11.25.04:01 [PR] |
07.27.11:58 ケンタとジュンとカヨちゃんの国~映画~ |
長~い道のりでネタバレします。
都会に住んでいたころ、「ここは私の居場所ではない」と、心のどこかで感じていた。
または、周りにひどく迷惑をかけた父をひどく憎んでいたころ、何もできなくなって家から一歩も外に出られなくなった。
その両方とも、私にとって何よりも大切な「私の根っこへの誇り」を見失っていた時期だった。
自分がこの世にうまれた証明、それを誇りに思うこと。
それはどんなにささやかであっても、とても大切なこと。
もしかすると誰もがそんな「誇り」を探し求めて生きているのかな、と思う。
この作品の三人は、自分に対しての誇りが曖昧だ。
幼い頃から施設で暮らし、成人しても自分の足で立てない、立つための自信を失っているケンタとジュン。
多くの男に抱かれることでしか、自分の存在理由を見いだせないカヨちゃん。
彼らは今まで住んでいた場所を壊し、いじめていた男の持ち物を壊し、唯一の肉親に会いに行く。
ただし、その肉親はケンタくんのお兄さん。
ケンタくんとお兄さんが両親を亡くし施設に入ったとき、すでにジュンくんはそこにいた。
その時点で、ケンタくんはジュンくんよりも精神的優位に立っていることが切ない。
ぼくは両親を知っている、お兄ちゃんもいる、でもジュンくんには何もない、と。
しかし、その思いは人を弱くもさせる。
拠り所にしていたものが壊れたとき、同時にその人も壊れてしまうから。
ジュンくんが、周りに馬鹿にされながら、自分のことだけ考えていられるのは、彼が最初から何も持っていないからだ。
俺とおまえは違う、ケンタはジュンくんに何度も言う。
それは彼の誇りを確かめる言葉であると同時に、彼の弱さでもある。
ジュンくんには意味がわからない。
わからないからジュンくんはケンタくんより、本当は強い。
ジュンくんに付きまとうカヨちゃんは、もっと強い。
彼女は自分自身を知っている。
自分の生き方を持っている。
自分が生まれたことを誇らない。
誰かのぬくもりを、常に求めなければ立っていられない生き方だとしても、彼女はそれで立派に立っている。
愛されたい、愛されたい。
愛の意味も知らず、愛の意味を知らない誰かに、その言葉をまるで食べ物やお金のように求めている。
きっとその言葉を聞くことが、彼女の誇り。
そして知らないから、ケンタくんよりジュンくんよりカヨちゃんは強い。
ケンタが二度見た、光はなんだろう?
彼が持つ、「根っこ」から離れた世界への入り口か。
何もかも失ってしまえば楽になるのに失うのは怖い、全て失って生きるには寂しすぎる環境から、自分を解き放つ場所へ導く光。
ジュンくんにはケンタくんしか肉親と呼べる人がいなかった。
肉親じゃないけど、兄弟同様に暮らしてきたから。
そんなケンタくんがお兄さんを失ったことに傷つき、自分を見失っている。
ジュンくんはケンタくんを取り戻したい。
だからケンタくんを銃で撃った。
カヨちゃんの最後の顔。
知らない男の車から叩き出されたのはなぜだろう?
ヒッチハイクで拾われた男に身体を求められ、拒否したか?
それともカヨちゃんから求めて男から拒否された?
