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04.08.12:26 ものすごくうるさくて、ありえないほど近い |
なんだか韓国映画のようなタイトルである。
いつも不思議に思っていたのだが、どうして韓国映画はあんなにタイトルが長いのだろう?
「猟奇的な彼女」「親切なクムジャさん」あたりからどこか違和感を感じていたが、
「私の頭の中の消しゴム」では、私のようにタイトルにどこか引っ掛かる感を持っている人へのアピールかと思った。
なぜなら気になって仕方ないから、その作品を観に行くかもしれない。
新しい宣伝方法だな、やるなと思った。
そこでこの作品だが、歳をとってもの覚えが悪くなった私は一度聞いただけでは覚えない。
とりあえず、「ありえん近い」だけで覚えている。
誰かがこのタイトルはアスペルガーの人の感覚らしいと言っていた。
そうなの?と感じたのは、私にもその気があるからだと思う。
親しくしている人たちに発達障害がある人たちが多いからか、またはその人たちがとても魅力的で頭がよく、大好きなので発達障害ってたまに迷惑だけどむしろスゴイ!と思っている私は、発達障害は本などで勉強してわかるものではないと断言したい。
これも世の中ではよく、
「ゲイの人って~だよね」
「レズビアンの人って~だよね」
などと言う人がいるが、じゃあ
「男が好きな女って~だよね」
「女が好きな男って~だよね」
という話が成立するだろうか?
成立しないことは誰もが承知している事実である。
性格は100人いれば100人違うし、考え方も100通り。
だから私たちは「世界にひとつだけの花」なのである。ww
なので、同じように発達障害もそれを持っている人ごとに違う。
人の分類分けで、
「異性愛者」「同性愛者」「両性愛者」と大まかに分けられるように、
「発達障害」がある。
そう理解してもらいたいと思っているし、そうなんです。
で、この作品だが、あくまでも9・11は主人公オスカーにとっては新しい扉を開けるきっかけだなと思った。
彼に大きな影響を与えたのは「父親の死」。
9・11ではありません。
ただし、彼以外のNYの人たちには9・11が影響している人もいるのだろうけれど、そうでない人たちもいたのではないかと思う。
たまたまオスカーの父が死んだのが9・11のテロが原因であった、ということにすぎません。
だからもしかするとハドソン川に浮かぶ小舟が転覆して、それにたまたま乗っていた父親が死んだ、という話しにもなりえたのではないかということ。
あくまでもこの作品で私が感じたのは、アスペルガーの症状がある子どもが、何かのきっかけで今まではできなかったことを出来るようにがんばってみる(一番彼が頑張っていたのは、大好きな庇護者が急にいなくなったことを理解し、そのストレスを解消する、我慢すること)、そのために夫を失った妻が母親として初めて息子に向き合ってみる、という内容だった。
人づきあいがとても苦手で、そこに並々ならぬパワーを必要とする彼ら(アスペ)が、知らない人の家を訪ねることがどんなに大変なことか。
一度理解したことを覆されることが、どんなにしんどいか。
一度組み立てた考えを、もう一度組み立て直すことに、どれだけの力が必要か。
そのストレスが溜まりに溜まって大爆発するシーンが、オスカーがお祖父さんに今までの経緯や気持ちを一気にしゃべる、、、というシーン。
(オスカーが抱えた悲しみは、爆発しない。
誰だってそうだと思うが、悲しみは爆発しない。
身体や心に染みていつか溢れる。
爆発するのは抱えてしまった癒されないストレスです。)
オスカーが何か新しいことを始めたと気付いた母親が、彼に知られないようにいろんなお膳立てをする。
そこはあまりにも甘いように感じたが、つまりそこにNYの人たちが協力することこそが9・11がNYの住人に与えた影響なんだと思う。
9・11なくしては、そのシチュエーションはありえなかったのではないか?
