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  • 02/12/18:41

10.01.12:06

キャタピラー ~映画~

今まで観た邦画で一番最低~だと思っていたのは「ひかる源氏物語 千年の恋」だが、キャタピラの前では、この作品はただの馬鹿で、頭が悪く罪がないところがとても可愛らしく思える。
このことだけは自信を持って言えるが、映画にしても人にしても、初めて会うときにはどんな噂を聞いていても会う前から、観る前から決めつけたりはしない。
ただ想像はする。
こんな話じゃないかな、こういう映像が出るんじゃないかな、と。
だから反戦、と聞いていても、そんな感覚は持っていなかった。

「キャタピラー」は、四肢を失っても尚、男性として妻を支配しようとする夫に対して、妻が恐れながら、馬鹿にしながら、自身を貶めながらも関係性をなんとかして作っていこうとする・・・・という話じゃないかな?と想像していた。
が、しかし、全然違っていた。
あくまでも若松監督自身のプロパガンダ映画。
彼自身が持っている第二次大戦やそれ以前の、日本に対する戦争認識のみで作った作品だと思う。
決して「反戦映画」ではない。
色んなところで、「反戦」という言葉が飛び交っているが、この作品のどこを見て反戦なんて言えるんだろう?
この作品に出てきた映像も物語も、これが戦争だ!と、まさに、演出で意図されたものでしかないのに。

この作品に描かれているのは、特定の何かから支配され、間違った方向へ進む集団の愚かしさ。
その象徴としての一組の夫婦がいる。

妻は戦争で四肢を失う以前の夫からは、産まず女!と馬鹿にされながら、身体も心も苦痛の中でセックスをしていた。
四肢を失った夫にも、以前よりもっと精神的苦痛を伴いながらセックス。
妻は、夫に尽くさねばならぬ、という考え方に支配されている。
夫が身体を壊す以前から気持ちは折れているのに、自分を何も考えない人形のような存在であろうとすることで、保ってきたのだろうか。
気持ちを支えてきたのは、例えば里山の四季を感じることであるとか、日々の作業で太陽の光を感じる気持ち良さであるとか、そういう普通の何気ない感覚だっただろう。
が、四肢を失った男を夫として受け入れるには、そんな普通の感覚だけでは足りず、ダルマのような夫に軍服を着せ、軍神と崇められている夫に尽くす勲功婦人として人々に称賛されなければならなかった。

ここまで打ってみたら面白いのである。
この作品。
だから、である。
戦争を絡めてしまったからこの作品は私の中で、ダメなのだ。

最初に日中戦争の映像(と、テロップが出たが)が出た時点でイヤだった。
途中の戦時中の映像もイヤだった。
玉音放送を最初から最後まで、全てを流さないのもイヤだった。
夫が中国?かアジアの国で行ったらしい、現地の女へのレイプの映像が、たびたび登場するのもイヤだった。
少尉と呼ばれていたが、陸軍士官学校を卒業していなさそうなのに、少尉になれるのだろうか?
そこは判らないが、そこまでの階級で、あんな馬鹿はないように思うのだが・・・・。
あとで贈られた称号かもしれないけれど、なんにせよ、ああいう馬鹿な行為にしても戦争中の非常事態であり、今でもどこかで日常的に行われている行為なのではないか。
そして極めつけは「死んだ女の子」の歌である。

これは、原爆で亡くなった子どもの気持ちを読んだ詩である。
何が何でも胸を打つ、ストレートな詩である。
戦いで亡くなっていく、小さな命に、心から手を合わせたいと思う詩である。

それを、若松監督のこの作品のエンドロールで流すのは許せない。
作品の内容とは、まるでかけ離れている。
戦争中の日本人って、こんなだったんだよー。
天皇陛下の写真なんか大事に飾って、こんなに誰もが虚しいのに、どうよ?
お国のため、お国のため、ってみーんな言ってたんだねー。
なんて、鼻で笑ってるような作品だ。
それも、これでもか!これでもか!と、まさに夫がアジアの女を凌辱したように映像で観客を凌辱しながら。

そのエンドロールに、平和でいてね、お願いね、と心からの願いを込めた詩が流れたのである。

もし、今、反戦と言うなら、あの頃の日本を言うよりむしろ中国じゃないか。
日本を題材にするのは、何も言わない相手だからじゃないだろうか。

若松監督が「あさま山荘への道」で描いていた、特定の何かから支配され、間違った方向へ進む集団の愚かしさ、その流れが今回も一貫していることはわかる。
だがしかし、不快な作品だった。
エンドロールで「死んだ女の子」を流さなければ、まだ許せたかもしれないが・・・・・・・・

