温かく、おまけにちゃっかりしていて大好きだった。
もうひとり、FtMの子はホルモン治療(?)で年々男らしくなっていくのが素敵だった。
初めて会った年はまだボーイッシュな女の子だったのが、去年はすっかり男前な男子になっていた。
輸送で人の誘導や車の誘導が主な仕事だったが、彼は気がきいていて頭が良く、色々と頼りにされていた。
ダンロップやリコーカップのバイトが功を奏して一昨年、東京のイベント会社に就職したと言っていた。
そのイベント会社から去年はやってきていた彼だったが、今年はいなかった。
その二人がいたから私の中でかなり特別なイベントになっていたDPT。
国内でも大きなスポーツイベントの、自由で楽しいお祭りとしての雰囲気が、そこにはあった。
選手たちや男性・女性キャディの腰の高さ・シャープさ格好良さと同じく、プロとして人として肉体や精神、自分を高めていこうとする、普段の生活からはほとんど感じることができない世界だった。
おかげで私は大切な人へのクリスマスプレゼントを買いそこね、男前であろうとする素敵な若者の成長を見ることができず、がっかりであった。
これも「変わっていく」ものの常ならば仕方ない、と諦めつつ、彼女と彼のいないトーナメントは地味に終わった。
09.30.23:28 椎葉と帽子2 |
気分は西條八十、人間の証明の松田優作、ジョー山中。。。。
そしてここは山の中。
不土野という場所は上椎葉から西へ1時間。
途中、道路通行の時間制限もある、という場所なのだった。
多分、5年前の台風14号の水害での被害箇所だと思う。
まだ何箇所も工事中だった。
生協のお兄さんから教えてもらったとおりに走ってみたが、とにかく道が分かれていても右右右で赤い橋を左、なんていう判りやすいのか判りにくいのか判らん教え方で、「分かれている道」も、道が狭すぎて、民家に入る道なのか、純粋に分かれ道なのかの区別もつかない。
とにかく右右右で赤い橋を左!
赤い橋だが、赤い鉄橋を渡って左に行くと、なんとなく違う雰囲気。
戻って、近くで工事していたオジサンに尋ねると、真っ直ぐ行ったら赤い橋があるから渡って左、だと言う。
ここでも出た、赤い橋。
真っ直ぐ行くと橋があったが赤くない。
でも、渡ると「不土野小学校左」という手書きの看板があるので、左に曲がる。
どこが赤いんだろう…と振り返ると確かに横が赤かった・・・・それは運転してたら見えないし・・・・
ようやく不土野に入り、生協のお兄さんに教わったことを思い出しながら走る。
この道もまた離合などできず、一度大型トラックに遭遇したときは川に落ちるんじゃないかとドキドキした。
2軒も間違って入ってしまったが、そのたびに「あー、そりゃあこの先の2軒ならんでる上の家よ」と教わった。
並んでないし。
ようやく辿り着いた先では、お昼を食べていない、と言う私にオバサンが山盛りご飯と大根葉の漬物を出してくれた。
あまりに美味しくて、山盛りご飯をぺラっと食べた私に、ほらっ、とおかわりの手を出すので茶碗を渡すと、また山盛りご飯と大根葉の漬物をよそってくれた。
しっかり食べた。
椎葉名物の菜豆腐を見に行ったのだが、その後オバサンが私の目の前で一から作ってくれた菜豆腐は、それはそれは美しかった。
おまけに作る最中に「わぁー!これ、豆乳ですかー」と言うと、飲ませてくれるし、にがりを入れて、ぐじゅぐじゅの固まってないとうふを、「これがまた美味しいよ」とよそってくれるし、ぐじゅぐじゅを固めている最中の休憩時間には冷蔵庫から冷凍バナナを出してくれた。
さすがにバナナはもう食べられないですー、とお断りすると、「あら・・・食べないよ、キャンデーみたいに」と言われるので、食べた・・・・・
出来あがった菜豆腐も食べたことは言うまでもない。
色々とお世話になり、私がそこへたどり着くまでの話も御主人と一緒にケラケラ笑いながら聞いて、私の帰りを心配したオバサンは、近道だという行き方を教えてくれた。
私が不安そうにするので、峠まで送ってやろうか?と言われたが、御主人が「一本道やから大丈夫やがー」と言うので、頑張ってひとりで帰った。
確かに一本道だ。
しかし、教わった看板が出てくるまでに一時間かかった。
その上、ほんの2,300mぐらいしか離れてないように教わった峠だったが、市房山という九州山脈の立派な山。
峠から見た景色は八つ墓村の、村がない感じ。
やはり、とんでもない場所だった。
一時間かけて教わった看板が見えたとき、ようやく私にもわかってきた。
彼らと、距離の感覚が違うことを。
そこに気付いたとき、私の中でテトリスのように疑問がきれいに消えて行った。
来月の20日すぎ、再び私は椎葉へ行く。
教わった近道を通って行き、帰りは上椎葉から戻ってこようと思っている。
鶴富屋敷や、椎葉厳島神社に寄って帰ろう。
大きな椎葉ダムも。
自然が豊かで、住む人の気持ちが温かい。行けばきっと、あなたの心のふるさとになるよ、そう言われて行った椎葉村。
あれから何度か電話をしたが、そのたびに「遊びにおいで」と言ってくれる。
ありがたい。
次に行ったときにも、お腹をすかせて行けば山盛りご飯を食べさせてくれるかな。
そしてここは山の中。
不土野という場所は上椎葉から西へ1時間。
途中、道路通行の時間制限もある、という場所なのだった。
多分、5年前の台風14号の水害での被害箇所だと思う。
まだ何箇所も工事中だった。
生協のお兄さんから教えてもらったとおりに走ってみたが、とにかく道が分かれていても右右右で赤い橋を左、なんていう判りやすいのか判りにくいのか判らん教え方で、「分かれている道」も、道が狭すぎて、民家に入る道なのか、純粋に分かれ道なのかの区別もつかない。
とにかく右右右で赤い橋を左!
