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08.27.01:05 [PR] |
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05.27.09:23 糖尿じゃない? |
糖尿病にやせる糖尿病があると初めて知った。
こないだ、お昼の代わりにパウンドケーキを食べていたら4号が私に言った。
「糖尿病じゃない?」
え!
思ってもいなかったけど、いやいや・・・確かに3年前と比べて10kgやせてしまったこと、食べるけど体重が増えないこと、疲れやすい、動悸も少し、飴が出てくるとついつい手が出る、はちみつが好き、などなど。
でも去年健康診断受けたときには尿検査で何もなかった。。。
食べてもふとれないのは、昔から私の中で飼っている悪玉菌が私のごはんをバクバク食べてるからだと思う!
ちょっと気をつけてみる・・・
こないだ、お昼の代わりにパウンドケーキを食べていたら4号が私に言った。
「糖尿病じゃない?」
え!
思ってもいなかったけど、いやいや・・・確かに3年前と比べて10kgやせてしまったこと、食べるけど体重が増えないこと、疲れやすい、動悸も少し、飴が出てくるとついつい手が出る、はちみつが好き、などなど。
でも去年健康診断受けたときには尿検査で何もなかった。。。
食べてもふとれないのは、昔から私の中で飼っている悪玉菌が私のごはんをバクバク食べてるからだと思う!
ちょっと気をつけてみる・・・
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05.26.01:25 コリントの信徒への手紙 13章 ~愛のむきだし~ |
『 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、鏡と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。』
ヨーコがユウに語ったところ。
すごく好きだった言葉。
ユウのヨーコへの気持ちに嘘はないとしても、彼の行為は愛情の押し付けでしかない。
新興宗教から彼女を救うため、だとしても。
考え方がとても難しい。
私は太陽や月や山や海などの自然にたいしての畏れや畏敬の気持ちは持っているが、それを語る人間の誰かを信仰はしない。
しかし、それをやったことで自分の苦しみから解き放たれたり、救われた、という人に対してどうこう言うつもりもないし、私や私の周りに迷惑がかからない限りはその人もその宗教もそのままで良いと思っている。
オウム真理教のように社会に対してテロ行為を行ったり、殺人を犯したり、ではない限り、(ごめんなさい、もし信仰している方がいたら申し訳ない)創価学会だって立派な新興宗教で、あからさまな勧誘行為だってやっているし、入会して、今まで家にあった仏壇や位牌を捨て、学会のための仏壇を買ったり、などという家族もいる。
話が横道にそれたように思うが、「愛のむきだし」という作品について考えたとき、「カルト的宗教」というものを絡めず物語を作ったらどうだったのだろう?と、ふと考えた。
今はまだ頭の整理がついていないので、また、そのうち。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、鏡と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。』
すごく好きだった言葉。
ユウのヨーコへの気持ちに嘘はないとしても、彼の行為は愛情の押し付けでしかない。
新興宗教から彼女を救うため、だとしても。
考え方がとても難しい。
私は太陽や月や山や海などの自然にたいしての畏れや畏敬の気持ちは持っているが、それを語る人間の誰かを信仰はしない。
しかし、それをやったことで自分の苦しみから解き放たれたり、救われた、という人に対してどうこう言うつもりもないし、私や私の周りに迷惑がかからない限りはその人もその宗教もそのままで良いと思っている。