かくしてオスカーは少し理解する。
初対面の人たちにも自分は会いにいけること、
下が見える橋だってなんとか通れること、
ブランコをこぐと面白いこと、
お父さんはビルから落ちていなくなったこと、
そしてお母さんも自分を愛していること。
傑作!、泣けたー!でもなかったけれど、最近ほんとに発達障害をテーマにした作品を、そのものズバリの診断名出してたくさん作られるようになったんだなぁとつくづく感じる。
それで「自分はまとも」だと思っている人たちがどれだけ理解しているのかは、はなはだ疑問だけれど。
発達障害がある人との付き合いはとてもしんどいし、たまにどうしてよいかわからなくなることもあるけれど、それでもその人が自分にとって大切な人ならばどんなにしんどくても理解しようとするし、こちらの事も理解してもらいたいと頑張る。(だいたい、「まとも」とはどんな人のことを言うのかも疑問だし、自分をまともだと言う人ほど馬鹿が多い)
それはどんな誰との付き合いでも同じです。
目の前にいる大切に思う「その人」を見て、考える。
あたりまえの事です。
いつも不思議に思っていたのだが、どうして韓国映画はあんなにタイトルが長いのだろう?
「猟奇的な彼女」「親切なクムジャさん」あたりからどこか違和感を感じていたが、
「私の頭の中の消しゴム」では、私のようにタイトルにどこか引っ掛かる感を持っている人へのアピールかと思った。
なぜなら気になって仕方ないから、その作品を観に行くかもしれない。
新しい宣伝方法だな、やるなと思った。
そこでこの作品だが、歳をとってもの覚えが悪くなった私は一度聞いただけでは覚えない。
とりあえず、「ありえん近い」だけで覚えている。
誰かがこのタイトルはアスペルガーの人の感覚らしいと言っていた。
そうなの?と感じたのは、私にもその気があるからだと思う。
親しくしている人たちに発達障害がある人たちが多いからか、またはその人たちがとても魅力的で頭がよく、大好きなので発達障害ってたまに迷惑だけどむしろスゴイ!と思っている私は、発達障害は本などで勉強してわかるものではないと断言したい。
これも世の中ではよく、
「ゲイの人って~だよね」
「レズビアンの人って~だよね」
などと言う人がいるが、じゃあ
「男が好きな女って~だよね」
「女が好きな男って~だよね」
という話が成立するだろうか?
成立しないことは誰もが承知している事実である。
性格は100人いれば100人違うし、考え方も100通り。
だから私たちは「世界にひとつだけの花」なのである。ww
なので、同じように発達障害もそれを持っている人ごとに違う。
人の分類分けで、
「異性愛者」「同性愛者」「両性愛者」と大まかに分けられるように、
「発達障害」がある。
そう理解してもらいたいと思っているし、そうなんです。
で、この作品だが、あくまでも9・11は主人公オスカーにとっては新しい扉を開けるきっかけだなと思った。
彼に大きな影響を与えたのは「父親の死」。
9・11ではありません。
ただし、彼以外のNYの人たちには9・11が影響している人もいるのだろうけれど、そうでない人たちもいたのではないかと思う。
たまたまオスカーの父が死んだのが9・11のテロが原因であった、ということにすぎません。
だからもしかするとハドソン川に浮かぶ小舟が転覆して、それにたまたま乗っていた父親が死んだ、という話しにもなりえたのではないかということ。
あくまでもこの作品で私が感じたのは、アスペルガーの症状がある子どもが、何かのきっかけで今まではできなかったことを出来るようにがんばってみる(一番彼が頑張っていたのは、大好きな庇護者が急にいなくなったことを理解し、そのストレスを解消する、我慢すること)、そのために夫を失った妻が母親として初めて息子に向き合ってみる、という内容だった。
人づきあいがとても苦手で、そこに並々ならぬパワーを必要とする彼ら(アスペ)が、知らない人の家を訪ねることがどんなに大変なことか。
一度理解したことを覆されることが、どんなにしんどいか。
一度組み立てた考えを、もう一度組み立て直すことに、どれだけの力が必要か。
そのストレスが溜まりに溜まって大爆発するシーンが、オスカーがお祖父さんに今までの経緯や気持ちを一気にしゃべる、、、というシーン。
(オスカーが抱えた悲しみは、爆発しない。
誰だってそうだと思うが、悲しみは爆発しない。
身体や心に染みていつか溢れる。
爆発するのは抱えてしまった癒されないストレスです。)
オスカーが何か新しいことを始めたと気付いた母親が、彼に知られないようにいろんなお膳立てをする。
そこはあまりにも甘いように感じたが、つまりそこにNYの人たちが協力することこそが9・11がNYの住人に与えた影響なんだと思う。
9・11なくしては、そのシチュエーションはありえなかったのではないか?
