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08.27.15:30 [PR] |
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01.03.18:05 ブラインドネス~映画~ |
ーネタバレしてますー
極限状態の人間たち、それらを導くものは?
突然視力を失った人々。
政府は伝染病だと判断し、彼らをひとつの建物に隔離する。
単に「隔離」された彼らは劣悪な環境でそれぞれのグループにわかれ、力を誇示し、食料で他を支配しようとする。
その中でたったひとりだけ視力に何の問題もないのがジュリアン・ムーア。
彼女の夫は眼科医で、最初の患者(伊勢谷友介)を看た翌日に発症し、隔離されていく夫に目が見えないフリをしてついてきたのだ。
視力を失った者たちは「真っ白になって何も見えない」と言う。
ならば盲人ではない、と眼科医は言った。
闇の中にいるのではない、と。
彼らに景色は見えないが、光の中にいる。
闇の中にいて何も見えないこと、光に目がくらんで何も見えないこと、そのふたつとも聖書のお話にある。
そのふたつを導くものはイエス・キリストの光である・・・・と。
ならば、たったひとり視力を持っているジュリアン・ムーアは、えせキリストなのだろうか。
視力のない者たちの世話をし、自信を失いかけた夫が別の女性を抱く姿を見ようとも、暴君と化したガエル・ガルシア・ベルナルに犯されようとも、仲間を殺されようとも受け入れている。
が、本物の盲人が今までの「盲人としての誇り」を失った姿を見た彼女は、「光に目のくらんだ」盲人であるガエル・ガルシア・ベルナルを殺しに行く。
ラスト、自分以外全て視力を失った街に仲間を連れて行く彼女。
ショッピングセンターで食料を調達し、皆を自宅につれていき、お風呂に入り、食卓を囲む。
そこにあるのは紛れも無く人類愛と呼べそうな、優しい時間であった。
翌日、他のものたちは視力を回復し、ひとり、彼女だけが視力を失う。
それは今までの彼女の罪への贖罪、大勢の人間たちの罪の贖罪なのだろうか?
作品自体にはものすごく強引な感じを受けました。
テーマもとても宗教的なので、日本人にはなかなか理解しづらい雰囲気です。
「人間の欲望」だけではないように思いました。
展開として、これはありえんやろ!とつっこみたくなる部分が多い。
しかし、テンポが良いのと、ジュリアン・ムーアが上手なので、ドキドキしながら最後まで観ることができます。
最後にどういう着地点が用意されているんだろう?と、ワクワクさせてくれました。
木村佳乃はもう少し出番が欲しいところ。
この人はもったいないです。
悪くないのに作品に恵まれてない。
頑張りどころを間違ってる気がします。
この作品ではもう少し出番があれば印象に残ったでしょうね。
期待してます!
極限状態の人間たち、それらを導くものは?
突然視力を失った人々。
政府は伝染病だと判断し、彼らをひとつの建物に隔離する。
単に「隔離」された彼らは劣悪な環境でそれぞれのグループにわかれ、力を誇示し、食料で他を支配しようとする。
その中でたったひとりだけ視力に何の問題もないのがジュリアン・ムーア。
彼女の夫は眼科医で、最初の患者(伊勢谷友介)を看た翌日に発症し、隔離されていく夫に目が見えないフリをしてついてきたのだ。
視力を失った者たちは「真っ白になって何も見えない」と言う。
ならば盲人ではない、と眼科医は言った。
闇の中にいるのではない、と。
彼らに景色は見えないが、光の中にいる。
闇の中にいて何も見えないこと、光に目がくらんで何も見えないこと、そのふたつとも聖書のお話にある。
そのふたつを導くものはイエス・キリストの光である・・・・と。
ならば、たったひとり視力を持っているジュリアン・ムーアは、えせキリストなのだろうか。
視力のない者たちの世話をし、自信を失いかけた夫が別の女性を抱く姿を見ようとも、暴君と化したガエル・ガルシア・ベルナルに犯されようとも、仲間を殺されようとも受け入れている。
が、本物の盲人が今までの「盲人としての誇り」を失った姿を見た彼女は、「光に目のくらんだ」盲人であるガエル・ガルシア・ベルナルを殺しに行く。
ショッピングセンターで食料を調達し、皆を自宅につれていき、お風呂に入り、食卓を囲む。
そこにあるのは紛れも無く人類愛と呼べそうな、優しい時間であった。
翌日、他のものたちは視力を回復し、ひとり、彼女だけが視力を失う。
それは今までの彼女の罪への贖罪、大勢の人間たちの罪の贖罪なのだろうか?