オウム真理教のように社会に対してテロ行為を行ったり、殺人を犯したり、ではない限り、(ごめんなさい、もし信仰している方がいたら申し訳ない)創価学会だって立派な新興宗教で、あからさまな勧誘行為だってやっているし、入会して、今まで家にあった仏壇や位牌を捨て、学会のための仏壇を買ったり、などという家族もいる。
話が横道にそれたように思うが、「愛のむきだし」という作品について考えたとき、「カルト的宗教」というものを絡めず物語を作ったらどうだったのだろう?と、ふと考えた。
今はまだ頭の整理がついていないので、また、そのうち。
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05.25.00:26 最後に帰る場所 |
「あなたが、最後に帰る場所は、どこですか」
『井上雄彦 最後のマンガ展』のチラシコピー。
それを読んで4号が、
「堀切峠・・・ほら、はまゆうが咲いていて・・・」と言った。
彼女は宮崎の人だけど、熊本に家を建てているので、その言葉を聞きながら切ないなぁ・・・と思った。
そういえば私が東京にいたころ、車で10分も走れば海に辿り着く宮崎に、どれだけ帰りたかったか思い出した。
不勉強だが宮本武蔵がどんなひとなのか知らない。
だから今回の展覧会での、『井上雄彦の宮本武蔵』でしかないのだけれど、武蔵というよりも一人の、死ぬまで剣の道を行き、強くなりたいと願った人、として私の中に入ってきた。
強くなりたい。
どれほどそう願っているだろう。
力、心、強くなれたらどんなに良いだろう。
どんな出来事にも気持ちにも揺れずに生きていけたら、どんなに良いだろう。
しかし本当のところは彼も気づいていたとおり、ありのままの自分を受け入れることが強さなのだと思う。
天井までの大きな絵の中に一羽の鳥が飛んでいた。
その横には、高く高く飛ぶ二羽の鳥がいた。
もう一羽は誰か?ではない。
あれは自分自身全ての姿だろうと感じた。
その絵は水墨画のようでもあり、マンガのようでもあったけれど、一羽の孤高の鳥が二羽になって飛んでいる風景画は、優しくて厳しくて、とても美しかった。
傷つくことを恐れないとか、ありのままでいいとか、そんな気持ちはとても大切にしているけれど、そんな大それたことできているかというとそうでもないし、また、そうすることで失うことも多いわけで、それを救ってくれるのがそれまでの潔い生き方への誇り、なのだと思う。
様々な人々に出会って気持ちが揺れても、自分の中にある芯だけは揺れないから傷つく。
これでいいんだろうか?
間違ってないだろうか?
と、自分に問いながら生きている人は素敵だ。
そして、人生の最後に浮かべる風景は、やはり私も大きな海だと思う。
『井上雄彦 最後のマンガ展』のチラシコピー。
それを読んで4号が、
「堀切峠・・・ほら、はまゆうが咲いていて・・・」と言った。
そういえば私が東京にいたころ、車で10分も走れば海に辿り着く宮崎に、どれだけ帰りたかったか思い出した。
不勉強だが宮本武蔵がどんなひとなのか知らない。
だから今回の展覧会での、『井上雄彦の宮本武蔵』でしかないのだけれど、武蔵というよりも一人の、死ぬまで剣の道を行き、強くなりたいと願った人、として私の中に入ってきた。
強くなりたい。
どれほどそう願っているだろう。
力、心、強くなれたらどんなに良いだろう。
どんな出来事にも気持ちにも揺れずに生きていけたら、どんなに良いだろう。
しかし本当のところは彼も気づいていたとおり、ありのままの自分を受け入れることが強さなのだと思う。
天井までの大きな絵の中に一羽の鳥が飛んでいた。
その横には、高く高く飛ぶ二羽の鳥がいた。
もう一羽は誰か?ではない。
あれは自分自身全ての姿だろうと感じた。
その絵は水墨画のようでもあり、マンガのようでもあったけれど、一羽の孤高の鳥が二羽になって飛んでいる風景画は、優しくて厳しくて、とても美しかった。
様々な人々に出会って気持ちが揺れても、自分の中にある芯だけは揺れないから傷つく。
これでいいんだろうか?
間違ってないだろうか?
