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06.09.09:55 [PR] |
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12.14.10:07 ノルウェイの森~映画~ |
観たときにはう~ん・・・と感じていたが、時間がたつにつれ考えるにつれ、あれでいいかなという気持ちになってきた。
原作のファンにしてみたら不十分極まりない作品だと思うが。
一番の敗因は菊池凛子。
以下フォーラムから抜粋しつつ変えつつ。。。有名なお話なので最後にもふれます。
原作を読んでなければわからず、しかし原作を読んでいる人にはもの足りず。
「村上春樹」というイメージと、原作の雰囲気に囚われてる感があり、少しがっかりする部分がありました。
がっかりの一番は糸井重里や、細野晴臣、高橋幸宏なんかが脇役で登場したところ。
教育テレビの土曜日深夜あたりに出てきそうな人たちを出す必要ない。
個人的にはそういうの大嫌い。
それと菊池凛子・・・・・この人の魅力って何?さっっっぱりわからん。精神に異常をきたす感じに見えるから?なんーかもう、汚らしーーーーい。想像はしてましたが、この人じゃないでしょう。。。
青春映画として観たら悪くはないと思います。
60年代を生きた学生の話として、雰囲気は良かった。
18歳から21歳ぐらいといえば、人生の中でも一番といっていいほど深く愛や人としての生き方を考え感じる時だと思います。
そんな主人公や彼の周りの男女の話。
雰囲気は軟派なのに男くさい話です。
いいと思います。
もったいないのは人物像やエピソードの描き方が不十分で、これだけみたら意味不明になっているところが多いこと。
ワタナベ君と直子の最後のシーンなんか、直子の悲しみや虚しさがあれでは分からないでしょうー、多分。
彼女が涙をこぼす場面よりも、その直前の行為が大切なのに、二人を遠くから映してその後荒涼とした雪山や雪景色・・・にしたのは演出の逃げだと思います!
残念だー!
ワタナベ君の気持ちは直子にはなく、彼は緑に惹かれていて、そのことを直子は気付いています。
愛というよりも責任?言いすぎかもしれませんが、そんな気持ちが直子に対してはあり、キズキを失ってまた不感症であるという自身の負い目のようなものにも傷ついている直子に、何とか向き合おうとしているワタナベ君にまた傷ついている直子なのです。
別れを意識してワタナベ君にフェラチオをする直子の悲しみや虚しさはどれほどか。。。。
そのあたり、あの映像からわかるかなぁ・・・・
そんな演出の逃げや不十分さのせいで、ハツミさん?それに緑って子は?リツコさんっていったい?ラストのワタナベ君のつぶやきは何?みたいなことになると思われ・・・・
最後のワタナベ君のつぶやきなんか、すごく良いと思うのです。
青春まっただ中で傷つき悩みそして生き直そうとしている若者の物語としては、緑に一緒にいると言いながら、自分の心の居場所がわからない・・・とつぶやく言葉はとてもよくわかります。
しかし、映画だけではわかりません、たぶん・・・・・・残念ながら。
ハツミさんが、ホントはつれない永沢君に文句を言いたいのに言えず、ワタナベ君に怒りをぶつけるシーンと、その後のタクシーのシーンはわかりやすかった。
緑・ハツミ・レイコ、直子以外の女性登場人物を演じた女優たちは素敵でした。
3人とも素敵だった。
緑は可愛い~。
ハツミさんも魅力的だったし、レイコさんもいい♪
直子が菊池凛子じゃなければこの作品はまあ合格で・・・と言って良かったかもしれません。
ダラダラした流れでも私が眠くならなかったのは、ワタナベ君が友人にとても似ていたから。
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06.07.15:44 フィリップ、きみを愛してる!~映画~ |
タイトルを聞いたときには、もっと他のタイトルにしようよ、と思った。
でも観終わってみると、このタイトルの何と素敵なこと♪