作品自体にはものすごく強引な感じを受けました。
テーマもとても宗教的なので、日本人にはなかなか理解しづらい雰囲気です。
「人間の欲望」だけではないように思いました。
展開として、これはありえんやろ!とつっこみたくなる部分が多い。
しかし、テンポが良いのと、ジュリアン・ムーアが上手なので、ドキドキしながら最後まで観ることができます。
最後にどういう着地点が用意されているんだろう?と、ワクワクさせてくれました。
木村佳乃はもう少し出番が欲しいところ。
この人はもったいないです。
悪くないのに作品に恵まれてない。
頑張りどころを間違ってる気がします。
この作品ではもう少し出番があれば印象に残ったでしょうね。
期待してます!
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12.19.08:55 バベル~映画~ |
人間が神に近づこうとした愚かさ、を表したバベルの塔。
そのため神は人間の言語をバラバラにしてしまった、らしい。
で、日本ではコピーにもそのエピソードが使われているのだが、それだけではなく人間が犯した罪、についての作品ではないか。
冒頭のモロッコの羊飼いの兄弟は、まさにカインとアベルや聖書で言うところの「神の方法」を守って暮らしている家族。
聖書では兄カインは農耕、弟アベルは羊飼いで、神への捧げものにカインは自ら土を耕し作ったものを、アベルは羊の初子の最良のもの、を差し出す。
神は兄の供物ではなく弟のものを喜び、嫉妬した兄は弟を殺す。
人類最初の殺人である。
何故、神は兄の供物を選ばなかったのか?
「地の作物」は人間の力と知恵の象徴だから。
神に到達できる高慢さの表れでもあるから。
作品でも兄は自分よりも可愛がられてる弟に嫉妬している。
また、この弟と姉との関係は近親相姦のようでもある。
神はアダムの骨でイブを作った。
ならば、イブはアダムの血と骨を分けた兄妹ではないか。
「人間の方法ではなく神の方法を用いること」。
モロッコの羊飼いの一家は、神の方法で生きている家族なのである。
その家族に「人間の方法」である銃が入ってくる。
弟は観光バスに向かって撃ち、ひとりのアメリカ人観光客に命中してしまう。
それはまさに「罪を覆うために流される血」。
かくしてモロッコの家族の罪は、撃たれたアメリカ人夫婦へと繋がれる。
罪のために血を流した妻は助かり、その罪は彼らの子どもたちへと移行する。
その子どもたちも罪のための犠牲、から逃れ、最後にメキシコ人家政婦の国外退去、という犠牲で罪の連鎖は消える。
それでは「人間の方法」である銃をモロッコの羊飼いに与えた日本人はどうか?
彼は妻を「人間の方法」である銃で失い、聾唖の娘も孤独に蝕まれ、彼自身も日々手探りしながら生きている。
そんな彼らの住処は、天に手の届きそうな高層ビルの最上階なのだ・・・・・・・・・・
神の怒りを買った人間の高慢さ、の象徴である高層ビルの真上で、一生言葉で心を通じ合わすことのできない二人が住んでいる、というのは「血を流さずに罪は償えない」人間の苦しみとして何ともストレートな表現だ。

たまに私、読み返してみて「よくこんなこと書けたなぁ~」と自分でもびっくりすることがあるのですが、
この『バベル』の感想など読むと、頭がどうかしていたに違いない・・・と思わずにいられません。
同じ人だったんだろうか・・・・でも、映画や本を深読みしたり、何かを一気に書き上げるとき、って
トランス入りますよね。
そのため神は人間の言語をバラバラにしてしまった、らしい。
で、日本ではコピーにもそのエピソードが使われているのだが、それだけではなく人間が犯した罪、についての作品ではないか。
冒頭のモロッコの羊飼いの兄弟は、まさにカインとアベルや聖書で言うところの「神の方法」を守って暮らしている家族。
聖書では兄カインは農耕、弟アベルは羊飼いで、神への捧げものにカインは自ら土を耕し作ったものを、アベルは羊の初子の最良のもの、を差し出す。
神は兄の供物ではなく弟のものを喜び、嫉妬した兄は弟を殺す。
人類最初の殺人である。
何故、神は兄の供物を選ばなかったのか?
