11.21.19:05 [PR] |
09.30.23:28 椎葉と帽子2 |
気分は西條八十、人間の証明の松田優作、ジョー山中。。。。
そしてここは山の中。
不土野という場所は上椎葉から西へ1時間。
途中、道路通行の時間制限もある、という場所なのだった。
多分、5年前の台風14号の水害での被害箇所だと思う。
まだ何箇所も工事中だった。
生協のお兄さんから教えてもらったとおりに走ってみたが、とにかく道が分かれていても右右右で赤い橋を左、なんていう判りやすいのか判りにくいのか判らん教え方で、「分かれている道」も、道が狭すぎて、民家に入る道なのか、純粋に分かれ道なのかの区別もつかない。
とにかく右右右で赤い橋を左!
赤い橋だが、赤い鉄橋を渡って左に行くと、なんとなく違う雰囲気。
戻って、近くで工事していたオジサンに尋ねると、真っ直ぐ行ったら赤い橋があるから渡って左、だと言う。
ここでも出た、赤い橋。
真っ直ぐ行くと橋があったが赤くない。
でも、渡ると「不土野小学校左」という手書きの看板があるので、左に曲がる。
どこが赤いんだろう…と振り返ると確かに横が赤かった・・・・それは運転してたら見えないし・・・・
ようやく不土野に入り、生協のお兄さんに教わったことを思い出しながら走る。
この道もまた離合などできず、一度大型トラックに遭遇したときは川に落ちるんじゃないかとドキドキした。
2軒も間違って入ってしまったが、そのたびに「あー、そりゃあこの先の2軒ならんでる上の家よ」と教わった。
並んでないし。
ようやく辿り着いた先では、お昼を食べていない、と言う私にオバサンが山盛りご飯と大根葉の漬物を出してくれた。
あまりに美味しくて、山盛りご飯をぺラっと食べた私に、ほらっ、とおかわりの手を出すので茶碗を渡すと、また山盛りご飯と大根葉の漬物をよそってくれた。
しっかり食べた。
椎葉名物の菜豆腐を見に行ったのだが、その後オバサンが私の目の前で一から作ってくれた菜豆腐は、それはそれは美しかった。
おまけに作る最中に「わぁー!これ、豆乳ですかー」と言うと、飲ませてくれるし、にがりを入れて、ぐじゅぐじゅの固まってないとうふを、「これがまた美味しいよ」とよそってくれるし、ぐじゅぐじゅを固めている最中の休憩時間には冷蔵庫から冷凍バナナを出してくれた。
さすがにバナナはもう食べられないですー、とお断りすると、「あら・・・食べないよ、キャンデーみたいに」と言われるので、食べた・・・・・
出来あがった菜豆腐も食べたことは言うまでもない。
色々とお世話になり、私がそこへたどり着くまでの話も御主人と一緒にケラケラ笑いながら聞いて、私の帰りを心配したオバサンは、近道だという行き方を教えてくれた。
私が不安そうにするので、峠まで送ってやろうか?と言われたが、御主人が「一本道やから大丈夫やがー」と言うので、頑張ってひとりで帰った。
確かに一本道だ。
しかし、教わった看板が出てくるまでに一時間かかった。
その上、ほんの2,300mぐらいしか離れてないように教わった峠だったが、市房山という九州山脈の立派な山。
峠から見た景色は八つ墓村の、村がない感じ。
やはり、とんでもない場所だった。
一時間かけて教わった看板が見えたとき、ようやく私にもわかってきた。
彼らと、距離の感覚が違うことを。
そこに気付いたとき、私の中でテトリスのように疑問がきれいに消えて行った。
来月の20日すぎ、再び私は椎葉へ行く。
教わった近道を通って行き、帰りは上椎葉から戻ってこようと思っている。
鶴富屋敷や、椎葉厳島神社に寄って帰ろう。
大きな椎葉ダムも。
自然が豊かで、住む人の気持ちが温かい。行けばきっと、あなたの心のふるさとになるよ、そう言われて行った椎葉村。
あれから何度か電話をしたが、そのたびに「遊びにおいで」と言ってくれる。
ありがたい。
次に行ったときにも、お腹をすかせて行けば山盛りご飯を食べさせてくれるかな。
そしてここは山の中。
不土野という場所は上椎葉から西へ1時間。
途中、道路通行の時間制限もある、という場所なのだった。
多分、5年前の台風14号の水害での被害箇所だと思う。
まだ何箇所も工事中だった。
生協のお兄さんから教えてもらったとおりに走ってみたが、とにかく道が分かれていても右右右で赤い橋を左、なんていう判りやすいのか判りにくいのか判らん教え方で、「分かれている道」も、道が狭すぎて、民家に入る道なのか、純粋に分かれ道なのかの区別もつかない。
とにかく右右右で赤い橋を左!