あー、私も誰かに「あなたを愛してる!」と言いに走りたい!なんて・・・(^◇^)
どうして男同士がベタベタしてるところを観なくちゃいかんの~、と思うなら観なくて良いし、話題作だからといって実際、観終わっても「あーヤダヤダ」としか思えない、言えないなら最初からスルーで良いと思う。
でも、この作品はコメディだし、ゲイを美化もしてないし、むしろ普通に男男のカップルを描いていて、私は少しも違和感も何も感じなかった。
ひと昔前の「アナザー・カントリー」や「モーリス」の方がイヤかなぁ。
(ちなみに「ブロークバック・マウンテン」も全然ダメだった。これは別の意味で(^^ゞ)
幼い頃に養子だと宣言されたスティーヴンは、それでも明るく強く生きる方が得だし、そうしようと考える。
そして大人になり、立派な仕事を持つ立派な男、夫、父親として生きていたが、自身の性的傾向については幼い頃から自覚していて、そこは公には秘密にして暮らしていた。
だがある日、大きな交通事故に遭い、人間いつどうなるかわからない!それなら本当の自分自身で生きる!と、堂々とゲイ宣言。
美しい恋人も作り(もちろん男性)、ふたりで楽しく暮らし・・・・ていたが、スティーヴンにとって、恋人を幸せにする=良い暮らしを与えること。
学歴はないが、高い知能を持つスティーヴンはお金を稼ぐため、保険金詐欺や違法な商売などやってしまっていた。
案の定捕まり、入った刑務所で出会ったのが運命の人、フィリップ。
フィリップより先に出所したスティーヴンは、彼を保釈するために偽弁護士になり、周りをだましてフィリップを出所させるわ、彼のために給料の良いマトモな仕事に就こうと、偽履歴書を作り大手企業に就職。
最初は真面目に仕事をしていたが、「周りはバカばっかし」なので、会社のお金を不正に運用し、自分たちのモノに・・・
とにかく、頭が良いのでありとあらゆる事に精通しているし、人を動かす力に長けているし、今までは利用されるばかりの人生だったフィリップが「こんなに優しくされたのは初めて」だと感激するのも無理はない。
ちなみにゲイとして暮らすと金がかかる、というセリフがあるが、これは単に相手に高価なプレゼントをあげるからとか、良い暮らしをさせるからとか、それだけではない。
同性愛者のカップルの場合、セレブであること、お金を持っていることが自分たちを守ることにもなるからだ。
あのセリフは、社会の偏見や中傷から、恋人を守ることに繋がるから、でもある。
なのでスティーヴンは愛するビリーのため、フィリップのために身体を張っても、危険を犯しても、大金を稼ぐのだ。
ジム・キャリーは、この実在の主人公を、ほんとなの?嘘なの?どっちなの!と、観ているこちらにまで言わせるような人を食った演技でみせている。
めっちゃ上手だし、やられたー!
もしかして?と予想はしたけど・・・・・
フィリップ役のユアン・マクレガーがまた可愛い。
あー、あんなゲイ男性いるいる・・・・・でも、ステレオタイプではなく、自然で良かった。
主人公の最初の恋人ビリーがロドリゴ・サントロ。
私、彼はどー見ても普段からゲイやろ?と思ってるが、、、、だってセクシーなんですもん♪大好き♪
主人公ののんびりした奥さんも可笑しかった。
なんだかんだ言って、主人公の周りには良い人ばかり。
そこで思い出すのがアイリーン・ウォルノスをモデルにしたシャーリズ・セロンの「モンスター」。
アイリーンも頭の良い女性だったが、あまりにも生い立ちや、周りにいた人間たちが悪すぎた。
兄か弟の子どもを10代前半で身籠り、もちろんだがお金のためにその頃から男たちに身体を売っていた。
それも格安で・・・・
出会ったレズビアンは愚かな醜女で、それでもアイリーンは「真実の愛」を見つけた、と思う。
アイリーンに依存するだけの恋人のために、身体を売るだけでなく、強盗殺人まで犯すようになり、結局最後は恋人に裏切られ、死刑になるのだ。
同じように知能が高いLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスセクシャル)でも、生い立ちひとつ間違えば、スティーヴンとアイリーンの違いになる。
それはなんと悲しいことか。
