11.25.13:27 [PR] |
04.30.13:08 ポエトリー アグネスの詩 ~映画~ |
これはものすごい問題作です。。。
よくもまあ、こう描いたと感心します。
観ている最中も観たあとも不快になること間違いなし。
歳をとること、生きること、それらを拒否したくなります。
反面教師を狙ったのではなく、人生をすごーく俯瞰して見たというか、人生や人の全ての部分の二面性を見せたということなのでしょう。
その見せ方、例えにしているところが老婆の「アルツハイマー」や「見栄」なので、そこがあまりにもエグイ。
エグすぎます。
ポスターに騙されて見た人たち、特に年配の人たちは奈落の底におちると思います。
自分たちの存在自体を辱めるような、そんな雰囲気まであるから。
ただ、そこまで人を貶めるテーマで作品を作ったという真っ直ぐさ、中途半端なところがまるでないという部分では感服しました。
嫌いだけど、その点は褒めるべきなのかなと。
褒めるといっても石原慎太郎は嫌いだけど、あれだけの日本規模のわがままぶりってすごいよね、って言うような感じで。
主人公の老婆の背景は何も出てきません。
現在は古いアパートに孫と住んでいる彼女も、子ども時代は裕福だったのだろうか?と思います。
彼女はどこに行くでも綺麗にお洒落をして出掛けます。
必ず帽子をかぶって、セレブな奥さま風。
ホントは生活保護を受けながら、知り合いのお手伝い?風呂に入れる介護のアルバイトをしながら中学生の孫の面倒をみています。
孫は思春期の男の子らしく、怠惰で、言うこともあまりきかず・・・。
もしかすると、決して裕福ではなく古い部屋に住みながらも外に行く時にはあそこまで綺麗にして出掛ける彼女をどこかで馬鹿にしているのかもしれません。
思春期特有の、身内に対する恥ずかしさとか存在自体のどこか欺瞞とか、そんな。
そんな中、たまたま行った病院で簡単な言葉が出なくなってきていることを指摘され、自分にアルツハイマーの症状があることを知ります。
でも、それを毎日のように電話で話しをしているらしい遠くに住む娘には言いません。
もちろん、誰にも言いません。
ある日、孫が同級生の女の子の自殺に関わっていたことが発覚します。
集団で女の子を長い間、性的な慰み者にしていました。
その賠償責任を負わねば・・・というところがこの作品の中心なのですが、一番のミソはこの主人公が持つ、見栄。
馬鹿みたいに見栄を張ることを私は良しとしないけれど、でも、見栄を張らずに生きる人はいません。
誰だって何かしらの見栄は張る。
だからこそちゃんと外に出るときに女は化粧をするし、とりあえず服は着るし、子どもに一般的な学力をつけさせたいから学校にもやる。
そんな小さな当たり前の見栄をどうやって張っているか?
この作品はそこを浮き彫りにします。
私たちだってそうするために上司に我慢したり、クライアントにぺこぺこしたり、やりたくない仕事をやることになったりするわけで、そういう部分を仕事以外の人たちに、周りにみせたくはないでしょう?
それを社会的な弱者である老婆、それもアルツハイマーの症状のある老婆にさせたところが酷い。
誰にだって確実に二面性はあるのに。
抱えきれない現実を見たとき、それに対峙するか逃げるか。
誰だって逃げたい。
その「逃げ」の部分がこの作品の「詩」であり「アルツハイマー」です。
「詩」が、この作品ではあまりにもバカバカしいものとして描かれています。
決してランボーやヴェルレーヌが自身を壊しながら相手を壊しながら創作したようなものだとは扱われていません。
ある意味、主人公の魂の叫びなのでしょうが、軽い。
それは、詩を「逃げ」として使っているから。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のミュージカル部分とちょっとだけ、ちょっとだけ似ている。
ただ、あれとは主人公が抱えているものが比べ物にならないです。
アルツハイマーもです。
主人公がいったいいつ正気なのか?