と、自分に問いながら生きている人は素敵だ。
そして、人生の最後に浮かべる風景は、やはり私も大きな海だと思う。
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05.24.11:14 愛のむきだし ~映画~ |
パワーはあった。
出演者たちにも演出にもセリフにも、あと上映時間にも。
ただし、これを言ってはおしまいだが、映画に勝る経験をしてしまうと、特にこのような作品の場合、演出が面白ければ面白いほど、出演者が熱演すればするほど、少しも琴線に触れなかった。
疲れただけ。
実話に基づく、というテロップが出たが、映画はしょせんフィクション。
ドキュメンタリーであっても、作品になる以上は監督の気持ちによって少なからず演出の部分が入るのは否めないだろう。
ネタバレします。
神父としての自分自身が犯した淫行、という罪。
結局はそれに報いてもらえなかったことに傷つき、腹いせのように、息子に懺悔を求める父。
そんな父のために罪を作って懺悔する息子のユウ。
懺悔し、時には殴られることで親子の絆を確かめている。
罪は盗撮。
彼はスゴ腕の盗撮師になっていた。
ユウが求めているのは幼いころの記憶にある母のような、マリア。
ある意図により、彼は街で不良に絡まれている少女と出会う。
少女はヨーコ。
彼女は幼い頃から女にだらしのない父に虐待され、そのため男性全体を憎んでいる。
たまたま仲間たちとの遊びで女装していたユウに、ヨーコは恋心を抱く。
ある意図を仕組んだのがコイケ。
彼女も幼いころから父親に虐待されながら育っていた。
たぶん性的な虐待も受けていたのではないか。
他人との関係性をまともに作れず、もちろん男性に対しては媚と擬態で冷たくやりすごしている。
そんな彼女は新興宗教の幹部で、地区の教会であるユウの家族を取り込み、信者拡大に利用しようとしていた。
この作品は何が疲れる、といって一番疲れるのは「その人がそうなった理由」を一から十まで出すこと。
だからヨーコが女装したユウに恋したときも、「男嫌いだから女を好きになる」という、中学生のような理由を見せられウンザリした。
だいたい街で、いい女にいきなり「あなた可愛いわ」とキスされたからといって、恋してる!恋人同士だなんて言ってる場面ではヨーコの精神的幼さを表している。
ただ、女性に恋したヨーコに恋しているユウ、という構図が彼がヨーコにしか勃起せず、それを彼女が毛嫌いしていて・・・という伏線になる。
洗脳されたヨーコを海辺に監禁した彼を見つけたコイケたち。
ヨーコに勃起してしまったユウの男性器を、切り落としてしまえ!とヨーコに言うコイケ。
ユウは「君をみたらつい勃ってしまう・・・ごめん」と言うが、そこで決して「切ってもいい」と言わないのはなぜか?
ヨーコは男が嫌いなのに。
新興宗教本部に乗り込んだユウがみたもの。
それは父と父の恋人と、ヨーコとコイケが家族のように団欒して鍋をつついている姿。
なーんだ、結局コイケも「家族なんかいらない」と言っていたヨーコも、家族が欲しかっただけじゃん。
偽りであったとしても。
その団欒の姿を見せるための彼女らの生い立ちであったならば、とても単純なことをとても時間をかけて見せられたことになる。
どうなんだろう・・・
そしてラスト。
精神病院に入っていたユウをヨーコが訪ね、今まで誰より愛してくれたのは彼であったことに気付いた、と告げる。
ユウは正気になり、再び勃起し、ふたりはお互いの手をしっかりと握りあう・・・
なーんだ、結局、普通の少女がある時期男性嫌悪に陥って、学校の先輩なんかに憧れてウキウキしてたけど、最後は男の子と恋愛できた、ということか?
そこに虐待だの盗撮だの宗教だの変態だの同性愛だの殺人だの情けない男と女だの、そういうエッセンスをちりばめたのか?
愛している!愛している!愛している!
愛して!愛して!愛して!
君じゃなきゃだめだ!
愛、愛、愛・・・・・
疲れた・・・
出演者たちが熱演だった。
満島ひかり、西島隆弘、安藤サクラ。
特に安藤サクラ。
二度と会いたいとは思わない顔だけど、本当にすごかった。
今は時間がなくて書けないけれど、ヨーコが読んだ聖書の一節は素敵で。
あとで書いて考えてみる。
疲れてなければ。
出演者たちにも演出にもセリフにも、あと上映時間にも。
ただし、これを言ってはおしまいだが、映画に勝る経験をしてしまうと、特にこのような作品の場合、演出が面白ければ面白いほど、出演者が熱演すればするほど、少しも琴線に触れなかった。
疲れただけ。
