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05.09.10:16 ノン子36歳(家事手伝い)~映画~ |
先日観た『ノン子36歳(家事手伝い)』はイタい作品だった。
作品としてはちゃんと完成された邦画だった。
出演者たちも、とても上手だったし。
坂井真紀のダメダメぶりも、バツいち友達の濱田マリも、ダメダメ男の鶴見辰吾も、これまた確実に鶴見辰吾に輪をかけたダメ男に成長するだろう年下男も、坂井真紀の上っ面家族の面々も、みんな上手だった。
上手すぎて、この作品をもしや「女性の前向き、さわやかな独り立ち!」を期待して観た女性には、ご愁傷様、と言ってあげたい。
ネタバレします。
映画のポスターにあるコピーは気にしないつもりだけど、「文章」という生き物が好きでたまらないので、どこかで一瞬にして記憶の刷り込みがされているように思う。
『最後にしたの、 いつだっけ』
浅い水の中に体を沈め、顔だけを出して目を閉じている坂井真紀。
それは、ちょっと死んだふり。
その気持ちには惹かれる、わかる。
そんな写真とコピーを読むに、多分この女は精神的に自立してない悲しい女で、この映画もたいしたラスト(私好みの)は望めんな・・・と想像する。
で、やっぱり望めなかった。
あれ、前向き、ちゃあ前向きだったのでしょうけど。。。
そんな風に終わるところといい、それまでの物語といい、雰囲気といい、ATGの作品ぽい。
だとすると、もう少しパワーが欲しいところ。
物語の中身に関してだと、ああいう頭の先から爪の先まで全身勘違いしている女はどうしようもないし、実際ごろごろしてるから、自分らの周りを見てみれば必ずいる。
ダメ男ばかりを捕まえるのは、男がみんなそうなのではなく、その女がそういう男しか選ばないから。
それで「私は前向きよ」と言われたら何も言えないわ。
みたいな女のお話。
面白くもなんともない。
ただ、この作品をひとりの「心の闇」を抱えた女性の物語として観るなら、精神科医の勉強会にも使えそうな素材だ。
唯一、登場人物の中で経済的にも精神的にも自信に溢れたヤクザ、安川とノン子の関係と、それ以外の男たち(父親を含め)との関係から、ノン子自体が自分に自信が持てず、自分よりも程度の低い男としか関われないことを表していると思う。
その原因が彼女と父親、母親との関係性につながっている。
母親は父親の顔色だけを見、上辺だけの幸せを取り繕って生きている。
父親は大きな神社の神主、という立場上、人格者の仮面を被り、娘とまともに向き合おうとはしない。
妹はそんな両親でありながらも、そこを「そんなもん」と生きてきたのだろう。
うまく適当に暮らしている。
そんな上辺だけの家族関係で、まともな心の成長ができるはずがなく、ノン子は寂しさを男に求め、空しい夢を見て、傷つきながら、それを怠惰に隠しながら生きている。
妹と違い、ノン子は真面目だったからこそダメ女になったともいえる。
きっと彼女の心のどこかで、白馬の王子さまが現れることを待ち望みながら。
だからこそ、突拍子もない世間知らずの年下男に惹かれた。
ひよこを追いかけるシーンや、自分を否定されて大暴れした年下男に求められ、ふたりで「卒業」よろしく逃げるシーンなど、をロマンティックなものとして観る女性がいるんだろう、きっと。
そのあたりが、昔から続いている「精神的自立に程遠い男女関係」がなくならない理由だと思う。
女性が観て面白い作品ではないです、と思いたい!