そこがハッキリとはわかりません。
きっと正気に戻っていた瞬間、彼女がこの作品の中で唯一ハッキリと女としての自分のプライドを表わした場面は素敵でした。
また、彼女がプライドを捨てて挑んだ行為を、とても用意周到に抱えてそして使ったシーン、そこだけが救いでした。
ほんとにそこだけ。。。
ラスト・・・・あれ、きっと私は残念なことになってるだろうなぁと思います。
はっきりと示されないあのシーンが、この作品全体を表わしているのだと思います。
言ってしまいますが、
私は老婆は死なないと思います。
死なずに、何ごともなかったようにまたあのアパートに帰ってくるのではないでしょうか。
アルツハイマーのある老婆として。
映画としてきれいな展開ならば、あのまま思考は自分の記憶の彼方をさまよいながら、ぼやけた頭で彼女は何処かをさまよい続ける・・・・のでしょう。
一遍の詩と花を残して、詩の教室から姿を消したのですから。
絶対に絶対に、誰にもおすすめしません。。。。が、きっとポスターに騙されて観る人がたくさんいるんだろうなぁと思います・・・・お気の毒に・・・・・・
よくもまあ、こう描いたと感心します。
観ている最中も観たあとも不快になること間違いなし。
歳をとること、生きること、それらを拒否したくなります。
反面教師を狙ったのではなく、人生をすごーく俯瞰して見たというか、人生や人の全ての部分の二面性を見せたということなのでしょう。
その見せ方、例えにしているところが老婆の「アルツハイマー」や「見栄」なので、そこがあまりにもエグイ。
エグすぎます。
ポスターに騙されて見た人たち、特に年配の人たちは奈落の底におちると思います。
自分たちの存在自体を辱めるような、そんな雰囲気まであるから。
ただ、そこまで人を貶めるテーマで作品を作ったという真っ直ぐさ、中途半端なところがまるでないという部分では感服しました。
嫌いだけど、その点は褒めるべきなのかなと。
褒めるといっても石原慎太郎は嫌いだけど、あれだけの日本規模のわがままぶりってすごいよね、って言うような感じで。
主人公の老婆の背景は何も出てきません。
現在は古いアパートに孫と住んでいる彼女も、子ども時代は裕福だったのだろうか?と思います。
彼女はどこに行くでも綺麗にお洒落をして出掛けます。
必ず帽子をかぶって、セレブな奥さま風。
ホントは生活保護を受けながら、知り合いのお手伝い?風呂に入れる介護のアルバイトをしながら中学生の孫の面倒をみています。
孫は思春期の男の子らしく、怠惰で、言うこともあまりきかず・・・。
もしかすると、決して裕福ではなく古い部屋に住みながらも外に行く時にはあそこまで綺麗にして出掛ける彼女をどこかで馬鹿にしているのかもしれません。
思春期特有の、身内に対する恥ずかしさとか存在自体のどこか欺瞞とか、そんな。
そんな中、たまたま行った病院で簡単な言葉が出なくなってきていることを指摘され、自分にアルツハイマーの症状があることを知ります。
でも、それを毎日のように電話で話しをしているらしい遠くに住む娘には言いません。
もちろん、誰にも言いません。
ある日、孫が同級生の女の子の自殺に関わっていたことが発覚します。
集団で女の子を長い間、性的な慰み者にしていました。
その賠償責任を負わねば・・・というところがこの作品の中心なのですが、一番のミソはこの主人公が持つ、見栄。
馬鹿みたいに見栄を張ることを私は良しとしないけれど、でも、見栄を張らずに生きる人はいません。
誰だって何かしらの見栄は張る。
だからこそちゃんと外に出るときに女は化粧をするし、とりあえず服は着るし、子どもに一般的な学力をつけさせたいから学校にもやる。
そんな小さな当たり前の見栄をどうやって張っているか?
この作品はそこを浮き彫りにします。
私たちだってそうするために上司に我慢したり、クライアントにぺこぺこしたり、やりたくない仕事をやることになったりするわけで、そういう部分を仕事以外の人たちに、周りにみせたくはないでしょう?