どちらにしても(その解釈は重要かも、だけど)カヨちゃんは、また自分だけで立っている。
「私を愛してる?」
その問いにうなずいたジュンくんがいる。
この先、会えるかどうかもわからないけど。
「道」や「イージ・ライダー」や「ノッキンオン・ヘブンズドア」を思い出した。
で、松田翔平も安藤サクラも魅力的だし、内容もこれだけ考えさせられるんだけど、もう少しなんとかならなかったかなぁという印象。
比喩、こんな雰囲気、そういう表現がわかりづらい。
ちょっと投げっぱなしな印象。
最初の三人の独白まではとても良かったのに。
松田翔平の存在感が良いので惜しい。
安藤サクラも、もっと絡ませればよかったのに、と思う。
なんか惜しい作品です。
05.30.21:20 時をかける少女 ~映画~ |
原田知世の1983年版「時をかける少女」は、CM作家だった大林宣彦監督が、これでもか!と映像技術を駆使して作ったもの。(長編デビューの「ハウス」も面白かった~)
映像の面白さも、だけれど、原田知世という女優の強烈デビューでもあった。
2006年のアニメ版は、細田守監督の瑞々しい演出で、これまた青春の情感やらなんやら、夏の日の校庭の雰囲気などが美しい作品だった。
そして2010年版「時をかける少女」。
予告を観たときに、「んっ!!!!」と感じた。
それでも半信半疑で観たが、私の中に作品が恥ずかしいぐらいに入ってきて、もう、ごめんなさい、勘弁してください、と言いたいぐらいにハマってしまった。
その言い方は間違い。
あの世界にスンナリ入ってしまい、私の中の「いつかの記憶」と画面の中がリンクして、私も一緒に時をかけたのだった。
仲里依紗は、どう見ても嵐の二宮君に見える。
ころころ変わっていく表情も、少しぶっきら棒な歩き方も、立ち居振る舞いも、とても可愛かった。
原田知世も、アニメ版もだけれど、この主人公は女ではいけない。
なんといっても、時をかける「少女」だから。
大人ではない、かといって子どもでもない、本人もまだ何者なのか気付いていない、何者になるか想像もついていない、ただ10代の「私」。
仲里依紗は、そんな主人公のキャラクターに合っていた。
泣き顔も、笑い顔も、走る姿も、何もかもが瑞々しく光っていた。
それに、中尾明慶。
ルーキーズの中ではかなり特徴的な髪形だった彼を、私はとても好きだった。
それが今回はもっさりした長髪に、裾広がりのデニム、という70年代ファッションの大学生。
これがまた、朴訥な青年らしさがぷんぷんしていて素敵、というか、可愛かった。
そんな可愛いふたりが主人公で、以前の主役だった芳山和子は安田成美。
よく聞かれるところの、原田知世だったら・・・・・という話だが、
全然、私は安田成美でオッケーだった。
原田知世には、あまり思い入れがないからかもしれない。
いきものがかりが口を開けたままな歌い方で歌う「時をかける少女」も、仲里依紗のぶっきら棒な雰囲気にとても似合っており、その点は製作側にもきっと思わぬ収穫だったに違いない。
いつか行った気がする場所。
放課後の理科実験室の匂い、狭い四畳半の部屋、お風呂屋さん、学校の正門、人ごみの中、そしてラベンダーの香り、それらの中に自然と私自身がいた。
夕暮れの学校の廊下を、誰かを引きとめるために走ったこと、そして掴んだシャツの感覚。
私の中の記憶が作品にリンクして、私も主人公と一緒にタイムリープした。
自然とそんな風に映画の中に自分を置ける感覚、私にはなかなか無いことなので、驚きました。
05.25.00:40 死刑台のエレベーター角川版 |
ファンなので期待はするんですが、これはまた身の程知らずというか無謀というか。
あー、でも想像しただけでドキドキする・・・綺麗すぎ、きっちゃんはー。
http://www.shikeidai.jp/
05.18.23:08 涼宮ハルヒは知らない、長門だけ |
涼宮ハルヒ、という名前だけは聞いたことがあった。
どのような物語かは知らなかったが、周りの評価が軒並み好評なので、行ってみた。
慣れたキネマ館のイスなのに、何かむずむずする。
なんだか違和感を感じる。
映画が始まって、最初のセリフでそう思った。
