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09.10.01:08 [PR] |
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03.19.23:43 あたしのジョー |
あのうつむいた笑顔、横顔、そして何より彼のストイックな生き方が好き。
彼の怖いほどのストイックさに白木葉子も惹かれたのだと思う。
白木葉子も丈と同じような人だ。
ただ、丈よりも少し大人だったから恋した。
いま、カートゥーンネットワークで「あしたのジョー2」をやっている。
中学生の頃、これで丈に恋した。
いつもなら鉄郎よりメーテル、キャプテン・ハーロックよりエメラルダスが好きな私だが、ジョーだけは違う。
確かに白木葉子も好きだけど、葉子よりもジョー!
何がいい、と言ってとにかくジョーは戦った相手に対しての責任感がすごい。
力石は別格で、廃人になったカーロスには「この程度の相手に時間かけてたんじゃ、カーロスに悪いじゃねぇか」と格下相手の試合も全力投球。
西の引退スパーリングでは「わかってらぁ、こんなもんで倒れてたんじゃお前の言う、誇りってやつに申し訳ねぇ」と、ここでもまた全力投球。
舞舞を武器にジョーを苦しめた金竜飛との試合では「おまえは食べれなかったが、力石は食べなかったんだ。俺はそんなすごい奴を知ってたんだ」と、気力で戦い東洋太平洋チャンピオンに輝く。
そして言う「力石よ・・・おまえのくれたチャンピオンベルトだぜ」。
いったんヤクザの用心棒に落ちぶれたウルフ金串が、お金を貸してくれと言いに来る。
ジョーは二つ返事で貸してやる、もちろん、期日には返しに来ない。
それでもジョーは金串を信じている。
信じているというよりも、自分が顎を砕いてボクシング人生を終わらせてしまった相手に対して、贖罪の気持ちを持っているから。
まだ成長期だったジョーが、減量がきつくなり、階級を上げろと言う段平には「バンタムはウルフがいて、カーロスがいて、あの力石が命を削ってまでおりてきたんだ!」と死ぬ思いで減量をする。
同じような主人公には「愛と誠」の太賀誠がいるのだが、実はジョーよりも原作者の梶原一騎先生が好きなんだと思う。
だって全部、彼の言葉なんだもん。。。
ずいぶん前に亡くなっているが、一度お会いしたかった。
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03.17.17:11 ちゃんと、ちゃんと |
作者の吉田まゆみが松任谷由美と大江千里の大ファンだったこともあり、ユーミンは網羅していた私は「普通だったら絶対聴かない」大江千里も聴いてみた。
『REAL』の歌詞にはハマったので、ひとりのドライブ時にこっそり聴いていた。
ありのままに生きるのは難しい、とは実感しているけれど、ちゃんと生きるのは大事だと思う。
私は少なからず誰かを傷つけながら生きているけど、その分誰かからも傷つけられながら生きている。
迷惑もかけるしかけられる。
そしてちょっとずつ感謝の気持ちも返してもらってるし返してる。
誰もが同じように生きているんだろう、そう思う。
中には「イメージすること」がとても苦手な人もいる。
人の中で生活するうえで、「イメージすること」はすごく重要だ。
これを言えばこうなるかも、これをするとこうなるかも、と考えることができれば、最悪の場合から逃れられることもあるだろう。
たとえば「今が大事」という言葉には、ふたつ、意味がある。
今、このときを大切にしなければ、この先二度とない時間なのだから、という意味。
または、今だけ良ければいい、先のことなどどうでもいい、という意味。
前者の場合は未来を見越した気持ちだが、後者の場合は実に刹那的な気持ち。
絶対にやらないとは言わないが、必ず後者だと後悔するので、余程投げやりな時でなければやらない。