でも、作品として意欲作ではあると思いました。
作品としてはちゃんと完成された邦画だった。
出演者たちも、とても上手だったし。
坂井真紀のダメダメぶりも、バツいち友達の濱田マリも、ダメダメ男の鶴見辰吾も、これまた確実に鶴見辰吾に輪をかけたダメ男に成長するだろう年下男も、坂井真紀の上っ面家族の面々も、みんな上手だった。
上手すぎて、この作品をもしや「女性の前向き、さわやかな独り立ち!」を期待して観た女性には、ご愁傷様、と言ってあげたい。
ネタバレします。
映画のポスターにあるコピーは気にしないつもりだけど、「文章」という生き物が好きでたまらないので、どこかで一瞬にして記憶の刷り込みがされているように思う。
『最後にしたの、 いつだっけ』
浅い水の中に体を沈め、顔だけを出して目を閉じている坂井真紀。
それは、ちょっと死んだふり。
その気持ちには惹かれる、わかる。
そんな写真とコピーを読むに、多分この女は精神的に自立してない悲しい女で、この映画もたいしたラスト(私好みの)は望めんな・・・と想像する。
で、やっぱり望めなかった。
あれ、前向き、ちゃあ前向きだったのでしょうけど。。。
そんな風に終わるところといい、それまでの物語といい、雰囲気といい、ATGの作品ぽい。
だとすると、もう少しパワーが欲しいところ。
物語の中身に関してだと、ああいう頭の先から爪の先まで全身勘違いしている女はどうしようもないし、実際ごろごろしてるから、自分らの周りを見てみれば必ずいる。
ダメ男ばかりを捕まえるのは、男がみんなそうなのではなく、その女がそういう男しか選ばないから。
それで「私は前向きよ」と言われたら何も言えないわ。
みたいな女のお話。
面白くもなんともない。
ただ、この作品をひとりの「心の闇」を抱えた女性の物語として観るなら、精神科医の勉強会にも使えそうな素材だ。
唯一、登場人物の中で経済的にも精神的にも自信に溢れたヤクザ、安川とノン子の関係と、それ以外の男たち(父親を含め)との関係から、ノン子自体が自分に自信が持てず、自分よりも程度の低い男としか関われないことを表していると思う。
その原因が彼女と父親、母親との関係性につながっている。
母親は父親の顔色だけを見、上辺だけの幸せを取り繕って生きている。
父親は大きな神社の神主、という立場上、人格者の仮面を被り、娘とまともに向き合おうとはしない。
妹はそんな両親でありながらも、そこを「そんなもん」と生きてきたのだろう。
うまく適当に暮らしている。
そんな上辺だけの家族関係で、まともな心の成長ができるはずがなく、ノン子は寂しさを男に求め、空しい夢を見て、傷つきながら、それを怠惰に隠しながら生きている。
妹と違い、ノン子は真面目だったからこそダメ女になったともいえる。
きっと彼女の心のどこかで、白馬の王子さまが現れることを待ち望みながら。
だからこそ、突拍子もない世間知らずの年下男に惹かれた。
ひよこを追いかけるシーンや、自分を否定されて大暴れした年下男に求められ、ふたりで「卒業」よろしく逃げるシーンなど、をロマンティックなものとして観る女性がいるんだろう、きっと。
そのあたりが、昔から続いている「精神的自立に程遠い男女関係」がなくならない理由だと思う。
女性が観て面白い作品ではないです、と思いたい!
でも、作品として意欲作ではあると思いました。
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Re:ノン子36歳(家事手伝い)~映画~
2009年05月09日土
バツ一女がうだうだ実家で居候しているところに
若くて爽やかな年下の青年が現れて
恋に落ちて 二人で夢を求めて歩いていく
そーーんなストーリーは描いてはいなかったが・・・
それにしても という感じだった
面白かった?と問われれば いや面白くない
また観たい?と問われても いや観たくない
役者は上手いと思ったが
この映画の作者?監督?プロデューサー?
意図は何だろう この映画の目的は? なんなんだぁーーー?
全くわからないまま過ごしてきたが・・・
45さんの考察を読んで 映画を思い返して 私として 一つわかったこと・・・
それは
99%は ただただ現実をなぞるだけの いらつく物語だったけど
あの二人手に手をとって電車に乗ってた時間だけが
私達が追い求める夢の時間だったかな
でも やっぱり 一瞬で夢は覚めた
あのホームに残されたシューズがこの映画の全てかなぁーーって
元気も出ない 爽やかさもない 満足感もない
そんな映画
「おっぱいバレー」や「名探偵コナン」のほうがよほど楽しい時間を得られる映画
ただ このあまりに夢のない世界を見せられて それで いいのか と
自問するにはいい映画だったかな とほんの少しだけ思えた
45さんの考察で 教えられたよ
Re:Re:ノン子36歳(家事手伝い)~映画~
ikさん、すごい・・・
ホームに残されたシューズにだけは胸がスッとしましたね。
あとはもうダメすぎて・・・。
夢をもう一度追うために東京行くって言いだすから、お!頑張る気になったんだ♪と思いきや、鶴見辰吾のばか話に乗る気になった、ってことで、そのあとで馬鹿馬鹿しく大暴れの年下男にきゅん・・・ってなってるし。
電車のふたりを観ながら、あんたらこの世の果てで野垂れ死にしなよ、と思っていたらひとりで帰ったから、少しは救われました。
私も二度と観たくはありません。
ホームに残されたシューズにだけは胸がスッとしましたね。
あとはもうダメすぎて・・・。
夢をもう一度追うために東京行くって言いだすから、お!頑張る気になったんだ♪と思いきや、鶴見辰吾のばか話に乗る気になった、ってことで、そのあとで馬鹿馬鹿しく大暴れの年下男にきゅん・・・ってなってるし。
電車のふたりを観ながら、あんたらこの世の果てで野垂れ死にしなよ、と思っていたらひとりで帰ったから、少しは救われました。
私も二度と観たくはありません。
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