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09.30.23:28

椎葉と帽子2

気分は西條八十、人間の証明の松田優作、ジョー山中。。。。
そしてここは山の中。

不土野という場所は上椎葉から西へ1時間。
途中、道路通行の時間制限もある、という場所なのだった。
多分、5年前の台風14号の水害での被害箇所だと思う。
まだ何箇所も工事中だった。

生協のお兄さんから教えてもらったとおりに走ってみたが、とにかく道が分かれていても右右右で赤い橋を左、なんていう判りやすいのか判りにくいのか判らん教え方で、「分かれている道」も、道が狭すぎて、民家に入る道なのか、純粋に分かれ道なのかの区別もつかない。
とにかく右右右で赤い橋を左!

赤い橋だが、赤い鉄橋を渡って左に行くと、なんとなく違う雰囲気。
戻って、近くで工事していたオジサンに尋ねると、真っ直ぐ行ったら赤い橋があるから渡って左、だと言う。
ここでも出た、赤い橋。
真っ直ぐ行くと橋があったが赤くない。
でも、渡ると「不土野小学校左」という手書きの看板があるので、左に曲がる。
どこが赤いんだろう…と振り返ると確かに横が赤かった・・・・それは運転してたら見えないし・・・・

ようやく不土野に入り、生協のお兄さんに教わったことを思い出しながら走る。
この道もまた離合などできず、一度大型トラックに遭遇したときは川に落ちるんじゃないかとドキドキした。
2軒も間違って入ってしまったが、そのたびに「あー、そりゃあこの先の2軒ならんでる上の家よ」と教わった。
並んでないし。

ようやく辿り着いた先では、お昼を食べていない、と言う私にオバサンが山盛りご飯と大根葉の漬物を出してくれた。
あまりに美味しくて、山盛りご飯をぺラっと食べた私に、ほらっ、とおかわりの手を出すので茶碗を渡すと、また山盛りご飯と大根葉の漬物をよそってくれた。
しっかり食べた。

椎葉名物の菜豆腐を見に行ったのだが、その後オバサンが私の目の前で一から作ってくれた菜豆腐は、それはそれは美しかった。
おまけに作る最中に「わぁー!これ、豆乳ですかー」と言うと、飲ませてくれるし、にがりを入れて、ぐじゅぐじゅの固まってないとうふを、「これがまた美味しいよ」とよそってくれるし、ぐじゅぐじゅを固めている最中の休憩時間には冷蔵庫から冷凍バナナを出してくれた。
さすがにバナナはもう食べられないですー、とお断りすると、「あら・・・食べないよ、キャンデーみたいに」と言われるので、食べた・・・・・
出来あがった菜豆腐も食べたことは言うまでもない。

色々とお世話になり、私がそこへたどり着くまでの話も御主人と一緒にケラケラ笑いながら聞いて、私の帰りを心配したオバサンは、近道だという行き方を教えてくれた。
私が不安そうにするので、峠まで送ってやろうか?と言われたが、御主人が「一本道やから大丈夫やがー」と言うので、頑張ってひとりで帰った。

確かに一本道だ。
しかし、教わった看板が出てくるまでに一時間かかった。
その上、ほんの2,300mぐらいしか離れてないように教わった峠だったが、市房山という九州山脈の立派な山。
峠から見た景色は八つ墓村の、村がない感じ。
やはり、とんでもない場所だった。
一時間かけて教わった看板が見えたとき、ようやく私にもわかってきた。
彼らと、距離の感覚が違うことを。
そこに気付いたとき、私の中でテトリスのように疑問がきれいに消えて行った。

来月の20日すぎ、再び私は椎葉へ行く。
教わった近道を通って行き、帰りは上椎葉から戻ってこようと思っている。
鶴富屋敷や、椎葉厳島神社に寄って帰ろう。
大きな椎葉ダムも。

自然が豊かで、住む人の気持ちが温かい。行けばきっと、あなたの心のふるさとになるよ、そう言われて行った椎葉村。
あれから何度か電話をしたが、そのたびに「遊びにおいで」と言ってくれる。
ありがたい。
次に行ったときにも、お腹をすかせて行けば山盛りご飯を食べさせてくれるかな。

09.29.23:03

椎葉と帽子 1

shiiba.jpg先日、宮崎県の秘境・椎葉村を初めて訪れた。
前~から、すごいトコだーとは聞いていたが、まさかあれほどとは・・・
私は生まれて初めて、自分で車を運転しながら車に酔ってしまった。

行く途中、西米良村で仕事の電話がはいり、そのあと、また別の仕事先への連絡を仰せつかってしまった。
私の計画では、そこから1時間半ほど、お昼ぐらいには椎葉村役場へたどり着く予定だったので、
仕事先への電話も、今は携帯は圏外だが、役場に着けば公衆電話があるだろう、大丈夫だー、と再び出発。
がーーーーーーーーー!

