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04.25.01:44 月光の囁き |
漫画の単行本を一冊買ってしまうと、最後まで揃えないと気が済まない。
なので最近は我慢して買わないようにしていて、随分と買っていない漫画で気になっているのが『あずみ』。
スペリオールも買うのをやめたので、今も続いているのかもわからない。
娘が近頃私の漫画を読むようになっているので、ここにあるのは読んだらダメ!ときつく言ってあるのが『月光の囁き』。
これはさすがに、、、
でも私が『俺の空』を初めて読んだのは小学5年生だったしなぁ・・・・・。
でも『俺の空』にはSMはなかった、たしか。
『月光の囁き』
四コマギャクの喜国雅彦が、初のシリアスものに挑んだ作品で、ベースは谷崎潤一郎にみるサディズム、マゾヒズム、フェティズムの世界。
私が思う究極の女性像、は『刺青』に登場する彫師・清吉が一目ぼれした足を持つ娘。
駕籠から見せた足だけで男を虜にするなんて、ぞくぞくする。
その足を想像するだけで胸のあたりがざわざわする。
足はいいよー、セクシーだよー。
剣道部の紗月と拓也。
付き合いだしたふたりだが、拓也の愛情には強烈なマゾヒズムとフェティズムがあり、紗月の「全て」を欲し、愛するのだった。
この「全て」が本当に「全て」。
あそこまでさらけ出すには並大抵の気持ちでは無理。
谷崎潤一郎を読んでいて思ったが、SMの関係というのは、実はサディストの方がマゾヒストに操られているような感覚に陥る。
なんせ、相手は責められれば責められるほど喜ぶのだから、責める側とすると、どこまでも自分自身をさらけ出して形振り構わずやっつけないといけないわけで。
「女王様とお呼び!」とかだって(本当にそんなこと言うのか知らないけれど)、言えないでしょう・・・ふつう。
素面だったらおかしくなりそう。
だいたい、縛ったり縛られたり、という行為にしても、縛られながら「こんなことまでさせられて・・・」と感じたときに(この場合、縛られる側がまだ普通の感覚を持っていたと仮定して)は、自分自身に対しての情けなさと同時に、相手に対しての憐憫みたいなもの、を少なからず思うのではないだろうか。
その憐憫の感情をそのまま許せるか、受け入れるかどうか、が重要だ。
「女王様」とは呼ばせないけど紗月は拓也の求めるもの、に傷つき、苦しみ、しかし最後は自分自身も拓也の愛に取り込まれ、その愛に目覚めていく。
そこまでになるには大変に大変な道のりで、「え”っっっ!」と解った時には普通、こんな変態とは二度と会いたくない!!!!と拒否するだろうが、そのあとのふたりの絆があまりにも強くて強烈すぎて、羨ましいし、感動すらおぼえる。
私は読んでいて、何度か泣いた・・・
やっぱり高校生ぐらいになったらいいよ、って言お。
Re:月光の囁き
2009年04月25日土
「あずみ」、一応完結したんですよ。 今は、別の時代の「あずみ」が始まっていますが、どうも面白くありません。
喜国のマンガ、結構好きです。 単行本を購入するほどではありませんけど。
「月光の囁き」は塩田明彦監督の手で映画化されましたよね。 大阪まで観に行ったのを覚えています。 日帰りで5本を鑑賞。 ほぼ満員の大劇場で「シュリ」を観たのもこの日でした。
わー・・・、私、幼馴染の大道芸人の娘と再会したとこまでしか読んでなくてー。
そこからは、どんだけかかるんだろう・・・・
映画の「月光の囁き」、観たいなぁーと思いつつ、まぁいいかなぁーと。
どうでしたか?
ちなみに、夕べ、ぱふさんがTOMさんに映画祭のチラシ送るって言ってましたよん。
Re:月光の囁き
2009年04月27日月
谷崎から想像なんかしないで、まず自分が縛られたり縛ってみてはどうでしょうか?
実際にやってみないと当人たちの気持ちはわからないと思います。ちなみに僕は縛られてみたけどいまいちMの気持ちはわからなかったです。
そのあたりは、まぁ、ねぇ・・・そういう世界に足踏み入れずに生きてこられて、とりあえず感謝しておきます。
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