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  • 11/27/00:41

12.19.08:55

バベル~映画~

人間が神に近づこうとした愚かさ、を表したバベルの塔。
そのため神は人間の言語をバラバラにしてしまった、らしい。
で、日本ではコピーにもそのエピソードが使われているのだが、それだけではなく人間が犯した罪、についての作品ではないか。

冒頭のモロッコの羊飼いの兄弟は、まさにカインとアベルや聖書で言うところの「神の方法」を守って暮らしている家族。
聖書では兄カインは農耕、弟アベルは羊飼いで、神への捧げものにカインは自ら土を耕し作ったものを、アベルは羊の初子の最良のもの、を差し出す。
神は兄の供物ではなく弟のものを喜び、嫉妬した兄は弟を殺す。
人類最初の殺人である。
何故、神は兄の供物を選ばなかったのか?
「地の作物」は人間の力と知恵の象徴だから。
神に到達できる高慢さの表れでもあるから。

作品でも兄は自分よりも可愛がられてる弟に嫉妬している。
また、この弟と姉との関係は近親相姦のようでもある。

神はアダムの骨でイブを作った。
ならば、イブはアダムの血と骨を分けた兄妹ではないか。
「人間の方法ではなく神の方法を用いること」。
モロッコの羊飼いの一家は、神の方法で生きている家族なのである。

その家族に「人間の方法」である銃が入ってくる。
弟は観光バスに向かって撃ち、ひとりのアメリカ人観光客に命中してしまう。
それはまさに「罪を覆うために流される血」。
かくしてモロッコの家族の罪は、撃たれたアメリカ人夫婦へと繋がれる。
罪のために血を流した妻は助かり、その罪は彼らの子どもたちへと移行する。
その子どもたちも罪のための犠牲、から逃れ、最後にメキシコ人家政婦の国外退去、という犠牲で罪の連鎖は消える。

それでは「人間の方法」である銃をモロッコの羊飼いに与えた日本人はどうか?
彼は妻を「人間の方法」である銃で失い、聾唖の娘も孤独に蝕まれ、彼自身も日々手探りしながら生きている。
そんな彼らの住処は、天に手の届きそうな高層ビルの最上階なのだ・・・・・・・・・・
神の怒りを買った人間の高慢さ、の象徴である高層ビルの真上で、一生言葉で心を通じ合わすことのできない二人が住んでいる、というのは「血を流さずに罪は償えない」人間の苦しみとして何ともストレートな表現だ。
babel.jpeg



たまに私、読み返してみて「よくこんなこと書けたなぁ~」と自分でもびっくりすることがあるのですが、
この『バベル』の感想など読むと、頭がどうかしていたに違いない・・・と思わずにいられません。
同じ人だったんだろうか・・・・でも、映画や本を深読みしたり、何かを一気に書き上げるとき、って
トランス入りますよね。

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