11.25.01:43 [PR] |
05.05.12:56 八日目の蝉 ~映画~ |
ホントかウソか判らないけれど、動物の赤ちゃんが可愛いのは、そうすることで身を守っているからだと聞いたことがある。
希和子(永作博美)は恋人の妻が産んだ子どもを衝動的に誘拐する。
あの赤ん坊が、あそこで泣き続けていたら・・・・話は変わるが、あの笑顔はCG?嘘じゃないかってぐらいの笑顔だった。
あんな風に笑顔を見せられたら、切羽詰まってる女性だもの、連れて行くわね。
その後、彼女が泣いてミルクを飲もうとしない赤ん坊に自分の乳を含ませようとする場面は、私が抱きしめてあげたいほど切なかった。
子どもを育てたことのある女性なら、あそこではきっとああすると思う。
そのシーンは、この作品の性格を表わしている象徴的な場面だと思う。
「それはないやろう」と思わせる演出がない作品だった。
言ってしまえば、あまりにも観客の気持ちに沿いすぎている。
上手に観客の気持ちの流れのまま流していって、ラストさくっと終わらせる。
とてもうまい構成だし演出だと感じた。
子どもを産んだから母になるのではない。
それは先日の「愛する人」の感想でも出したこと。
こういう作品群を観ていると、というか最近思うことでもあるが、女性が子どもを育てるために、はたして男性は必要なのか?
衣食住を維持するのにお金がいる。
その確保のためだけに男性が必要なのでは?と思ったりする。
ならば、女性が子どもを安心して預けて働きに出たり、休んだりできる環境があれば、男性はいらない。
男性はただの種でしかない。
この作品の男性の妻は、社会の仕組みの犠牲になっている、ひどく極端な存在だ。
何故にあれほど男に、いつまでも夫や父親としての義務を果たさせようとしているのか、私にはわからない。
夫に他に好きな人がいて、子どもまで出来たなら、あ、その女に行きなよ、って言やーいいのにと思うんだが(^^ゞ、世の中の女性たちは、「愛情の復活」だの「修復」だのを望んでまで一人の男と一緒にいたいんだろうか。。。。それはちょっともったいないぞ。
とにかく、その妻は、そんなもったいなく、その上そんな考え方しかできないから、自分で自分の首をしめている不幸な人である。
誘拐された赤ん坊はいつしか少女になり、産みの両親とともに暮らすようになるが、結局なじめず、一人暮らしをするようになる。
そして妻子のいる男の子どもを宿し、ひとりで母になる決心をする。
子どもはいつだって大人の顔色を見ている。
悪いことではない。
それは成長の過程で、当たり前のことだ。
だから大人から「すごいね♪」「がんばったね♪」褒められたら鼻をぴくぴくして自慢気に喜んでくれる。
注意したら素直にきく。
発達障害などの精神的な障害を持っていないかぎり、子どもはまず周りの大人との良好な関係性から自身を成長させていく。
友人との関係性をつくっていくのは、そのあとだ。
人に愛されて育てば、人を愛することができる。
愛される=尊重される=敬意をはらわれる、ことだと私は思う。
愛することを甘やかすと勘違いしている人たちがいる。
こういう作品を観て、気付いてほしいなぁと思う。
与えられる愛は、物質的なものばかりではなく、深い記憶に残るものだということを。
人としての自信。
それはいくつもの記憶の積み重ねが作るのではないかと思う。
「八日目の蝉」というタイトルも、ホントやられた・・・くやしいほどうまい。
この作品を観る前に、偶然友人と東日本大震災の夜、空に満天の星空が広がっていたという被災者の話をしていた。
ああ、まさにそのことだなと思った。
良い作品でした。
希和子(永作博美)は恋人の妻が産んだ子どもを衝動的に誘拐する。
あの赤ん坊が、あそこで泣き続けていたら・・・・話は変わるが、あの笑顔はCG?嘘じゃないかってぐらいの笑顔だった。
あんな風に笑顔を見せられたら、切羽詰まってる女性だもの、連れて行くわね。
その後、彼女が泣いてミルクを飲もうとしない赤ん坊に自分の乳を含ませようとする場面は、私が抱きしめてあげたいほど切なかった。
子どもを育てたことのある女性なら、あそこではきっとああすると思う。
そのシーンは、この作品の性格を表わしている象徴的な場面だと思う。
「それはないやろう」と思わせる演出がない作品だった。
言ってしまえば、あまりにも観客の気持ちに沿いすぎている。
上手に観客の気持ちの流れのまま流していって、ラストさくっと終わらせる。
とてもうまい構成だし演出だと感じた。
子どもを産んだから母になるのではない。
それは先日の「愛する人」の感想でも出したこと。
こういう作品群を観ていると、というか最近思うことでもあるが、女性が子どもを育てるために、はたして男性は必要なのか?