ふたりとも結局、刑務所暮らしだが、片や幸せに(勘違いだとしても)、片や世の中に呪いの言葉を吐いて死刑台にあがった。
それにしても犯罪はいけないし、そんな極端なことにはならず、男男だろうと女女だろうと、どーでもいいじゃん。
そう私は思っているし、そういうことを話題にすることすらバカバカしいと思っている。
「フィリップ、きみを愛してる!」ハッピーな作品でした♪
でも、くれぐれも犯罪はいかん。
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03.10.09:23 アンチ・ドキュメンタリーです |
極端に言うと、ヤコベッティの「世界残酷物語」だとか「グレート・ハンティング」なんかですら、描かれていることは全てが真実だと思っていた。
しかし、フィルムがどう編集されて、私たちの前にお目見えする、と知ってからは、ノンフィクションとうたっていても、その作品だけを観て全てわかった気になるのではなく、描かれてある事柄を知ることだけが重要だと思っている。
興味がわけば、自分の目と耳と足で調べて考えて判断する。
作品だけを観て判断するのは、大きな間違いだと思っている。
何度も言うけど、そうだと思ってます。
イルカ漁があることを、今回のアカデミー賞で初めて知った。
へぇ~。
私はピース・キープ・イルカと思ったことがないので、そうなんだ、としか思わなかった。
知らずに私もイルカを食べていたかもしれない。
知能の高い哺乳類を捕獲して食べるなって、あの美味しい牛や豚はどういう扱いかしらん。
売られていく可愛い子牛の瞳だって、見たらつらいと思うが・・・・
水銀。。。。。
動物は食べません!
なんてこともあるでしょう。
でも植物だって生き物・・・・・ま、もういいや。
だいたいにおいて、ドキュメンタリーを作る人がその事柄について熱く語るのを見るのが苦手です。
作品として世に出した以上は、売らなければいけないので、それはわかるんだけど、とりつかれてるように見えて怖い。
その事柄を、一方向からしか見ることができない、という態度は、ますますその作品で描かれている事柄が、それだけが真実ではないと大いに宣伝しているようなものだ。
内容が、環境保護や戦争・政治・思想・宗教・福祉、そういうものになると特にその傾向が強いように感じる。
実はマイケル・ムーアの作品も「ボウリング・フォー・コロンバイン」しか観ていない。
あの作品は、彼なりの何故アメリカが銃社会になったのか?何故抜けられないのか?という考察があったので面白かった。
チャールトン・ヘストンは損をしたように思う。
住むならカナダかな、とちょっと思ったし。
特にハワイアンバーガーがお気に入りである。
だいたい、毎日毎食マックでそれもスーパーサイズばかり食べたら体を壊すに決まってる。
あれは極端だ。
でも、「ちょっとやってみたくね?」みたいな感じだったものを、自称実際にやりましたと、やってみせてくれたのが面白かった。
ということで、「ザ・コーブ」も観てみないとなんとも言えないけれど、きっと支持はしないと思う。
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03.03.11:30 正義のゆくえ~I.C.E.特別捜査官 |
特に、出演者たちの訴えるような瞳の演出が印象的だった。
米国には毎年相当数の移民や密入国者たちが入ってくる。
それだけ仕事がある、ということなのか。
ロサンゼルスの製縫工場に密入国者の逮捕に踏み込む捜査官たち。
メキシコからの密入国者の女が隠れている、それを見つけたハリソン・フォードに、どうか見逃してくれ、と訴える女。
心が動きかけたところに同僚がやってきて女は連行され、ハリソンは彼女に息子を託されてしまう。
また、永住権を得るためにユダヤ教の宗教関係者に成りすますミュージシャン。
永住権の審査官に体を求められる女優の卵。
アラブの誇りと祖国の教えを守りながら、アメリカで成功を収めた家族が、「一族の恥」とする自由主義の娘。
欲しいものは力で奪うのだと、不良仲間にそそのかされ、強盗に手を貸してしまう韓国人青年。彼は翌日に永住権取得の式典を控えていた。
