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広くて浅い頭で素直に頑張ります。
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  • 09/20/07:36

03.04.17:38

それは彼の自我ではなく

tatenokai.jpg市ヶ谷駐屯地で三島由紀夫が自害したとき、介錯にあたった森田必勝は「未熟なために」一刀で三島の首をおとせず、3度失敗し、4度目に古賀浩靖が首をおとした。
その後、森田必勝は腹を切り、再び古賀が介錯した。
それが今まで信じられてきた市ヶ谷駐屯地での三島の割腹自殺である。

先日、本屋で『三島由紀夫の死と私~西尾幹二著』という本をみつけた。
この中にあった、三島のたぶんこれが真実であろう割腹の現場、には今まで一般的に言われてきた森田の未熟さはかけらもなく、彼がどれだけの強い意志と精神力で三島の介錯を務め、そして自身の割腹に至ったかが、当時の法医学の斎藤教授の解剖所見から書かれてある。


三島は常人では考えられないほどの意志を持って腹を深く真一文字に切り裂いた。
それは介錯人がおらず、ひとりで死ぬときのやり方だった。

そこまでの傷を負った場合、体に起こる反応として、まずは失神状態に陥り、首は肩にめりこみ、腹部の圧力で腸ははみ出し、上体はガクッと前のめりになるか、後ろへ反り返るか、だそう。
著者はそんな状態の三島を介錯しなければならなかった森田について「正規の介錯などできない、悲劇的な状態」だったろう、と推測している。
押え役がおらず、おそらく後ろに倒れてきた三島に、前に倒れることを予想し一刀目を振り下ろした森田は、三島の右肩に打ちつけることになる。
そのため今度は前屈みに倒れ、悶え苦しむ三島の首には狙いが定まらず、介錯人としては最悪の状態の中で二刀目、三刀目を振り下ろした。
結局、古賀が四刀目で三島の首を落とす。

mishimano.jpg介錯人が三太刀以上振るうのは末代までの恥。
打首人の義務と名誉は一太刀で首を落とすことであり、敬愛する三島に対してそれができなかった森田の絶望的な苦しみは、そのすぐあとに控える自分自身の割腹を完成させることで、見事に三島に報いてみせたのではないだろうか。

森田は浅く腹を切った。
それは介錯人にうまく首を斬らせる、切腹の作法にのっとったものだった。
古賀は一刀のもとに森田の首をはねた。
25歳の森田は壮絶な斬首の現場のすぐあとに、師よりも崇高な精神を持って腹を切ったのである。


しかし、、、、、それだけ、だろうか?

三島は森田に生きてほしいと願っていたのかもしれない。
自身の悶え苦しむ様をみて、森田には死ぬなと、無様でもよいから生きろと、願っていたのかもしれない。

三島由紀夫ほどの人が、自身の最後に計算違いをするだろうか。
森田を初めから道連れにするつもりならば、切腹の作法にのっとって浅く腹を切り、美しく介錯されて果てたのではないだろうか。

森田必勝は三島の思いを理解した。
だからこそ死を選んだ。
恥にまみれた悲劇的状況にあっても、彼自身の切腹を完成することができた。
あくまでも私の甘い想像であるが・・・・


のんびりとコーヒーが香る街なかの本屋で、孤高の美しい幻影だった三島の切腹には、もうひとつの愛おしい魂が寄り添っていたこと、そして彼らの間には死に対しても怯まない愛が存在していたことに感動していた。
それは心をのびやかにする香りの中ではあまりにも似つかわしくない、血にまみれた愛と死のイメージだった。
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02.13.01:17

羊水と子宮の中

10代の頃、40代の女性はそれなりにとても大人なのだと信じていた。
でも、自分がその歳になってみると決してそうではないことを知った。


kosodate.jpg様々な人の気持ちを、これでも受け容れようとするたびに、ああ・・・この人はまだ小さな少女のままなのだ、とか、半ズボンの男の子のままなのだな、と思う。
本物の「大人」という定義がどういうものなのか、ハッキリと示すことはできないけれど、私が絶対的に信用し頼れる相手、としての「大人」というと、他人でそう言える人はいない。
そういう観点でいえば両親だ。

