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  • 08/29/08:35

05.09.10:16

ノン子36歳(家事手伝い)~映画~

nonko.jpg先日観た『ノン子36歳(家事手伝い)』はイタい作品だった。
作品としてはちゃんと完成された邦画だった。
出演者たちも、とても上手だったし。
坂井真紀のダメダメぶりも、バツいち友達の濱田マリも、ダメダメ男の鶴見辰吾も、これまた確実に鶴見辰吾に輪をかけたダメ男に成長するだろう年下男も、坂井真紀の上っ面家族の面々も、みんな上手だった。
上手すぎて、この作品をもしや「女性の前向き、さわやかな独り立ち!」を期待して観た女性には、ご愁傷様、と言ってあげたい。

ネタバレします。

映画のポスターにあるコピーは気にしないつもりだけど、「文章」という生き物が好きでたまらないので、どこかで一瞬にして記憶の刷り込みがされているように思う。

『最後にしたの、 いつだっけ』

浅い水の中に体を沈め、顔だけを出して目を閉じている坂井真紀。
それは、ちょっと死んだふり。
その気持ちには惹かれる、わかる。
そんな写真とコピーを読むに、多分この女は精神的に自立してない悲しい女で、この映画もたいしたラスト(私好みの)は望めんな・・・と想像する。
で、やっぱり望めなかった。
あれ、前向き、ちゃあ前向きだったのでしょうけど。。。
そんな風に終わるところといい、それまでの物語といい、雰囲気といい、ATGの作品ぽい。
だとすると、もう少しパワーが欲しいところ。

nonko1.jpg物語の中身に関してだと、ああいう頭の先から爪の先まで全身勘違いしている女はどうしようもないし、実際ごろごろしてるから、自分らの周りを見てみれば必ずいる。
ダメ男ばかりを捕まえるのは、男がみんなそうなのではなく、その女がそういう男しか選ばないから。
それで「私は前向きよ」と言われたら何も言えないわ。
みたいな女のお話。
面白くもなんともない。

ただ、この作品をひとりの「心の闇」を抱えた女性の物語として観るなら、精神科医の勉強会にも使えそうな素材だ。
唯一、登場人物の中で経済的にも精神的にも自信に溢れたヤクザ、安川とノン子の関係と、それ以外の男たち(父親を含め)との関係から、ノン子自体が自分に自信が持てず、自分よりも程度の低い男としか関われないことを表していると思う。
その原因が彼女と父親、母親との関係性につながっている。
母親は父親の顔色だけを見、上辺だけの幸せを取り繕って生きている。
父親は大きな神社の神主、という立場上、人格者の仮面を被り、娘とまともに向き合おうとはしない。
妹はそんな両親でありながらも、そこを「そんなもん」と生きてきたのだろう。
うまく適当に暮らしている。

そんな上辺だけの家族関係で、まともな心の成長ができるはずがなく、ノン子は寂しさを男に求め、空しい夢を見て、傷つきながら、それを怠惰に隠しながら生きている。
妹と違い、ノン子は真面目だったからこそダメ女になったともいえる。
きっと彼女の心のどこかで、白馬の王子さまが現れることを待ち望みながら。
だからこそ、突拍子もない世間知らずの年下男に惹かれた。

ひよこを追いかけるシーンや、自分を否定されて大暴れした年下男に求められ、ふたりで「卒業」よろしく逃げるシーンなど、をロマンティックなものとして観る女性がいるんだろう、きっと。
そのあたりが、昔から続いている「精神的自立に程遠い男女関係」がなくならない理由だと思う。

女性が観て面白い作品ではないです、と思いたい!
でも、作品として意欲作ではあると思いました。
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05.07.09:18

タイトルがだっさいんだけど

好きだー。


 

05.06.16:01

空飛ぶイルカは格好良かった

T-4.jpg宮崎では毎年この時期になると国際音楽祭が開かれる。
何年か前まで故アイザック・スターン氏を中心に室内楽音楽祭として開催され、彼が亡くなって国際音楽祭と名称を変えて今年で14回。
予算が少なくなって開催を危ぶまれてもいたが、なんとかやっている。

その一環として、昨日は宮崎市のメインストリートを歩行者天国にし、ストリート音楽祭が開かれた。
プロからアマチュアまで、多くの音楽愛好者たちが演奏し、聴衆を楽しませてくれた。

今年はオープニングで航空自衛隊西部航空音楽隊が演奏することになり、セレモニーとして自衛隊機T-4(ドルフィン)がメインストリート上空を飛ぶ!というイベントがあった。
それに物申す人たちがずいぶんたくさんいたらしい。
騒音が気になる、危険である等、はっきり言うが「憲法9条を守る」人たちがイベントに対して猛抗議していたそうだ。
たしかに音楽には関係ないんですがね。。。でも見たいじゃない。

さすがにデモなどはしておらず、実行委員の人たちは大変だったろうが、上手に対応してくれていたのだろう。
お疲れ様でした。

t4.jpg3機のT-4が飛んだ。
格好良かった。
昔、お付き合いしていた戦闘機乗りのことを思い出した。
新田原の基地から飛びたつ練習機に、わくわくしていたことを思い出した。
危険性に配慮して、騒音はなかったし、ゆっくりすべるように空を行く3機の戦闘機は美しかった。
ただ滑るように空を行った。
音をたてず行くそれは口輪をかまされた闘犬のようであり、こんなもんか・・・という印象は否めなかった。
その後の演奏中に飛んできた民間飛行機のほうが、よっっっっっっっっぽどうるさかった。
それで抗議していた人たちの気持ちをくんだのだから、仕方ないのかな。