ドキュメンタリーであっても、作品になる以上は監督の気持ちによって少なからず演出の部分が入るのは否めないだろう。
ネタバレします。
神父としての自分自身が犯した淫行、という罪。
結局はそれに報いてもらえなかったことに傷つき、腹いせのように、息子に懺悔を求める父。
そんな父のために罪を作って懺悔する息子のユウ。
懺悔し、時には殴られることで親子の絆を確かめている。
罪は盗撮。
彼はスゴ腕の盗撮師になっていた。
ユウが求めているのは幼いころの記憶にある母のような、マリア。
ある意図により、彼は街で不良に絡まれている少女と出会う。
少女はヨーコ。
彼女は幼い頃から女にだらしのない父に虐待され、そのため男性全体を憎んでいる。
たまたま仲間たちとの遊びで女装していたユウに、ヨーコは恋心を抱く。
ある意図を仕組んだのがコイケ。
彼女も幼いころから父親に虐待されながら育っていた。
たぶん性的な虐待も受けていたのではないか。
他人との関係性をまともに作れず、もちろん男性に対しては媚と擬態で冷たくやりすごしている。
そんな彼女は新興宗教の幹部で、地区の教会であるユウの家族を取り込み、信者拡大に利用しようとしていた。
この作品は何が疲れる、といって一番疲れるのは「その人がそうなった理由」を一から十まで出すこと。
だからヨーコが女装したユウに恋したときも、「男嫌いだから女を好きになる」という、中学生のような理由を見せられウンザリした。
だいたい街で、いい女にいきなり「あなた可愛いわ」とキスされたからといって、恋してる!恋人同士だなんて言ってる場面ではヨーコの精神的幼さを表している。
ただ、女性に恋したヨーコに恋しているユウ、という構図が彼がヨーコにしか勃起せず、それを彼女が毛嫌いしていて・・・という伏線になる。
洗脳されたヨーコを海辺に監禁した彼を見つけたコイケたち。
ヨーコに勃起してしまったユウの男性器を、切り落としてしまえ!とヨーコに言うコイケ。
ユウは「君をみたらつい勃ってしまう・・・ごめん」と言うが、そこで決して「切ってもいい」と言わないのはなぜか?
ヨーコは男が嫌いなのに。
新興宗教本部に乗り込んだユウがみたもの。
それは父と父の恋人と、ヨーコとコイケが家族のように団欒して鍋をつついている姿。
なーんだ、結局コイケも「家族なんかいらない」と言っていたヨーコも、家族が欲しかっただけじゃん。
偽りであったとしても。
その団欒の姿を見せるための彼女らの生い立ちであったならば、とても単純なことをとても時間をかけて見せられたことになる。
どうなんだろう・・・
そしてラスト。
精神病院に入っていたユウをヨーコが訪ね、今まで誰より愛してくれたのは彼であったことに気付いた、と告げる。
ユウは正気になり、再び勃起し、ふたりはお互いの手をしっかりと握りあう・・・
なーんだ、結局、普通の少女がある時期男性嫌悪に陥って、学校の先輩なんかに憧れてウキウキしてたけど、最後は男の子と恋愛できた、ということか?
そこに虐待だの盗撮だの宗教だの変態だの同性愛だの殺人だの情けない男と女だの、そういうエッセンスをちりばめたのか?
愛している!愛している!愛している!
愛して!愛して!愛して!
君じゃなきゃだめだ!
愛、愛、愛・・・・・
疲れた・・・
出演者たちが熱演だった。
満島ひかり、西島隆弘、安藤サクラ。
特に安藤サクラ。
二度と会いたいとは思わない顔だけど、本当にすごかった。
今は時間がなくて書けないけれど、ヨーコが読んだ聖書の一節は素敵で。
あとで書いて考えてみる。
疲れてなければ。
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05.24.00:55 ぎゅってしてくれた |
『愛のむきだし』を観る、というのが一応メインだった今回の小旅行。
けど、それ以外の全部にすごく感動させられた。
むきだしが悪い、というわけではないですけど・・・
出発が金曜日。
ETC割引を活用しようと、平日17:00~20:00の通勤割引50%offというのを使った。
少しでも安くするためにえびのICから乗ったけど、益城熊本空港ICまで1,350円でした。
アーンド、はははーーーー!
1時間ちょっとで着きましたよー!熊本市内♪
9時少し前に到着。
父の行きつけのお店は閉店時間過ぎているというのに料理を作ってくれ、本当に美味しかったし嬉しかった。
財布を忘れた父の代わりに、ちゃんと私が払った・・・・・・・・やられた。
でもめちゃめちゃ安くしてくれた。
熊本へお越しの際は大江の『緑亭』をよろしく!