かくしてオスカーは少し理解する。
初対面の人たちにも自分は会いにいけること、
下が見える橋だってなんとか通れること、
ブランコをこぐと面白いこと、
お父さんはビルから落ちていなくなったこと、
そしてお母さんも自分を愛していること。
傑作!、泣けたー!でもなかったけれど、最近ほんとに発達障害をテーマにした作品を、そのものズバリの診断名出してたくさん作られるようになったんだなぁとつくづく感じる。
それで「自分はまとも」だと思っている人たちがどれだけ理解しているのかは、はなはだ疑問だけれど。
発達障害がある人との付き合いはとてもしんどいし、たまにどうしてよいかわからなくなることもあるけれど、それでもその人が自分にとって大切な人ならばどんなにしんどくても理解しようとするし、こちらの事も理解してもらいたいと頑張る。(だいたい、「まとも」とはどんな人のことを言うのかも疑問だし、自分をまともだと言う人ほど馬鹿が多い)
それはどんな誰との付き合いでも同じです。
目の前にいる大切に思う「その人」を見て、考える。
あたりまえの事です。
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Re:ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
2012年04月10日火
「ありえん近い」は私もまったく同様。ブログに書いたりする時にも、いちいちチラシで確かめたりしました。
ただ、アスペルガーと言う病気のことはまったく知らずに見たので、私にはちょっと引っ込み思案の普通の男の子としか思わずにみました。
引き込まれてみましたが、大傑作!とまでは思わなかったところも同じです。
Re:Re:ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
>ただ、アスペルガーと言う病気のことはまったく知らずに見たので、私にはちょっと引っ込み思案の普通の男の子としか思わずにみました。
それはある意味スゴイ!
いろんな人をまず分類することが、自分と違う他人を理解する第一歩だと思っている人が多いけれど、
そうじゃないharupyさんはやっぱり面白い!
同和の話しだって私たちは知らないから普通に接するのに、わざわざ話して「こういう問題があるんだ」って思わせるのはなぜ? まだ差別されている?単にその人の気持ちの問題?
>引き込まれてみましたが、大傑作!とまでは思わなかったところも同じです。
私は冷たいのか、私が経験してないその事象に対して衝撃は受けるけれど、映画で観て涙することができません。
どんなに事実に基づいていてもフィクションだと感じた瞬間に冷めてしまうので、実はこういう映画は苦手です。
それはある意味スゴイ!
いろんな人をまず分類することが、自分と違う他人を理解する第一歩だと思っている人が多いけれど、
そうじゃないharupyさんはやっぱり面白い!
同和の話しだって私たちは知らないから普通に接するのに、わざわざ話して「こういう問題があるんだ」って思わせるのはなぜ? まだ差別されている?単にその人の気持ちの問題?
>引き込まれてみましたが、大傑作!とまでは思わなかったところも同じです。
私は冷たいのか、私が経験してないその事象に対して衝撃は受けるけれど、映画で観て涙することができません。
どんなに事実に基づいていてもフィクションだと感じた瞬間に冷めてしまうので、実はこういう映画は苦手です。
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