前者は判っていてもできないときがある。
また会えるからいいや、また次でいいや、とか、つい「絶対」などという言葉を信じてしまったとき。
イメージできる人には、もう二度とないこのときを大切に生きることができるのだろう。
できてるつもりだけど甘い。
何十年ぶりかに私より甘い人に地獄に堕ちろ!並の酷い言葉を言ってしまった。
ちゃんと生きなきゃと思って、ちゃんとをコツコツ貯めるのに、どうして失う時は早いのか。
皆、危ういバランスの中で生きていると思っていたけれど、ほんとにジェンガのようだ。
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03.14.00:08 コルテオ |
弟が死にかけている。
彼が目を覚ましたら、帰ってきたら、話してやろう。
私がどんなにどうしようもない人間か。
ノートに綴る私の言葉を、いつも暗いと彼は笑っていたけれど、
私は生きている。
太宰は好きではないけれど、「恥の多い人生をおくってきました」
それは私も同じ。
私がどれだけ貴方になりたがったか、
私が貴方ならどんなにいいだろうと
どれだけ願っていたか。
貴方は両親の愛も祖母の愛も周りの大人たちの称賛もすべて受けて育ってきた。
私が貴方をどれだけ羨んでいたか。
本当はライバルになりたかったけれど、
最初からあきらめて、私は開き直って生きてきた。
貴方は違った。
帰っておいで。
いま見ているものは幻です。
だけど疲れているから深く眠って、ゆっくりと
そしてどうか帰ってきてください。
彼が目を覚ましたら、帰ってきたら、話してやろう。
私がどんなにどうしようもない人間か。
ノートに綴る私の言葉を、いつも暗いと彼は笑っていたけれど、
私は生きている。
太宰は好きではないけれど、「恥の多い人生をおくってきました」
それは私も同じ。
私がどれだけ貴方になりたがったか、
私が貴方ならどんなにいいだろうと
どれだけ願っていたか。
貴方は両親の愛も祖母の愛も周りの大人たちの称賛もすべて受けて育ってきた。
私が貴方をどれだけ羨んでいたか。
本当はライバルになりたかったけれど、
最初からあきらめて、私は開き直って生きてきた。
貴方は違った。
帰っておいで。
いま見ているものは幻です。
だけど疲れているから深く眠って、ゆっくりと
そしてどうか帰ってきてください。
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03.12.11:43 永遠の野原 |
「なぜあの人を好きになったの?」
恋してる人へその質問があまりに愚かしいことを、本当に恋したことがあればわかる。
ただし「あんなヤツのどこがいいんだ!私の方がよっぽどいいじゃん!」と愚痴るのは許す。
私はしょっちゅう言ってる。
舞台はイギリス。
ひとりの青年弁護士が旅の途中で出会った少女。
緑が美しい田舎の景色の中、カモシカのように黒く純粋な瞳をした少女がいた。
洗練された都会暮らしの青年には、きっと美しい風景の一部のように見えたにちがいない。
野性児のように長くおろした豊かな髪も、青年に向ける恥じらいのある瞳も、そして何よりもまっすぐに好きだと伝わる微笑みも。
青年と少女は一目で恋におちる。
理由などない。
恋に巡り合うなどそうそうありはしない、「する」のではなく「落ちる」のだから、恋はいつだって一目ぼれだ。
ふたりは束の間激しく愛し合う。
干し草の上で、野原で、川で、大きく葉を広げる木の下で。
私たちは、彼らの恋に幸せな未来がないことを知っている。
現在でも階級制度のあるイギリス、100年前が舞台の物語でロンドンに住む弁護士と農家の少女が結ばれるはずがない。
ふたりは駆け落ちの約束をし、青年は少女を迎えに来るから、と村をあとにする。
約束の日、いくら待っても来ない彼を探しに海辺の避暑地を訪ねる少女。
砂浜で自分と同じ上流階級の娘と語らっていた青年は、野暮な服を着て、ズロースのまま波間に足をつけている少女を見つける。
