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  • 06/09/18:29

01.13.22:53

アバター ~映画~

avatar.jpg期待していたわけではないが、少しは「おお♪」と思うような部分があるかもしれない、と思って観たがやはり無かった。
正直全然面白くなかった。
物語の流れは、ディズニーチャンネルあたりで放映されている番組程度で。

少し期待したのは、予告を観たとき、主人公がアバターにリンクする前の姿が車イスの足が不自由な人だったから。
主人公が人間よりも動物的で、自由に動くことができるアバターにリンクしたときの心情や、葛藤といった深みがあるかな?と思った。

初めてアバターにリンクしたシーンでは地面を踏みしめる足が強調されていたし、自由に動く足に彼自身も嬉しそうに見つめていたりはした。
でも、そこまで。。。だったように思う。
というのが、あまりにも物語が薄くて退屈で眠ってしまったので、わからないんだな。

映像も、実は3Dでは観ていないのでわからない。
だから映像についてどうのこうのも言えない。
3Dを観なかったのは、短時間ならあの眼鏡をかけて画面を観るのもいいけれど、2時間もはダルイなぁと思ったから。
それに飛び出す映像に、私はそれほど魅力を感じないし興味ない。

ということで面白く観ることができなかった「アバター」だったが、映像を楽しむ作品なんだ、ということでいいわね。
エンターティメントじゃない、これは遊園地のアトラクションだわ、と思ったが、そういえば昔観た「大地震」では、地震のシーンでは観客のイスがぶるぶる・・・と震えるおまけがあった。
物語や画面以外の演出で観客を楽しませる、という試みが昔もあったなぁ、と思い出し、ま、そういうことで、と良しとしとこう。

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12.23.21:50

たまにすごく観たくなるもの

ダンサー・イン・ザ・ダーク

12.11.09:18

イングロリアス・バスターズ ~映画~

ingurorias.jpgクエンティン・タランティーノ監督作、というとバカバカしいB級なイメージ。
勧善懲悪ではないけれど、誰かと誰かが戦うにしても、作品の中にわかりやすい理由があった。
だから音楽とアクションを単純に、おー♪格好良いー!と感じていればよかった。
それが今回はない。
演出やアクションシーンはいつもどおり面白いが、最初から最後まで「何か解せん」感じがしていたのは、やっつけられるナチスの連中が、この作品の中で殺される理由がわからない。
確かに歴史ではナチス=悪、なんだけど、もしそんな「説明しなくてもそうなってるんだから」な理由だとしたら、すごく人間的に浅いというか、興行的に薄いものを観せられたと思う。

10歳の子どもがこの作品を観たとする(R15だけど)。
ヒトラーやナチスが、頭の皮をはがされる、ひとつの場所に閉じ込められ、火あぶりに遭い、逃げまどう中にマシンガンで銃弾を撃ち込まれる意味がわかるだろうか?
それとも、登場人物が「こいつらは残酷に殺して然るべきなんだ!」と言えば、そうなんだー、と思うのかな。
それでは頭が悪すぎる。

そこで思いついたのが、昔のウエスタン。
白人が、襲ってくるインディアンをやっつける映画の数々。
だいたいインディアンの土地に白人が入ってきたのに、それを怒っているインディアンがやっつけられて拍手喝采、というのはあんまりだ。
だけど、格好良く銃を構えた美男俳優が勇敢に戦い、家族を守る姿を観せられて、観客は単純に喜んだ。

その単純さはとても愛すべきものではある。
すごく正しい映画の観方でもある。
もしかすると、今回タランティーノは観客の、その部分を楽しんだのではないか?

何故なら、そう思わないとあまりにもこの作品は中途半端。
家族を殺されたユダヤ人女性、アメリカ人兵士たちによるナチス一掃ゲリラ隊。
作品中ナチスの面々は、このふたつに狙われているが、どちらにも、ネズミ捕りに捕まったネズミを水に沈めて殺すような、それほどの決意みたいなものは感じられなかった。
「ヒトラー、ナチス=絶対悪」という構図を映像で観せるのではなく、すでにそれありき、という流れで物語が進んで行くことにすごく違和感をおぼえた。

面白さタランかったら全額返金セールの頃に行くべきだった。

デヴィッド・ボウイの「キャット・ピープル」は嬉しかったなぁ。
どうなってるんだろう・・・・・ナスターシャ・キンスキー


12.05.22:40

母なる証明 ~映画~

~作品の中身に触れます~

hahanaru.jpgこの母子関係は娘と母親ではあり得ない。
街中で、様々な人々の中で暮らしながらもひどく閉鎖的で濃密な母と息子の暮らしは。
息子を見つめる母親の視線は、無償の愛というよりも息子の心も体も、再び自身の中に取り込もうとするかのようにエロティックに感じた。
それは昔観た、新藤兼人の母と息子の近親相姦の映画のように、一見異常に見えるものをとても当たり前に。