それを社会的な弱者である老婆、それもアルツハイマーの症状のある老婆にさせたところが酷い。
誰にだって確実に二面性はあるのに。
抱えきれない現実を見たとき、それに対峙するか逃げるか。
誰だって逃げたい。
その「逃げ」の部分がこの作品の「詩」であり「アルツハイマー」です。
「詩」が、この作品ではあまりにもバカバカしいものとして描かれています。
決してランボーやヴェルレーヌが自身を壊しながら相手を壊しながら創作したようなものだとは扱われていません。
ある意味、主人公の魂の叫びなのでしょうが、軽い。
それは、詩を「逃げ」として使っているから。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のミュージカル部分とちょっとだけ、ちょっとだけ似ている。
ただ、あれとは主人公が抱えているものが比べ物にならないです。
アルツハイマーもです。
主人公がいったいいつ正気なのか?
そこがハッキリとはわかりません。
きっと正気に戻っていた瞬間、彼女がこの作品の中で唯一ハッキリと女としての自分のプライドを表わした場面は素敵でした。
また、彼女がプライドを捨てて挑んだ行為を、とても用意周到に抱えてそして使ったシーン、そこだけが救いでした。
ほんとにそこだけ。。。
ラスト・・・・あれ、きっと私は残念なことになってるだろうなぁと思います。
はっきりと示されないあのシーンが、この作品全体を表わしているのだと思います。
言ってしまいますが、
私は老婆は死なないと思います。
死なずに、何ごともなかったようにまたあのアパートに帰ってくるのではないでしょうか。
アルツハイマーのある老婆として。
映画としてきれいな展開ならば、あのまま思考は自分の記憶の彼方をさまよいながら、ぼやけた頭で彼女は何処かをさまよい続ける・・・・のでしょう。
一遍の詩と花を残して、詩の教室から姿を消したのですから。
絶対に絶対に、誰にもおすすめしません。。。。が、きっとポスターに騙されて観る人がたくさんいるんだろうなぁと思います・・・・お気の毒に・・・・・・
PR
Re:ポエトリー アグネスの詩 ~映画~
2012年04月30日月
いやだぁ〜。
S氏が「harupyさんに似ている」と言ったので、
きっと勇ましいカッコいい女性かと思ってました。うぬぼれてました。危なく観に行く所だったわ。自分に似てる女性がアルツハイマーじゃ嫌だわ。まだ大丈夫なつもりなんだけど。
Re:Re:ポエトリー アグネスの詩 ~映画~
はあ?????
もしかこれ、課題作品になってました?
ひーーーー。
ものすごく嫌な話しですよ。
私、harupyさんが観たら頭から湯気出して怒るような話しやなーと思ってたのに!
絶対に絶対にharupyさんには似てないっ!
むしろ真逆!
私、絶対に嫌いだもん、あんな人。
もしかこれ、課題作品になってました?
ひーーーー。
ものすごく嫌な話しですよ。
私、harupyさんが観たら頭から湯気出して怒るような話しやなーと思ってたのに!
絶対に絶対にharupyさんには似てないっ!
むしろ真逆!
私、絶対に嫌いだもん、あんな人。
Re:ポエトリー アグネスの詩 ~映画~
2012年05月06日日
45さん
HARUPYさんへ
誤解があるといけませんので説明しておきますが、私が言ったのは主役の彼女の上品でおしゃれなところがHARUPYさんに似ているということだけで、この映画に描かれている女性(アルツハイマー云々)が似ているという意味ではありません。
この女優さんフランスに住んでいて、映画出演は10数年振りとのことですが、品があるからこそ、この破天荒な問題作の主人公として相応しかったのではないでしょうか。ちょっと最近の冨司純子に似てました。
それにしてもイ・チャンドンという今時数少ない作家性を持っている監督には驚かされました。
Re:Re:ポエトリー アグネスの詩 ~映画~
ぱふさん。
私、まさかぱふさんがアルツハイマー云々で似てるなんて言ったとは、当然ながら思いませんし・・・(^^ゞ
私、まさかぱふさんがアルツハイマー云々で似てるなんて言ったとは、当然ながら思いませんし・・・(^^ゞ
- トラックバックURLはこちら