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01.17.00:03 友だち以上恋人未満 |
高校からの友人・光早子、この人は私にとって「友だち以上、恋人未満」。
世の中で彼女ほど私に辛辣な言葉を投げかけ、私も応戦し、ケンカをしては許しあい、側にいた他人はいない。
彼女との付き合いは高校1年のとき、同じクラスで出席番号が私のふたつ前だった。
色が白くて髪の毛がとても綺麗で、女の子らしい見かけが可愛くて、女子だけのクラスではアイドルのような存在になった。
高校に入って初めての中間テストで学年2位になった、ということも人気を高めた一因だったが、いつでもなんとなくボンヤリしているようで、おとなしいけれど話をするとよく笑い、ボケてくれるけどしっかりしている、という男の子にも女の子にも嫌われる要素のない子だった。
それでも私は共通点もなく、彼女のクラスでの一番の仲良しが映画好きだったので、彼女の仲良しとは仲良くなった。
そんな優等生タイプと私が仲良しになった理由は、案外ドラマティックだ。
2年生でも彼女と同じクラスになったが、共通点もなく、あいかわらず近いのは出席番号だけ。
目が合えばニッコリするぐらいの付き合いのまま修学旅行に行った。
東京の自由行動の日、表参道の露天の古着屋で光早子ともうひとりが困っている風だった。
私の連れが理由を尋ねると、光早子がスカートを買いたいけれど、彼女の校章と学年章を安くする交換条件に欲しいと言われたらしい。
あげられないから服は諦める、と応えたが、しつこく食い下がられてそこから離れられなくなったようだ。
店主に「私のじゃダメ?」と聞くと、大喜びして放してくれた、握手までして。
彼女は私にお礼をして、校章と学年章は買って返すから、と言うので、それじゃあ最初からあの男にあげても同じじゃん!と答えると、
「この校章、お姉ちゃんが好きな人からもらったヤツだからなくしたらダメだって言われてて」。
私が男の子だったらそのひと言で恋に落ちるに違いない。
なにはともあれ、それから彼女と私は仲良くなった。
彼女が23歳で結婚して東京へ行ってしまうまで、私がその間に東京に住んでいても手紙を書いたり、行き来したりして6年間を一緒に過ごしてきた。
思い出すと、それはそれは濃い時間を過ごしてきた。
学生時代に彼女が周りに見せていた顔は「そのほうが楽に生きられる」。
こんなヤツと何で一緒にいるんだろう!と何度思ったことか。
それでも大切だったから一緒にいたんだろう。
その彼女が離婚して帰ってきて、ずっと連絡取り合っていなかったが一昨年の末からまた会うようになった。
実家で痴呆のある母親と、父親と住んでいる。
こうなったのは今までの報いだと、似合わないことを相変わらず言う。
違う、あんたの不妊治療中に女と遊んでたのはあいつだよ。
それだけじゃないよ、どっかで私はたくさん人を傷つけてきたんだよ、あんたも言ってた。
もういいよ、大丈夫。
今はまたこうして会えるようになった。
いつかあんたが幸せだなぁ、って思えるようになってほしい。
それまでまた側にいる、ケンカ抜きで。
もう彼女とケンカする気力も理由もない。
世の中で彼女ほど私に辛辣な言葉を投げかけ、私も応戦し、ケンカをしては許しあい、側にいた他人はいない。
彼女との付き合いは高校1年のとき、同じクラスで出席番号が私のふたつ前だった。
色が白くて髪の毛がとても綺麗で、女の子らしい見かけが可愛くて、女子だけのクラスではアイドルのような存在になった。
高校に入って初めての中間テストで学年2位になった、ということも人気を高めた一因だったが、いつでもなんとなくボンヤリしているようで、おとなしいけれど話をするとよく笑い、ボケてくれるけどしっかりしている、という男の子にも女の子にも嫌われる要素のない子だった。
それでも私は共通点もなく、彼女のクラスでの一番の仲良しが映画好きだったので、彼女の仲良しとは仲良くなった。
そんな優等生タイプと私が仲良しになった理由は、案外ドラマティックだ。
2年生でも彼女と同じクラスになったが、共通点もなく、あいかわらず近いのは出席番号だけ。
目が合えばニッコリするぐらいの付き合いのまま修学旅行に行った。
東京の自由行動の日、表参道の露天の古着屋で光早子ともうひとりが困っている風だった。
私の連れが理由を尋ねると、光早子がスカートを買いたいけれど、彼女の校章と学年章を安くする交換条件に欲しいと言われたらしい。
あげられないから服は諦める、と応えたが、しつこく食い下がられてそこから離れられなくなったようだ。
店主に「私のじゃダメ?」と聞くと、大喜びして放してくれた、握手までして。
彼女は私にお礼をして、校章と学年章は買って返すから、と言うので、それじゃあ最初からあの男にあげても同じじゃん!と答えると、
「この校章、お姉ちゃんが好きな人からもらったヤツだからなくしたらダメだって言われてて」。
私が男の子だったらそのひと言で恋に落ちるに違いない。
なにはともあれ、それから彼女と私は仲良くなった。
彼女が23歳で結婚して東京へ行ってしまうまで、私がその間に東京に住んでいても手紙を書いたり、行き来したりして6年間を一緒に過ごしてきた。
思い出すと、それはそれは濃い時間を過ごしてきた。
学生時代に彼女が周りに見せていた顔は「そのほうが楽に生きられる」。
こんなヤツと何で一緒にいるんだろう!と何度思ったことか。
それでも大切だったから一緒にいたんだろう。
その彼女が離婚して帰ってきて、ずっと連絡取り合っていなかったが一昨年の末からまた会うようになった。
実家で痴呆のある母親と、父親と住んでいる。
こうなったのは今までの報いだと、似合わないことを相変わらず言う。
違う、あんたの不妊治療中に女と遊んでたのはあいつだよ。
それだけじゃないよ、どっかで私はたくさん人を傷つけてきたんだよ、あんたも言ってた。
もういいよ、大丈夫。
今はまたこうして会えるようになった。
いつかあんたが幸せだなぁ、って思えるようになってほしい。
それまでまた側にいる、ケンカ抜きで。
もう彼女とケンカする気力も理由もない。
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Re:友だち以上恋人未満
2009年01月17日土
ステキなお友達ステキな関係
なんかよくわかんないけど
キリ番踏んだみたいです。。。
Re:Re:友だち以上恋人未満
ステキですか? ありがとうございますー。
彼女と過ごしていた頃はすごく幸福だったりすごく不幸だったり、私もよく付き合ったと思うけど、彼女もよく私と付き合ってくれたと思いますわ。だって会わなくなってから、再び会えるようになるまで7年かかったんです。
彼女から連絡がきたときは『青天の霹靂』とはこのこと!でした。
これも困ったことに、例の映画館のおかげで・・・(笑)
彼女と過ごしていた頃はすごく幸福だったりすごく不幸だったり、私もよく付き合ったと思うけど、彼女もよく私と付き合ってくれたと思いますわ。だって会わなくなってから、再び会えるようになるまで7年かかったんです。
彼女から連絡がきたときは『青天の霹靂』とはこのこと!でした。
これも困ったことに、例の映画館のおかげで・・・(笑)
Re:友だち以上恋人未満
2009年01月18日日
そうそう・・・キリ番おめでとうございます。
ブログはミクシと違って足跡も残らないし、キリ番だれかが踏んでもだれなのかはわからないし、ただのお遊びです。どーいう出方するのかも実は私、わかりません(笑)
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