衣食住を維持するのにお金がいる。
その確保のためだけに男性が必要なのでは?と思ったりする。
ならば、女性が子どもを安心して預けて働きに出たり、休んだりできる環境があれば、男性はいらない。
男性はただの種でしかない。
この作品の男性の妻は、社会の仕組みの犠牲になっている、ひどく極端な存在だ。
何故にあれほど男に、いつまでも夫や父親としての義務を果たさせようとしているのか、私にはわからない。
夫に他に好きな人がいて、子どもまで出来たなら、あ、その女に行きなよ、って言やーいいのにと思うんだが(^^ゞ、世の中の女性たちは、「愛情の復活」だの「修復」だのを望んでまで一人の男と一緒にいたいんだろうか。。。。それはちょっともったいないぞ。
とにかく、その妻は、そんなもったいなく、その上そんな考え方しかできないから、自分で自分の首をしめている不幸な人である。
誘拐された赤ん坊はいつしか少女になり、産みの両親とともに暮らすようになるが、結局なじめず、一人暮らしをするようになる。
そして妻子のいる男の子どもを宿し、ひとりで母になる決心をする。
子どもはいつだって大人の顔色を見ている。
悪いことではない。
それは成長の過程で、当たり前のことだ。
だから大人から「すごいね♪」「がんばったね♪」褒められたら鼻をぴくぴくして自慢気に喜んでくれる。
注意したら素直にきく。
発達障害などの精神的な障害を持っていないかぎり、子どもはまず周りの大人との良好な関係性から自身を成長させていく。
友人との関係性をつくっていくのは、そのあとだ。
人に愛されて育てば、人を愛することができる。
愛される=尊重される=敬意をはらわれる、ことだと私は思う。
愛することを甘やかすと勘違いしている人たちがいる。
こういう作品を観て、気付いてほしいなぁと思う。
与えられる愛は、物質的なものばかりではなく、深い記憶に残るものだということを。
人としての自信。
それはいくつもの記憶の積み重ねが作るのではないかと思う。
「八日目の蝉」というタイトルも、ホントやられた・・・くやしいほどうまい。
この作品を観る前に、偶然友人と東日本大震災の夜、空に満天の星空が広がっていたという被災者の話をしていた。
ああ、まさにそのことだなと思った。
良い作品でした。
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八日目の蝉は、、
2011年05月07日土
とても切なく
そして考えさせられるテーマだ
わが子をただ無条件に
愛おしく愛おしく思えるこの感性は
やはり父性ではなく
不完全であっても母性なのだろう
そして
それを感じることが出来る自分を
幸せだと思う
八日目の蝉は何を目にするのだろう
毎朝めざめたときに見せてくれる
わが子の笑顔
それがすべてだ
あの笑顔のためならば
私は悪にだってなる
Re:八日目の蝉は、、
ははは~
きっちり完結していてコメントのしようがない
きっちり完結していてコメントのしようがない
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