車が離合など決してできない、山を這うように出来た川沿いの道は曲がりくねり、行けども行けども山の中。
初めの頃は「おお~~~♪」と感激して写真など撮っていたが、時間は過ぎていくのに山道が途切れることはなく、焦る。
携帯電話は思い切り圏外だし、困ったことに電池は一個のマーク。
やっと少し景色がひらけ、ふた股に分かれている道のわきには看板に地図など描いてあるので下りてチェック。
すると、どちらからでも上椎葉にたどり着くが、どっちにしてもえらいな山道がこの先出てくる気配。
国道265号、と書いてあるほうを選んだほうが良さそうな気がする・・・と、国道を通ることに。
地図も見たし、この道をとにかく行けば上椎葉にたどり着く、というお墨付きをもらったから安心だし。
そう思ったのだが・・・・・・・・

またこれが、走っても走っても山を越える気配がない。
やっぱり道は狭いし、曲がりくねってるし、ずっと山の中だし。
連絡しなければー!携帯つながらんし!と、再び焦る。
飯干峠、と書かれた場所にたどり着くまで、1時間近くかかった。

あの光景は忘れられない。

深い山あいはとても緑で、何軒かの民家がみえた。
決して新しくはない建物が、深い谷になっている場所にぽつん、ぽつん、と。
八つ墓村だ・・・・
そう思った。

横溝正史シリーズに登場するような山あいの光景。
こんな高いところまで来たんだー、と、何気に衝撃を受けた。
民家が見えたことにも安心した。
きっとそのうち公衆電話が現れるだろうー、そう思った。
甘かった・・・・・

そこから再び1時間ほど走り、スック!と道端に立っている鹿にも驚かなくなり、道の脇から飛び出すのが猫ではなくタヌキだということにも慣れ、それよりも電話!トイレ!いったいどこまで走れば町が出てくるんだろう!

もしかしてここが町?と思えるような場所に出たときにはあぶら汗でジットリ。
はぁー、外でする羽目にならずに済んだー、と、ようやく気持ちに余裕も出て、
さっきの場所は「人間の証明」みたいでもあったなー、なんて考えていた。
ただ、その日に予定していた場所は上椎葉からさらに1時間ほど奥に行った、不土野、という場所。
すでに4時間も運転して、グッタリだったが、親切な生協の配達のお兄さんをつかまえたり、道路工事のおじちゃんに道を聞いたりして、何とかかんとか目的地へ辿り着いた。。。。。。

そんな感じで行ってきた椎葉村だったが、思い出すと、あの場所へ再び行きたくてたまらなくなる。
とても深い谷の、周りは山ばかりだけど。
里山、ではない。
本物の山に作られた集落。
平家の落人たちは、いったいどんな必死さであの山を越えたのだろう。
切ない。

母さん、きっと今頃は
今夜あたりはあの谷間に静かに雪が降り積もっているでせう

こちらも随分涼しくなった。
きっと椎葉の山あいは、もっともっと涼しいだろうと思う。



09.12.20:49

悪人 ~映画~

~バッチリ ネタばれしてます~akunin.jpg
この作品は、言ってしまえば竹内まりやの歌のような映画である。
実際ならば、「ハイハイハイ…勝手にしときなさい」としか思えない人たちの話を、さもものすごい大恋愛をして、ものすごい心の軌跡があったかのように観せている。
たしかに心の軌跡はある。
同情すべき生い立ちや、生活環境も。
が、しかし・・・・・私は裁判員ではないので、情状酌量の余地あり、などとは思わないし、どこか騙された感あり。