11時ぐらいにホテルに着き、じゃらんネットで格安予約した部屋の素敵さに感激し、それはそれはのびのびと、ひとりでゆっっっっっくりした時間を過ごしたのでした。
久しぶりに12時前に寝た。
とりあえず日中は街にいるため、車を父のところに置かせてもらう。
父の住んでいるところはダイエーの側で、シネコンは近いし電車の停留所はソバだし、街中にも近いし便利なのです。
駐車場代が浮いた・・・・・助かったー。
『スラムダンク』『バガボンド』の作者、井上雄彦展。
全編書き下ろし、というこの作品展は彼の宮本武蔵観、彼の武蔵の心の旅。
最初の3枚、武蔵の立ち姿と鳥、風景、それらを見ていたら無条件に感動した。
孤高の人、弧高の鳥、そして弧高の2羽の鳥。
なんて潔い。
そこで涙線を開いてしまったので、そこからあとはとめどなかった。
涙線が開いてしまったのにはもうひとつ、会いたかった友だちが一緒だったから。
超美人の4号。
私は45、彼女は4号。
名前が同じなのです。
相変わらず綺麗で、品があって、ちゃんとしてて、面白くて、子どものようなのに大人で、彼女の職場の愚痴なんか聞いていても、腹を立てている程度が高いから楽しい。
なーんか甘えさせてくれるし、居心地いい。
井上展が良すぎて、映画なんかもういいか!このまま4号とおしゃべりしてたほうが・・・なんて誘惑にもかられたが、やはりせっかく来たので観なきゃね、むきだし・・・・・・・・・。
DENKIKANの前でふたりで泣きながら抱きあって、大丈夫、、、大丈夫、と言い合って、思い切り後ろ髪引かれながら観た『愛のむきだし』。
うーーーーーーーーん、確かにスゴい、けど・・・正直な気持ちを言うともっと4号と一緒にいたかった。
映画の詳細はまたのちほど。

けど、それ以外の全部にすごく感動させられた。
むきだしが悪い、というわけではないですけど・・・
ETC割引を活用しようと、平日17:00~20:00の通勤割引50%offというのを使った。
少しでも安くするためにえびのICから乗ったけど、益城熊本空港ICまで1,350円でした。
アーンド、はははーーーー!
1時間ちょっとで着きましたよー!熊本市内♪
9時少し前に到着。
父の行きつけのお店は閉店時間過ぎているというのに料理を作ってくれ、本当に美味しかったし嬉しかった。
財布を忘れた父の代わりに、ちゃんと私が払った・・・・・・・・やられた。
でもめちゃめちゃ安くしてくれた。
熊本へお越しの際は大江の『緑亭』をよろしく!
11時ぐらいにホテルに着き、じゃらんネットで格安予約した部屋の素敵さに感激し、それはそれはのびのびと、ひとりでゆっっっっっくりした時間を過ごしたのでした。
久しぶりに12時前に寝た。
とりあえず日中は街にいるため、車を父のところに置かせてもらう。
父の住んでいるところはダイエーの側で、シネコンは近いし電車の停留所はソバだし、街中にも近いし便利なのです。
駐車場代が浮いた・・・・・助かったー。
全編書き下ろし、というこの作品展は彼の宮本武蔵観、彼の武蔵の心の旅。
最初の3枚、武蔵の立ち姿と鳥、風景、それらを見ていたら無条件に感動した。
孤高の人、弧高の鳥、そして弧高の2羽の鳥。
なんて潔い。
そこで涙線を開いてしまったので、そこからあとはとめどなかった。
涙線が開いてしまったのにはもうひとつ、会いたかった友だちが一緒だったから。
超美人の4号。
私は45、彼女は4号。
名前が同じなのです。
相変わらず綺麗で、品があって、ちゃんとしてて、面白くて、子どものようなのに大人で、彼女の職場の愚痴なんか聞いていても、腹を立てている程度が高いから楽しい。
なーんか甘えさせてくれるし、居心地いい。
井上展が良すぎて、映画なんかもういいか!このまま4号とおしゃべりしてたほうが・・・なんて誘惑にもかられたが、やはりせっかく来たので観なきゃね、むきだし・・・・・・・・・。
DENKIKANの前でふたりで泣きながら抱きあって、大丈夫、、、大丈夫、と言い合って、思い切り後ろ髪引かれながら観た『愛のむきだし』。
うーーーーーーーーん、確かにスゴい、けど・・・正直な気持ちを言うともっと4号と一緒にいたかった。
映画の詳細はまたのちほど。