彼は声をかけられず少女のあとをつけていく。
彼女に感じていた気持ちに偽りはない。
約束の場所に行けなかったのも、お金を下ろせずに汽車に乗り遅れたから。
ただ彼もまだ幼く、誰かを本当に愛するということに気づいていなかった。
だから「身分違いじゃないか?」という友人の言葉に揺れた。
振り向いた彼女に一瞬、青年の姿が見える。
しかし通りかかった大きな鏡に遮られ、彼の姿を見失う。
青年の姿は幻であったかのように消えている・・・
彼はその後友人の妹と結婚する。
しかし、いつだって胸の中でまぶしく思うのは、野原で洗濯物を干す少女の笑顔だった。
心の中はわかりすぎるほどわかっているのに、本当に欲しいのは誰か、わかっているのに誰もが冷静に現実を受け入れて生きる。
そして後悔とともに恋したあの人の笑顔だけがいつまでも胸を熱くする。
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03.11.00:48 ヘブンズ・ドア~映画~ |
~ラストに触れます~
雰囲気の良い映画だった。
主役のふたり、長瀬智也と福田麻由子がとても良かった。
長瀬智也の近頃の汚さぶりは残念に思っていたのに、この作品での彼は汚いけど可愛いかった。
汚いけど王子さまのようで、汚いけど笑顔全体が憎らしいほど愛おしかった。
きっとほんとうに良い人なんだろう。
この役を妻夫木なんかがやっていたら、本気で嫌味だったろうと思う。
福田麻由子は上手だ。
「下妻物語」でも、ライバル志田未来と共演していた「女王の教室」でも、彼女は良かった。
口元で演技できる人だ。
間違っても広末涼子のように肩をすぼめて照れ笑い、なんて品のないことはしないと思う、たぶん。
映画を観ている間、あ、この場面はあの映画のシーンだ!と思うところが何箇所もあり、それがとてもさりげなかった。
さりげなさすぎて、ほんとにそうだろうか、たまたまじゃなかったのか、と思っていた。
家に帰って映画サークルのHPに感想を書いて、ネットで検索するまでこの作品がリメイクだということを知らなかった。
もとになった作品が様々な映画のシーンを引用しているらしい。
なるほど・・・
また、脇やエキストラ風の役回りに有名どころの俳優たちが出演しているのも面白かった。
画面の中でピントが合ってないような、通行人A・Bみたいな役。
今年はまだピン!とくる邦画に会ってなかったが、この作品は印象に残った。
ダメな長瀬だけど、少女に夕焼けが映る海を見せた。
私にはできなかった。
思い出して鼻がツンとした。
主役のふたり、長瀬智也と福田麻由子がとても良かった。
長瀬智也の近頃の汚さぶりは残念に思っていたのに、この作品での彼は汚いけど可愛いかった。
汚いけど王子さまのようで、汚いけど笑顔全体が憎らしいほど愛おしかった。
きっとほんとうに良い人なんだろう。
この役を妻夫木なんかがやっていたら、本気で嫌味だったろうと思う。
福田麻由子は上手だ。
「下妻物語」でも、ライバル志田未来と共演していた「女王の教室」でも、彼女は良かった。
口元で演技できる人だ。
間違っても広末涼子のように肩をすぼめて照れ笑い、なんて品のないことはしないと思う、たぶん。
さりげなさすぎて、ほんとにそうだろうか、たまたまじゃなかったのか、と思っていた。
家に帰って映画サークルのHPに感想を書いて、ネットで検索するまでこの作品がリメイクだということを知らなかった。
もとになった作品が様々な映画のシーンを引用しているらしい。
なるほど・・・
また、脇やエキストラ風の役回りに有名どころの俳優たちが出演しているのも面白かった。
画面の中でピントが合ってないような、通行人A・Bみたいな役。
今年はまだピン!とくる邦画に会ってなかったが、この作品は印象に残った。
ダメな長瀬だけど、少女に夕焼けが映る海を見せた。
私にはできなかった。
思い出して鼻がツンとした。