息子(ウォンビン)には少し知的な遅れがあるのだろう。
母親(キム・ヘジャ)は漢方薬を売りながら、たまにヤミの鍼灸を行いながら、息子とふたり細々と生活している。
彼女の生活の全ては息子に向けられている。
未来を望むわけでもなく、ただ、その日その時、息子を愛おしいと思うことだけで暮らしている。
ある日、女子高生が殺害され、息子が逮捕される。
母親は息子の無実をかたくなに信じ、自ら事件の真相を追っていく。

冒頭、枯れ草の野原を歩いてきた母親が、BGMに合わせて踊り始める。
ポン・ジュノ監督は観客に、まずこの母親が愚かな女であることを知らしめる。
この作品は、彼女がどう愚かであるか、その証明であったようにも思う。
その愚かしさは、母と息子だが女と男である、という異性関係でなければあり得ない。
お互いへの強烈な依存。
そこに何の躊躇も疑問もない。
息子の無実を信じる、のではなく、ひたすら息子を信じているのだ。
その事を、ただ「愚かだ」とは言えない。
なぜならそんな関係は、日常的に男女間で行われているから。
この母親は、たぶん息子を得るまでは、周り全ての男にたいして依存していたのだろう。
昔から知り合いらしい刑事や、息子の友人など、もしかすると彼らとは肉体関係もあったのではないだろうか?そう思わせた。
そして、当然のことながら息子とも。
ねっとりとした「女としての血」「女としての業」、この動物的なエロス。

母親の恋人から虐待を受けて命を落とす子どもたちがいる。
母親も一緒になって子どもを虐待する。
その依存しあっている男女関係と、この作品の母子関係には何ら違いはない。
事件が図らずも一件落着し、平穏を取り戻したようにみえる母と息子だが、
「悪い出来事を忘れるつぼ」に自ら鍼を打ち、そして踊り始める母親の姿からは、母であり、女である愚かさを感じた。
ポン・ジュノ監督の前2作から感じた、静かな景色の中の虚しさ、孤独感、それらが今回は物悲しいタンゴに合わせて踊る母親の姿から、痛いほど伝わってきた。
それは母親という姿を借りた、「女」だからこその寂しさのようなものだろうか。

11.07.10:02

This is it ~映画~

9a49eb49.jpegマイケル・ジャクソンは、田原俊彦が好きだった人、というイメージ。
私が高校生なりたてぐらいは「ザ・ベストテン」なんかで彼がムーンウォークを披露したり、なんて時代だった。
ジャニーズも、トシちゃんも、たのきんトリオも、だっせ~~と思っていたので、そのだっせ~のが大好きだと言うマイケルも、私の中ではだっせ~人だった。
あれだけ巷に蔓延していた「スリラー」や「ビート・イット」なので、聴きたくなくても耳に入ってきたし、確かにダンスは面白い。
「スリラー」のPVなんか、最後は、おぉぉぉぉぉ~♪と思った(はっはっはっはぁ~、とマイケルの瞳が金色に光るヤツ)。
けど、あまりに流行りすぎていて、私は彼よりマドンナの方が好きで、プリンス殿下を愛していた。

そのマイケル・ジャクソンが亡くなった。
ロンドン公演が目前、そして未だに謎の多い死である。
今回のリハーサル映像を使ったドキュメンタリーを観て、なんだかキナ臭いなぁ・・・と感じた。
ここが私のダメなところである。
気にしなくて良い部分を気にして、表面より、その裏を見ようとしてしまう。
が、有名ゆえ様々なスキャンダルに塗れたマイケルの歌とダンスは相変わらず面白かった。
あんなに歌って踊れていたんだ!
現役でちゃんとパフォーマンスできるのに、スキャンダル先行で、もったいないね、と思った。

それでも彼が生きていて、そしてロンドン公演を成功させていたとしても、私は興味を持たなかっただろう。
彼が亡くなったから私のような人が興味を持った。
キナ臭い部分はそこである。

生きていたら、また何だかんだとマスコミの餌食になる。
入るお金より出るお金のほうが多くなる。

彼ほどの人ならば、死ねば確実に伝説になる。
まずは今回のドキュメンタリー。
その後は以前の楽曲を編集して、いくらでもCDを作れるだろう。
彼の名前で「地球を救おう」なんてテロップも出ていたが、その団体も利用できるだろう。

作品としては、ライブDVDの特典映像に使われるような類のものを大画面で観た、という印象。
リハーサル風景なので。
大きなスクリーンで彼のパフォーマンスを観ることができて、良かった。
彼のライブなど、縁もゆかりもない大勢の人たちが、彼のパフォーマンスに感嘆できた、スゴサを知った、という意味で。
やはり私は彼をスゴイとは思っても、格好良いとは思えない。
セクシーじゃないもん・・・・・・・

気付いたのが、マイケルと周りとの距離感。
あれだけのスターだし、同じステージを作るとなると、関わる人々は皆、マイケルを神のように崇めているだろうから無理もない。
しょせん、彼も、ただの人なのにね。
幼い子供たちを彼が可愛がっていたのも、無垢な子どもたちでなければ彼の魂とは釣り合わなかったのかもしれないなぁ、と思った。
エンターテインメントの申し子だったマイケルに孤独があったとすれば、それは彼が天才であり、才能ときらびやかな運命のもとに生まれた弊害だろう。