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  • 08/27/09:07

01.27.00:11

宮廷画家ゴヤは見た~映画~

goya.jpgこの邦題はいったい・・・・家政婦じゃないんだから。

確かにゴヤは見ていた。
街の人々を、王宮の人々を、そして天使のような少女を。
異端審問や魔女裁判の不条理さ、はこれまでにいつくもの作品になっているが、いつだっていたたまれない気持ちになる。
なぜなら、それがまず「こいつはクロだ」という結論から入るからだ。
そのいたたまれない気持ちにこの作品は初めてスッキリさせてくれた。

豚肉を食べなかったことをネタに、娘にユダヤ教徒だと告白させた神父を、その父が逆に拷問にかける。
体の痛みなど、神への真実の前には意味はない、我慢できる!と言い張っていた神父は、たった一度腕を縛り上げられただけで告白する。
「私はチンパンジーとオランウータンの間に生まれた私生児です」と・・・・・

goyas.jpgこの神父がハビエル・バルデム。
ひどく中身は俗物なのに立派に見せている哀れな男、あまりに俗物すぎて苦笑いがでる。
だけど上手、とても。
処刑される場面、彼のあの瞳には心が動いた。

ゴヤ役のステラン・スカルスガルド、私は彼「奇跡の海」から好きで、特に「ドッグヴィルの告白」でラース・フォン・トリアーに腹をたてているニコール・キッドマンをからかっている素の彼をみて本当に好きになった。
最近はハリウッド大作にも出るようになり、ちょっぴり残念。
今作のラスト、ナタリー・ポートマンの後を歩きながらついて行くシーン、すごく良かった。
決してハッピーエンドではないけれど、むしろ切なくて悲しいラストだけれど、私も彼の後姿に走ってついていきたかった。
あの大きな大きな背中があまりに悲しげで。

そして!ナタリー・ポートマン。
「レオン」以降でこの人を良いと感じた「クローサー」以来、とっても良かった。
拷問にかけられ、長い間地下の牢獄に閉じ込められ、体を壊し、精神も壊し、それでも自分を抱いた神父と、神父との子を一途に思う女。
熱演だった。


goyass.jpg私が娘を産んだ夜、一生忘れることのできない夢をふたつ見た。
ひとつは狭い穴の中からなんとかして外に這い出よう、とする夢。
それは私の古い記憶か、娘の体験したことを疑似体験したのだ、と信じている。

もうひとつは、股の間から後産の血をだらだら流しながら子どもを捜す女。
どこかの暗い街の中を、子どもがいない、子どもがいない、と。
あれは誰だったのか、何故あんな夢を見たのか、今でもわからない。
ただ、女たちが連れ去られた居酒屋で、そこに捨てられた赤ん坊を抱き上げたナタリー・ポートマンを見たとき、その夢を思い出した。

この作品のラストシーンは心に残る風景だった。
きついけど、良かった。
あんな戦いの中に生まれなくて本当に良かった。
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01.24.01:19

チェ 28歳の革命~映画~

キューバの革命家、チェ・ゲバラ。
彼の戦いの軌跡をスティーブン・ソダーバーグが淡々と描く。

GuerrilleroHeroico.jpgベニチオ・デル・トロが演じるチェ・ゲバラは、「カリスマ性溢れる革命家」らしくとても魅力的。
28歳には見えないけど。
ゲバラが国連で演説する姿と、ゲリラ戦を闘う姿が交互にあらわれながら物語が進んでいくが、演出がとても淡々としているので少し退屈ではある。
それに長い。
しかし、より良い祖国のために人々のより良い暮らしのために彼が信念をもって生きていたことが伝わってくる。

次が「39歳の手紙」。
はるぴーさんも言ってたけど、私も2部を観てからもう一度考えよう・・・
それにしてもチェ・ゲバラの男っぷりはいい。

01.22.00:23

ワールド・オブ・ライズを少し

bodyoflies.jpg2月に平原綾香のライブに行く。
なんとなくチケットをどこに置いたか判らなくなっていて、それに自分でハッキリ気付いたのが昨日だったのだが「ま、どこかにあるだろう」と、考えないようにしていた。

今朝、家の中のもろもろを済ませ、多分ここにあるだろう、と思っていた場所を見たが無い。
一瞬気持ちが凍りついたが、「気分が暗くなりそうだから映画にでも」と『ワールド・オブ・ライズ』を観に行った。

レオナルド・ディカプリオは大人になってからとてもイイ男になったと思う。
確かに子どもの頃の美しさを愛していた人たちには今の彼はどうしたもんか?と、思う人もいるかもしれない。
私は『ディパーテッド』を観て、初めてディカプリオを良いと感じた。
傷ついて、会いたい女性の家の前で座り込んでいた姿がとても素敵だった。
あれが子どもではなく、大人の彼だったから尚更愛おしく見えた。

それにしても今はとにかくアメリカはイラクなんだな。
敵は冷戦時代のソ連から、ちょこっとだけ中国を過ぎて、そしてイラクなんだな。
世界の中の問題は中東だけではなく、現ロシアの中にもある。
北朝鮮だって、中国だって、それにアジアの貧しい国の中にも。
だけど、CIAは中東のテロリストを監視することで世界を守っているのか・・・
昨日、私が見たニュースでガザの人々は泣いていたよ。
家を焼かれた、おばあちゃんが下敷きになった、子どもが死んだ、って。

作品自体はとても面白かったし、ドキドキしながら始まって終わる。
ディカプリオはいい男だし、ラッセル・クロウがこういう役づくりしてこんなクセのある役をやるのも嬉しかった。
悪くは無い。
しかし、これが私の天邪鬼なところだが、最後の最後で「誰がアメリカの言うなりになんかなるかっ!」とか「騙されないぞっ!」と、つい思ってしまう。
ラスト「もう、やだ!」な、デカプーのように。