父は普段、熊本市内の弓道具店で矢を作っている職人なので側にはいない。
そばにいなくても、私にとって彼の存在は大きな誇りである。
一時期、彼を誇りに思えず私は大いに荒れた。
今までで一番苦しい4年間を過ごした。
過ごしてみたから、私にとって彼の存在がどれだけ大きいものなのかを知った。

母は愛情深いけれど、たまに彼女の「愛情の押し付け」ぶりには僻々させられる。
しかし、私や娘に対する彼女の愛情のあまりの裏表のなさに対しては全面的に信頼し、甘えさせてもらっている。
一昨年、色々あって私がほとんど物が食べられなくなった頃、心配して的外れな理由と解決策を語る母に、苦しんでいる本当の理由を話した。
初めは驚いていたけれど、私が冗談にすると一緒に笑ってくれた。
笑いすぎて涙がでるほど。
そのころ私が求めていたもの、を一番理解してくれていたのも母だった。

『育ちゆく心は一種の心の胎内にいる胎児です。母親は羊水になればいい。父親は子宮壁に』
小児科医の渡辺先生は、子供だけでなく大人、親たちの心も未だに両親、あるいは母親との関係性によって成り立っている、という。

母親に愛された記憶、大人との絶対的な信頼関係の記憶があれば、人は自身と向き合うことができ、自身を愛し、他人に向き合い、他人を愛することができるそうだ。
無意識に自分の弱さを否定し、誇大妄想的な万能感や達成感にひたって満足している人のなんと多いことか。

『向き合う』という行為は単純だけれど、とても大切なことだ。
なぜならそれは『許し』『受け入れる』 ことに変化していく。
真に『向き合う』ことができていれば、だけれど。
私の中に揺るぎない何かがあるとすれば、それは両親から愛され育った、と躊躇なく言える自信からくると思う。


『大人だ、と言われる年齢こそ自分自身の幼児性を見つめなおすこと。
私たちの心の中の赤ちゃんは健やかですか?
心の中の母性はどうですか。
父性はどうですか。』 渡辺久子著 「子育て支援と世代間伝達」より

死ぬまで私たちは誰かのこども。 

02.11.22:12

密かに『自虐の詩』

teheran.jpg小説のタイトルほど想像力をかきたてる素敵なコピーはない。
なのでタイトル買い、とか装丁買いをよくやる。
すごくパンクな感じのするノンフィクションの
『テヘランでロリータを読む』。

それ、どういうこと?と手にとりたくなるアンデルセンの
『絵のない絵本』。

タイトルだけでなんだかタダでは済みそうにない小川洋子の
『薬指の標本』。

この一冊だけでノックアウトされたエドワード・ゴーリーの
『おぞましい二人』。

manatsu.jpg硬いタイトルなのに本の中身がアンダーラインだらけになってしまったスーザン・ソンタグの
『良心の領界』。

三島由紀夫のタイトルはみんな好き。美しすぎる。特に好きな
『真夏の死』。

逆に、タイトルにはすごく惹かれたし、装丁も好きだったけど期待はずれだった
『醜い花』。



昼間、小さな原稿をふたつ書いて、その合間にベランダのイスで一服していると、お天気なのに周りが煙ってみえた。
stylesofradicalwillcovsm.jpg風か強いからほこりでも舞っているのかと思ったら黄砂だった。
いつだって風は、あの広大な西の国から吹いてくる、と思ったら、気持ちが体だけを置いて遠くへ飛んでいくような気がした。
Go West いつか、きっと。

01.15.21:34

文学ト云フコト

potosu.jpg直木賞・芥川賞が決定。
直木賞  天童荒太「悼む人」  山本兼一「利休にたずねよ」
芥川賞  津村記久子「ポトスライムの舟」

私は直木賞の作品とはあまり相性がよくないが、とりあえずこの二つの賞の受賞作品が掲載される月の文芸春秋だけはお得感があるので購入する。(この部分ですが、芥川賞のみでした)経過はコメント欄にて♪ごめんなさい。