土木作業員の祐一(妻夫木聡)は、祖父母と暮らしている。
母親は祐一を置いて出て行き、家には帰ってこない。
彼は祖母に育てられ、病気の祖父の面倒を祖母と一緒にみている。
どうやら女性との付き合いには慣れてはいないらしく、出会い系サイトで知り合った佳乃(満島ひかり)とセックスだけの関係(それもお金を払って)で付き合っていると思っている。
佳乃はそんな祐一をダサいとバカにしているが、自分自身を客観的に見ることができず、まともな人間関係を作れない彼女もダサい女だ。
老舗旅館の息子で見栄えが良いだけで、頭のからっぽな大学生・増尾にバカにされ遊ばれていることに気付かず、バカにされたまま捨てられる。

増尾の車から蹴り出され、傷ついていた佳乃に声をかけた祐一だが、みっともない姿を見られた佳乃は逆上し、祐一をののしる。
ののしられた祐一は、それまでの鬱憤が爆発し、佳乃を殺してしまう。
バカがバカをバカにしたために殺される・・・・・という、もう、どうでもいいや、と言いたい話。

そこにもうひとり、男に飢えている光代(深津絵里)が登場する。
多分、祐一よりも随分年上の彼女は、紳士服店で働き、妹と暮らしている。
妹には付き合っている男性がいて、光代が雨に濡れてアパートへ帰っても、チェーンがかけられ直ぐには部屋へ入れないこともある。
妹が彼氏と出掛けたあとのベッドの乱れを、虚しく見つめてしまう。
職場では、ズボンの補正を行うときに、男性の足に身体をすりつけんばかり。
その彼女が、出会い系サイトでメールを送ったのが祐一だった。

本気で誰かに出会いたかったから。
その気持ちはとてもよくわかる。

が、である。
光代は祐一との最初のデートで車に乗ってすぐに「ホテルに行こう」と誘われ、行く。
いきなり下着だけ脱がされ、それも後ろから挿入。
普通ならばこの時点で(というか、すぐホテルに誘われた時点で)自分がどういう扱いなのかが理解できるものだ。
しかしとにかく男が欲しい光代は、それでも「お付き合い」したいと願っている。
セックスだけで光代を帰した祐一と、情けない自分自身に涙するのである。
そして、佳乃に求められたように光代にもお金を渡した祐一が、光代に謝りに来たとき、あっさりと受け入れている。
そのまま祐一に連れられ、逃亡。

逃亡中、祐一は殺人を犯したこと、自分がどんな暮らしであるか、そして母に捨てられた生い立ちを語る。
今まで変わり映えのしない人生を生きていた光代にすれば、渡りに舟である。
いきなりのドラマティックな展開が始まったのだから。

このふたり、「これが愛なの?と~、たずねるのはやめてよ~♪」と、浜田省吾なら歌いたいところだ。

気の毒なのは、娘を殺されて、その娘が大馬鹿ものだったことを、いきなり突き付けられる両親(柄本明・宮崎美子)だ。
ハイハイ商法に騙され、大金を払う羽目になったうえ、孫は殺人を犯し、自分自身の愚かさを齢を取って知ることになってしまった老婆(樹木希林)だ。

逮捕されるとき、光代を殺そうとした(永遠に自分のものにしたかったから、またはあんぽんたんなりの最後の優しさ、、であってほしいが)祐一が、引き離され、光代に手をのばす・・・・・というとても愚かな演出は、竹内まりやの勘違いソングに通じる。
逃亡中、灯台でふたりの世界に浸って朝日をみつめるラストも、これらは演出する側が、いかに観客を泣かせるか?考えすぎたとしか思えない。

モントリオール映画祭で深津絵里が主演女優賞をとってしまった・・・・
上辺だけで何も考えていないマスコミが、こぞってこの作品を褒めるに違いないが、この作品は映画ファンの間では「黒木瞳が好き」と聞けば、その人の程度がわかる、みたいな扱いになるかもしれない。

シネマ1987のフォーラムでも、さすがにここまでハッキリとは出せなかったので、私の場所で好き勝手に言わせてもらう。
「悪人」には騙されないぞ!

09.07.00:01

可愛い肩書きついてます

箔を付けるというか、人としてピカッと光ってはいたいけれど、肩書きはいらない。
生活していかなければ、なので、お金を稼ぐための手段は必要だ。
私自身で「生活してます!」と言えたら、最高に嬉しいと思う。
そこにはまだまだ到達していないので、そのために頑張っている。

あ、ドレミ会会長という可愛い肩書きがついています、今年度だけですが。

子どもたちは本当に頑張っています。
九州大会では金賞とれましたー。
全国への推薦にはならず、その事を子どもたちがとても残念がっていたのにはちょっと感動しました。

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