彼ら、本当にテロリストの親玉をつかまえてしまえばOKだと思っているのかな。
それもこの作品のように、目的のためには手段を選ばず人の命などおかまいなし、なのに何の成果も得られない・・・・だとしたら酷い。
CIAなんて、ただの国際的なストーカー集団だ。
ということで、面白くは観たけど何だか解せん・・・というのがこの作品の感想。
hirahara.jpg


帰って大量のファイルを整理したらノートに挟まっていたよ、チケットが。
正直イラクよりデカプーより、平原綾香のチケット・・・
この人、美人ではないけどボディコントロールが美しいというか、背中の線が綺麗だなーと思っていたらバレエをやっていたらしい。

01.19.17:55

落下の王国~映画~

6aa98df6.jpeg「ザ・セル」のターセム監督作品。
実家のオレンジ収穫を手伝っているときに木から落ちて腕を骨折したアレクサンドリア。
彼女がたまたま覗いた病室には足を折ってベッドにいる青年ロイがいた。
彼は好奇心旺盛なアレクサンドリアに5人の勇者たちの物語を語って聞かせる。

人間の造った建造物の美しさ、様式美、それに「自然」の色あいの美が調和するとき、ああ・・・だからこそ神は人を罰したのだ、自分の領域に迫ろうとする人間たちを追い払ったのだ・・・と思わずにはおれない。
美しい、美しい、美しい。
人は決して神の領域に迫ろうとしたのではない、少しでもその中に存在したかったのだ。

映画製作には、「虚」をいかに「実」らしく見せるか?という永遠のテーマがあると思う。
現代はCGが発達し、どんな映像も作ることができる。
しかし、以前は己の体を使い、死と隣り合わせで演技していた。

大自然の中に自分たちの存在を知らしめようとした古代の英雄たち、または生活するために少しでも自然と調和するように街を造ってきた人々、「自然の中に最高の美がある」とした孤高の建築家アントニオ・ガウディの奇妙な建築物の数々。
それらは全て、言ってしまえば大自然の中に人間が作り上げた「虚構」である。
しかし、調和を求めている彼らの建造物は自然の中にあるからこそ美しい。

ターセム監督の美意識は独特だ。
この作品でも馬がとても重要な役割になっている(「ザ・セル」での輪切りになる馬のシーンは強烈だった)。
馬は神の乗り物である。
人が農耕をするうえで、なくてはならないものでもある。
または狩猟をするうえでも、古くは戦いをするうえでもなくてはならないものであった。
そんな神と人との関係を考えるうえでも矛盾した生き物である。
矛盾した人、馬、それらがあますところなく美しく演出される。

難しいことばかりを言ってきたが、ラストのシンプルさに涙が溢れた。
なーんだ、私って映画が好き、ただそれだけじゃん!

見事な作品だった。

01.10.17:16

殺人よりも観たいのは・・・

aoitaiken.jpg幼い頃には「なんとか曜日映画劇場」「なんとか曜日ロードショー」、という劇場公開から少し冷めた時期の作品をテレビで放映する番組がたくさんあった。
タイトルはなぜか曜日が入っている。
決して「奥さま映画劇場」とか「昼どき映画劇場」ではない。
書いてみて、曜日以外だとちょっとヤラシい感じがすることに気が付いた・・・・

私の田舎では「月曜ロードショー」「ゴールデン洋画劇場」「日曜ロードショー」という3つの映画番組があった。
「日曜ロードショー」というのは水野晴郎さんの「水曜ロードショー」を曜日と名前を代えて私たちの民放用に使っていたのだと思う。
その「日曜ロードショー」で特に、『好奇心』『青い体験』『続・青い体験』などの青春時代の性愛への憧れをテーマにした作品が放映されていた。

日曜のお昼のお茶の間で、祖母や父と弟とそのような作品を観る緊張感は何ともいいがたい。
まるで、可愛い同級生や年上の女性のスカートの中を覗き見る、若い男子のようである。
大人たちも気まずそうな雰囲気で。
私はそんな風に性愛のことを知っていった。

deathnote.jpg近頃のテレビで放映する映画作品。
夕べは「デス・ノート ザ・ラスト・ネーム」。
家族みんなで楽しみましょう、ということなのだろうか?
「三丁目の夕日」と同じレベルで家族で語ることができる、ということなのか。
わからん・・・内容としては十分、どこか病んでいるように私は思う。

そういう内容の作品を放映したらいかーん!と言っているのではない。
テレビ局が映画製作に関わっているので放映するのは仕方ない。
放映する作品が何となく「お茶の間でも安心して観ることができますよ」みたいな雰囲気になっている。
なのに「戸田恵梨香が股を開いた縛迫場面のあるゲーム感覚で殺人が行えるノート」の映画である。
そんなものより『青い体験』である。
月曜ロードショーで盗み観た『エマニエル夫人』である。

emanu.jpg殺人より大らかなセックスだと思う。
どーすればあいつを殺せるか?と考えるよりも、どーすればあの人の裸が見られるか?どーすれば愛し合えるかーーー?と考えるほうがよいではないか。
まさか殺人を語るほうが、セックスを語るよりも語りやすい・・・などと思っていたらどうだろう?

番組編成として、毎週確定の映画枠ではないからそうなるのかもしれない。
ならば親には「早く寝なさい!」と言われながらも二階のテレビで一階の音を伺いながら『エマニエル夫人』をみる・・・・という冒険は無理か・・・・
選ぶ基準がちょっと変。
楽しいのに。