「地球をアイスピックで突いたら」すぐに割れてしまうぐらい寒い、というセリフだった。
悪くはないし、うまい表現だと思う。
だが、なんとなく気持ち悪い。
なんとなく気持ち悪い、というのは、主人公キョンの主観である比喩表現が面白くはあるけれど、うるさく感じたから。
これは感覚的なものなので、私だけが感じたことだと思う。
ただ、長門有希はいい。
見た感じも、あの無口さも、性格も、可愛い♪可愛すぎる♪
あの、そこはかとない雰囲気がとても良い。
真面目に「これは何だ?」と考えて、自分ひとりで処理しようと頑張ってる姿がたまらない。
「ひとり」でいるところが、すっごく良い。
あんな子がいたら、ずっと見守っていたいし、ちょっかい出したい。
朝倉じゃないけど、「あなたが望んでいたから」と、彼女を邪魔するものを阻止するかも。
私が今、学生だったら、きっと明日はアニメイトに出掛けていたかもしれない。
なっ、ながとー。
03.18.23:44 花のあと ~映画~ |
真っ白いお肌と、ぷりっとした口元と、きっれーいな髪と、ニッコリ笑顔と、眉間にシワ寄せて口を尖らせてしゃべる表情が可愛くてたまらない。
見ているとニヤニヤして、いやらしいオヤジみたいになってしまう。
彼女に綾瀬はるかと吉瀬美智子を付けてくれたら最強。
想像しただけでも白くてつるつるで、くらくらする。
その北川景子が時代劇でどうなんだろう?と思っていたが、抑揚のないしゃべり方といい、眉間のシワといい、良い具合にハマっていて悪くなかった。
藤沢周平はいいなぁ・・・
市井の「必殺仕事人」のようなパターン。
筋がだいたい判っても、主人公の潔さにはいつだって感動させられる。
何も言わずに耐える、我慢する、って美しいな、と思う。
一度だけ竹刀を合わせた以登と孫四郎。
立派な剣士と認め合っていたふたりは、その試合で剣士としての尊敬以上の感情をお互いに感じた。
以登は孫四郎が自分を女だからと見くびらず、同じ剣士として戦ったことに感動していたが、既に許嫁が決まっている身であり、孫四郎にも格上の家への縁談が進んでいた。
孫四郎役の宮尾俊太郎は素敵だったー。
大きな肩幅、大きな体、大きくもなく小さくもない瞳、知的な口元、ピンと伸びた背筋、颯爽としていながら余裕のある立ち居振る舞い、全て素敵♪
おまけにダレエダンサーだなんて・・・・だから色気があったのね。
綺麗だわ。
そんな綺麗な二人に地味な甲本雅裕が絡むが、これにやられた。
以登の許嫁で、東京に勉強に行き4年も帰ってこない才助。
昼行燈と言われながらも後に出世し、以登との間にも7人の子どもを持つことになる。
以登が孫四郎を慕っていることを知りながら、愚かな陰謀に嵌められて死ぬことになった孫四郎の一件を解明し、以登が孫四郎の代わりに決着をつけることを見守る。
いつもご飯を食べてるかお酒を飲んでるか、の才助だが、彼の心の大きさが物語を温かな印象にする。
いつもの「決着」をつけるパターンが切ないけれども、優しく包んでくれる愛との始まりの物語としてラストを迎える。
途中までは北川景子と宮尾俊太郎♪と思っていたのに、ラストになるにつれ気持ちは、才助~♪
彼の大きな心は、以登と孫四郎との「気持ちの三角関係」のまま、ぎゅっと一緒に抱きしめる。
そうできたのは、以登が心から孫四郎を思っていたから。
その真剣さ、一途さを認めたから、才助は受け入れたのだろう。
以登を信頼し、認めていたから、孫四郎のことをも愛したのだと思う。
わかるかなぁ~、この気持ち。
回想シーンが多用される演出はあまり好きではないが、出演者が皆とても素敵だったこと(小悪人の市川亀次郎も)、藤沢周平の、我慢・憧憬・決着というお決まりとはいえ心の琴線に触れる物語に、単純だが感動した。
気持ちを封印しながら、美しい景色に面影を見て誰かを思っている、そんな姿は美しいなと思った。
そして、そんな誰かに出会えたことは、報われようがなかろうが、幸せなことだなと思った。
監督は「青い鳥」の中西健二。
前作に引き続きセリフはあまりなく静かな演出だが、今回は少しメジャーな作品だからか、ちょっと頑張りすぎてるような雰囲気は感じた。
もう少し、良いぐあいに変化してくれるんじゃないかと次回作にも期待。