様々な「よそもの」たち。
学校で9.11の小論文を発表し、FBIににらまれるイスラム教徒の少女のエピソード。
彼女は、やったことは赦しがたいが、9.11の犯人たちが何故あそこまでの事件を起こしたのかは理解できる、と皆の前で語る。
その姿はとても勇気にあふれた立派なものだった。
しかし、クラスの誰もが彼女の言葉の一部だけに反発し、聞こうとはしない。
そのうえ学校はFBIに通報し、彼女は危険分子だとして逮捕され、母親とともに国外退去となる。
3歳でアメリカへ渡り、祖国バングラデシュの思い出などない、そんな少女だ。
彼女はアメリカに住むイスラム教徒である家族と自分について、「自称・自由の国」で考えたから語ったことだ。
9.11からのアフガニスタン攻撃、イラク攻撃などをうけ、「反撃されない高いところからの攻撃のほうが卑劣」だ、と言ったスーザン・ソンタグは「オサマ・ビン・ソンタグ」と批判されたように。
強者の理論、アメリカという不思議な国、理念は「自由と民主主義」・・・・・
この作品は移民の国アメリカの、移民についてのさまざまな問題に翻弄される人々が描かれる。
感じたのは、こういう問題はすごく広い視野が必要なので、見て見ぬふりするに限る、になりがちだということ。
最近、日本でも「移民政策」についての話があり、仕事がないのに移民を受け入れても意味がない、というラモスのまともな意見には誰も反応せず、「偏見をなくして自由な雰囲気にするためにも、家庭でもっと話しましょう」などと無理矢理、さすが朝日!な結論がでていたのをテレビで観た。
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02.28.22:43 インビクタス~負けざる者たち~ |
クリント・イーストウッド監督の最新作。
ネルソン・マンデラというと、去年あたりに『マンデラの名もなき看守』を観た。
それが初マンデラ。
伝記映画は苦手なので、そういうのを観たからといって、あれがホントのマンデラさんだとは普通、思わない。
映画はドキュメンタリーであってもノンフィクションだとは思わない。
何かを訴えようとして作る以上、観る側に対する演出は必ずあるから、ドキュメンタリーを観るときにはテーマとすることを「知る」だけにとどめておいて、「真実」だとか「わかった」とは思わない。
伝記映画もそんな感じ。
偉大な人物を扱った作品ならば尚更。
だって格好良すぎる、マンデラさん・・・・ホントにああなの!
どう考えても一般的にはそんな扱いの、実在の人物が登場する作品をどうしてイーストウッドともあろう人が作ったんだろう?と、疑問だった。
戦いを望まず平和な未来を作るなら、復讐などではなく、赦しが必要だと。
これは大きい小さい関係なく、世界中で争いをしている全ての人々に言えること。
ロベン島の刑務所で、穴掘りや石積みの拷問のような作業をしながら、狭い独房から外をながめながら、マンデラさんは復讐ではなく、自身の精神を高みに持っていくことで長い刑務所生活を耐えてきた。
世の中にある暴力による悲しい出来事に対する、イーストウッドの願いはそこかも?
独房に立つマンデラさんの背中は『マンデラの~』でもとても立派に描かれていたけれど、『インビクタス』の中でも似たようなシーンがあった。
小さな独房の中の、大きなマンデラさんの背中。
不当な扱いに屈せず、その精神を暴力に貶めず、目の前の苦しみだけを見るのではなく高みを目指す、高貴な心を持った人。
誰もがそんな心を持つならば、誰もが一緒に笑いあえる。
うう・・・そんなことを考えるのも正直面映ゆいが、『ミスティック・リバー』も『グラン・トリノ』も、そういうことではないかと思う。
その二つの作品では明確に出さなかった答えを、今回マンデラさんの半生と、南アフリカで開催されたラグビーワールドカップの奇跡のような結果を使って見せてくれたのかも。
今までのイーストウッド作品にある、なんとはなしに暗い部分は皆無。
でも私のファザコン部はしっかり刺激され、イーストウッド=パパ、という図式は変わらない・・・