時間があったので今日も一冊本を読んだが、つくづく作家という職業は自分自身と孤独に向き合い、一番触れられたくない部分を世間に曝して生きるのだな、と思う。

これは凄い作品だなぁ・・・よくこんな描写が書けたなぁ・・・この展開の思いつきはどこから出たんだー・・・と感心するたびに思い出すのは、岩井志麻子が小説家になるために夫と子どもを捨てた、というエピソード。
itamuhito.jpg小説など、普通に結婚生活を送りながら書けるものではない。
家事ができないのは当然だし、そんなことよりも世の男性諸氏が、妻の恋愛話などを冷静に「これは仕事だから」と受け流せるはずがない。

いいえ、私は貴方との恋で小説の10本は書けるわ。。。。

というほどの夫婦ならば別だが、気持ちの端の端までを知り尽くした二人など、この世に存在しない。無理。
世の中で一番の嘘つきは「私は嘘は嫌い、嘘はつかない」と言う人だ。
嘘をつかずに生きていったら、どれだけ周りから嫌われるだろう。
「大人対応=嘘」だとした場合だが、この公式を誰も否定はできないだろう。

お互いがお互いの全てを知り、許しあって生きる、これはもう究極のSMの世界にしか存在しないと思う。

ここまでとの脈絡はまるでないけど3作の中では「利休~」に一番興味あるなぁ。
rikyu.jpg









01.09.23:41

花だけはくれるな

kaho1.jpgこの人のことは初めて出すが、この表現・感覚・死生観に惹かれてやまない小川洋子以外に、私がその表現・感情の正直さには恋に似た感覚に陥る作家が中山可穂である。
彼女の書く物語には、最初から最後まで一気に読ませてしまう力があるのだけれども、読んでいるあいだ、あまりにも息をつめてしまい酸欠になりそうなので、何度も何度もページをめくる指を止める。
「もうだめ、むり」と感じ、続きが気になるのに2日も3日も本を手にとれないときもあった。
児童売買春をテーマにした『闇の子どもたち』を3時間ほどで完読した私ですら。

そこに描かれるのは、暖かい陽だまりの中にまどろむような心地よい関係ではなく、常に抱きあっていなければ死んでしまう、と恐怖するような、どうしても永遠など存在しないような苦しい関係である。
もしそのどこかに永遠が存在するとしたら、汗と体臭と体液にまみれたふたりが、ひととき昇りつめ無我の境地にたどりつく、オーガズムの中だけ、だろう。

kaho2.jpg彼女の小説は、本当に読むのが恐ろしく、中でも山本周五郎賞を受賞した「白い薔薇の淵まで」はイタい・・・・というレビューをさんざん読んでいたので、手に取ることすら、本屋でタイトルを見ることすら避けていた。
が、またぞろ世の中から見たらたいしたことのないこと、でかなりのストレスを溜めてしまった私は、そのストレスのために極端な行動に出てしまいそうなのをその本を購入することで紛らそうとした。

胸の中で、流れない涙があふれる。
外に流れない涙は、私の中に溜まっていく。
ああ・・・また澱む。

どんよりしながら読み終えて、最後の彼女の山本周五郎賞受賞記念エッセイのタイトルに目がいった。

「花だけはくれるな」

賞を受賞した彼女のアパートの部屋に、所狭しと花が贈られてくる。
花はどんなに高価であっても食べることはできない。
自分はまだまだ貧乏作家なので、そんなものに高いお金をかけてくれるなら、食べられるものを送ってほしい、というのがおおまかな内容である。
その中にさりげなく、しかし強い意志を持って、彼女と同居するパートナーへの愛が語られている。
その部分に触れたとき、それまでの流れなかった涙がフイに落ちた。

正直であること、が最高の美徳のように思っている私でも、バカバカしい嘘をつく。
この人の正直さには負ける・・・・・