もし、私が先の大戦で米英露中に愛する人を殺されていたら、どう思っただろうか。
日本の軍国主義に翻弄され、愛する人を失っていたら、どう思っただろうか。
あの頃にあの飛行機があれば!と思うだろうか。
それとも、平和を守るためにこそ武器は捨てねば、と思うだろうか。

全体主義は嫌いなので、足並みそろえて「鬼畜米英!」(これはたとえで(笑))などと叫びはしない。
ただ、あのような非常時においては生き残るためにきっと上手く世渡りするように思う。
または愛する人のため、自分の心の正義のため、戦って凌辱されることを厭わないかもしれない。
あとで犬死にのように思えても、そんな風に死んでいった人々も大勢いただろう。
誰にも理解されずにひっそりと死んでいった人々も大勢いただろう。

北朝鮮が今の体制を失い、北と南が平和的に統一されたら?
中東の人々が憎しみの連鎖を断ち、石やトタンや心の壁を取り払ったら?
世界中の一部の金持ちが、天国まで持っていこうかとするようなマネーゲームを止めたら?
資源をたくさん持った貧しい国を利用することを止めたら?
世界はどうなるのだろう。
私たちはまた新しい戦いを、どこかに挑むのだろうか。

国境は、あって然るべきだと思う。
私たちが住まいに壁を作ることと同じだと思う。
動物だってお互いの縄張りを持ち、暮らしている。

色んな考え方の人がいて、出会って、一緒にいたいと感じ、または一緒にはいられないと感じ離れていく。
この人とは理解しあえない、と感じたら、私は二度と関わらない。
まだお互い気持が幼いから、とか、まだまだ成長途中だから、などという、他人に対しての期待は絶対にしない。


壁は追い払う、閉じ込める、ではなく「その人」を侵さない、という約束であってほしい。
そこにはノックすれば開かれるドアをつけて。

05.04.10:12

ひとりはみんなのために

体育会系ノリ、というとどんなイメージになるのだろう?
単純、情熱ばか、ストイック、一直線、私が思うのはそういうことだが、他人と話をしていてハッッッッ!としたことがある。
それは、私が「体育会系ノリ」と聞いてイメージする中に、「団体」や「仲間」がなく、「その人ひとり」で考えていたこと。
スポーツをイメージするにしても、個人競技しか思い描いていなかった・・・
一瞬落ち込んだ。 なんなんだ、私って。


どうしてそんな話になったか、というと、市内のブラスバンドの名門校での話。
国際音楽祭での演奏のために、娘の小学校との合同練習が行われた。
相手は高校生、それはそれは素晴らしい演奏をするところなので、合同練習は有難い。
パーカッションをやっている娘は「楽しかったー!」と帰ってきた。

が、管楽器パートの人が目撃したのは、音をはずしてしまった女の子の髪の毛を引っ張ったり、足を蹴ったりする同じパートの子どもたち。
その学校の昔からの伝統?で、そういう話は聞いていたけれど、実際に見てしまった彼女のショックはかなりだった。

「ひとりはみんなのために。
みんなはひとりのために」

スポーツの団体競技や、大勢で音を作り上げていく吹奏楽や合唱などに於いて、それは良い言葉だとは思うけれど、大きなお世話でもある。
「体育会系ノリなんだよねぇ」
そう言って彼女は、受けてしまった衝撃を自分の中で消化しようとしていたけれど、あのキラキラピカピカした素晴らしい音色のために、どれほどの子どもたちが苦しんでいたのか、とふたりで複雑な気持ちになった。
ちぇ・・・私の目の前でやってほしかった・・・

指導者にもよるが、目標を高く掲げ、そこに向かって進むことをいけないとは思わない。
思わないが、そこまでの過程は、やはり『音楽の素晴らしさ』を知る心の旅であってほしい。
甘いかな。


band.jpg毎年、夏には各地で吹奏楽コンクールがある。
去年の九州大会には、各県から60人規模の大所帯の小学校から、20人にも満たない小さな小学校まで出場した。
小さな団体は大きなところと比べると見劣りするし、県によって力を入れているところ、そうでないところの差は歴然としていたけれど、彼らがあの日のために練習してきた日々を思うと、あのステージに立って演奏していることにたいして心から祝福できる。
どの団体が賞を受けても、みんな素晴らしい!と言える。
『ダメ金』という言い方以外は・・・・・・

各地のコンクールでは銅・銀・金を決める。
金賞は一校ではなく、何校かあり、その中から地区代表が選ばれる。
選ばれなかった他の金賞受賞校は、通称『ダメ金』と呼ばれる。

長年、合唱や吹奏楽をやってる人たちは、フツーに「ダメ金」という言葉を使う。
その思考は間違ってないかなぁ・・・・・
ならば銅や銀を見る目、かなり馬鹿にしてるはずよね。
コンクールの代表を決めるシステムが変なんだけど、でもそこに染まるのは素直すぎない?


要は何事もステレオタイプになってはいけないんじゃないか、ということ。
その世界だけが全てではなく、いろんなものを見て、聞いて、そして頭のフィールドだけは無限大にもっともっと広げて、ひとつのものをひとつの方向からは見ないこと。
困難を跳ね返す力、これは変だよ、と感じたら口に出せる素直な心、ぶつかってみる力、変えてみようとする勇気、自分にとって大切なものならば尚更、前向きに反骨で。

どこも色々あるね、ちゃんと見てるよ!

05.03.00:29

ドレスの下に

ドレスの下に
白い乳房
腰がしなる
ふとももがゆれる

わたしに触れたつもりでも
あなたになんて

ドレスの下に
かくしてるもの
いっぱい

見せない
あなたになんて

あのひとだけがみた
きいた
ドレスの下に
かくしてるもの
いっぱい

               45

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