赤い橋だが、赤い鉄橋を渡って左に行くと、なんとなく違う雰囲気。
戻って、近くで工事していたオジサンに尋ねると、真っ直ぐ行ったら赤い橋があるから渡って左、だと言う。
ここでも出た、赤い橋。
真っ直ぐ行くと橋があったが赤くない。
でも、渡ると「不土野小学校左」という手書きの看板があるので、左に曲がる。
どこが赤いんだろう…と振り返ると確かに横が赤かった・・・・それは運転してたら見えないし・・・・
ようやく不土野に入り、生協のお兄さんに教わったことを思い出しながら走る。
この道もまた離合などできず、一度大型トラックに遭遇したときは川に落ちるんじゃないかとドキドキした。
2軒も間違って入ってしまったが、そのたびに「あー、そりゃあこの先の2軒ならんでる上の家よ」と教わった。
並んでないし。
ようやく辿り着いた先では、お昼を食べていない、と言う私にオバサンが山盛りご飯と大根葉の漬物を出してくれた。
あまりに美味しくて、山盛りご飯をぺラっと食べた私に、ほらっ、とおかわりの手を出すので茶碗を渡すと、また山盛りご飯と大根葉の漬物をよそってくれた。
しっかり食べた。
椎葉名物の菜豆腐を見に行ったのだが、その後オバサンが私の目の前で一から作ってくれた菜豆腐は、それはそれは美しかった。
おまけに作る最中に「わぁー!これ、豆乳ですかー」と言うと、飲ませてくれるし、にがりを入れて、ぐじゅぐじゅの固まってないとうふを、「これがまた美味しいよ」とよそってくれるし、ぐじゅぐじゅを固めている最中の休憩時間には冷蔵庫から冷凍バナナを出してくれた。
さすがにバナナはもう食べられないですー、とお断りすると、「あら・・・食べないよ、キャンデーみたいに」と言われるので、食べた・・・・・
出来あがった菜豆腐も食べたことは言うまでもない。
色々とお世話になり、私がそこへたどり着くまでの話も御主人と一緒にケラケラ笑いながら聞いて、私の帰りを心配したオバサンは、近道だという行き方を教えてくれた。
私が不安そうにするので、峠まで送ってやろうか?と言われたが、御主人が「一本道やから大丈夫やがー」と言うので、頑張ってひとりで帰った。
確かに一本道だ。
しかし、教わった看板が出てくるまでに一時間かかった。
その上、ほんの2,300mぐらいしか離れてないように教わった峠だったが、市房山という九州山脈の立派な山。
峠から見た景色は八つ墓村の、村がない感じ。
やはり、とんでもない場所だった。
一時間かけて教わった看板が見えたとき、ようやく私にもわかってきた。
彼らと、距離の感覚が違うことを。
そこに気付いたとき、私の中でテトリスのように疑問がきれいに消えて行った。
来月の20日すぎ、再び私は椎葉へ行く。
教わった近道を通って行き、帰りは上椎葉から戻ってこようと思っている。
鶴富屋敷や、椎葉厳島神社に寄って帰ろう。
大きな椎葉ダムも。
自然が豊かで、住む人の気持ちが温かい。行けばきっと、あなたの心のふるさとになるよ、そう言われて行った椎葉村。
あれから何度か電話をしたが、そのたびに「遊びにおいで」と言ってくれる。
ありがたい。
次に行ったときにも、お腹をすかせて行けば山盛りご飯を食べさせてくれるかな。