赤い橋だが、赤い鉄橋を渡って左に行くと、なんとなく違う雰囲気。
戻って、近くで工事していたオジサンに尋ねると、真っ直ぐ行ったら赤い橋があるから渡って左、だと言う。
ここでも出た、赤い橋。
真っ直ぐ行くと橋があったが赤くない。
でも、渡ると「不土野小学校左」という手書きの看板があるので、左に曲がる。
どこが赤いんだろう…と振り返ると確かに横が赤かった・・・・それは運転してたら見えないし・・・・
ようやく不土野に入り、生協のお兄さんに教わったことを思い出しながら走る。
この道もまた離合などできず、一度大型トラックに遭遇したときは川に落ちるんじゃないかとドキドキした。
2軒も間違って入ってしまったが、そのたびに「あー、そりゃあこの先の2軒ならんでる上の家よ」と教わった。
並んでないし。
ようやく辿り着いた先では、お昼を食べていない、と言う私にオバサンが山盛りご飯と大根葉の漬物を出してくれた。
あまりに美味しくて、山盛りご飯をぺラっと食べた私に、ほらっ、とおかわりの手を出すので茶碗を渡すと、また山盛りご飯と大根葉の漬物をよそってくれた。
しっかり食べた。
椎葉名物の菜豆腐を見に行ったのだが、その後オバサンが私の目の前で一から作ってくれた菜豆腐は、それはそれは美しかった。
おまけに作る最中に「わぁー!これ、豆乳ですかー」と言うと、飲ませてくれるし、にがりを入れて、ぐじゅぐじゅの固まってないとうふを、「これがまた美味しいよ」とよそってくれるし、ぐじゅぐじゅを固めている最中の休憩時間には冷蔵庫から冷凍バナナを出してくれた。
さすがにバナナはもう食べられないですー、とお断りすると、「あら・・・食べないよ、キャンデーみたいに」と言われるので、食べた・・・・・
出来あがった菜豆腐も食べたことは言うまでもない。
色々とお世話になり、私がそこへたどり着くまでの話も御主人と一緒にケラケラ笑いながら聞いて、私の帰りを心配したオバサンは、近道だという行き方を教えてくれた。
私が不安そうにするので、峠まで送ってやろうか?と言われたが、御主人が「一本道やから大丈夫やがー」と言うので、頑張ってひとりで帰った。
確かに一本道だ。
しかし、教わった看板が出てくるまでに一時間かかった。
その上、ほんの2,300mぐらいしか離れてないように教わった峠だったが、市房山という九州山脈の立派な山。
峠から見た景色は八つ墓村の、村がない感じ。
やはり、とんでもない場所だった。
一時間かけて教わった看板が見えたとき、ようやく私にもわかってきた。
彼らと、距離の感覚が違うことを。
そこに気付いたとき、私の中でテトリスのように疑問がきれいに消えて行った。
来月の20日すぎ、再び私は椎葉へ行く。
教わった近道を通って行き、帰りは上椎葉から戻ってこようと思っている。
鶴富屋敷や、椎葉厳島神社に寄って帰ろう。
大きな椎葉ダムも。
自然が豊かで、住む人の気持ちが温かい。行けばきっと、あなたの心のふるさとになるよ、そう言われて行った椎葉村。
あれから何度か電話をしたが、そのたびに「遊びにおいで」と言ってくれる。
ありがたい。
次に行ったときにも、お腹をすかせて行けば山盛りご飯を食べさせてくれるかな。
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人間の証明、、
2010年10月01日金
空気も水も
スケール感も
人生観も桁違いに大きい場所
下水の水さえすくって飲みたくなる
自然というものを
これっぽっちも知らなかったって
思い知らされる所
すぐ隣の家まで
山ふたつ越す所
学校まで歩いて往復ってことが
どんだけ凄いことなのか
思い知らされる場所
自然って凄いね
人間って凄いね
敵いません
ダムも凄いから
呆れてきなさい、、
Re:人間の証明、、
あははーーーー(^◇^)
もう、そのコメント通り!
豆腐作ってる那須さんち、住んでる山が全部自分とこの山だそうで、豆腐の作業場は御主人の手作り。
木も自分ちの山から切り出してきたやつ。
使う水も自分ちの山から引いてきてるやつ。
釜を焚く火を起こす薪だって、もちろん自分ちの山のやつ。
きれーいな水でした。
もう、そのコメント通り!
豆腐作ってる那須さんち、住んでる山が全部自分とこの山だそうで、豆腐の作業場は御主人の手作り。
木も自分ちの山から切り出してきたやつ。
使う水も自分ちの山から引いてきてるやつ。
釜を焚く火を起こす薪だって、もちろん自分ちの山のやつ。
きれーいな水でした。
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