「地の作物」は人間の力と知恵の象徴だから。
神に到達できる高慢さの表れでもあるから。
作品でも兄は自分よりも可愛がられてる弟に嫉妬している。
また、この弟と姉との関係は近親相姦のようでもある。
神はアダムの骨でイブを作った。
ならば、イブはアダムの血と骨を分けた兄妹ではないか。
「人間の方法ではなく神の方法を用いること」。
モロッコの羊飼いの一家は、神の方法で生きている家族なのである。
その家族に「人間の方法」である銃が入ってくる。
弟は観光バスに向かって撃ち、ひとりのアメリカ人観光客に命中してしまう。
それはまさに「罪を覆うために流される血」。
かくしてモロッコの家族の罪は、撃たれたアメリカ人夫婦へと繋がれる。
罪のために血を流した妻は助かり、その罪は彼らの子どもたちへと移行する。
その子どもたちも罪のための犠牲、から逃れ、最後にメキシコ人家政婦の国外退去、という犠牲で罪の連鎖は消える。
それでは「人間の方法」である銃をモロッコの羊飼いに与えた日本人はどうか?
彼は妻を「人間の方法」である銃で失い、聾唖の娘も孤独に蝕まれ、彼自身も日々手探りしながら生きている。
そんな彼らの住処は、天に手の届きそうな高層ビルの最上階なのだ・・・・・・・・・・
神の怒りを買った人間の高慢さ、の象徴である高層ビルの真上で、一生言葉で心を通じ合わすことのできない二人が住んでいる、というのは「血を流さずに罪は償えない」人間の苦しみとして何ともストレートな表現だ。
たまに私、読み返してみて「よくこんなこと書けたなぁ~」と自分でもびっくりすることがあるのですが、
この『バベル』の感想など読むと、頭がどうかしていたに違いない・・・と思わずにいられません。
同じ人だったんだろうか・・・・でも、映画や本を深読みしたり、何かを一気に書き上げるとき、って
トランス入りますよね。
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12.18.21:22 スゥイニー・トッド~映画~ |
この気持ちは、なんというか色々と複雑なんだけど、スゴク良かった。
内容はかなりキツかった。
あの少年の気持ち、アレが私は一番たまらなかった。
ラストのジョニデの気持ちもたまらんのだけど、個人的にあの少年のマダム・ラベットに対する気持ち、というのがすごくキツい。
ああ、イヤだ・・・・
マダム・ラベット。
彼女の気持ちもすごく理解できる。
彼を愛しているから奥さんのことも知らせたくない、このままでいたい、彼のことを守っていたい。
そんな時、別の誰かから愛を告げられ、その一途な気持ちにほだされるのだけど結局はジョニデと自分の生活を守るために嘘で塗り固めた地下へと誘う。
そりゃない・・・・
なんで愛され慣れていない女ってこうなんだろう。
彼女は自活し、怠惰だけれど自分の足で立っていたハズだった。
しかし、その生活も「ロンドン一まずいパイ」という立場に甘んじていた時点で開き直り人生だった。
ああ、イヤだ
出演者全員が不幸、という、ある意味潔い暗さ。
最後は落ち着く場所に落ち着いて、ちょっぴり私には羨ましくも思えた。
『復讐するとき人は仇敵と同じ
しかし許すとき、人は仇敵より上にある~ベーコン』

内容はかなりキツかった。
あの少年の気持ち、アレが私は一番たまらなかった。
ラストのジョニデの気持ちもたまらんのだけど、個人的にあの少年のマダム・ラベットに対する気持ち、というのがすごくキツい。
ああ、イヤだ・・・・
マダム・ラベット。
彼女の気持ちもすごく理解できる。
彼を愛しているから奥さんのことも知らせたくない、このままでいたい、彼のことを守っていたい。
そんな時、別の誰かから愛を告げられ、その一途な気持ちにほだされるのだけど結局はジョニデと自分の生活を守るために嘘で塗り固めた地下へと誘う。
そりゃない・・・・
なんで愛され慣れていない女ってこうなんだろう。
彼女は自活し、怠惰だけれど自分の足で立っていたハズだった。
しかし、その生活も「ロンドン一まずいパイ」という立場に甘んじていた時点で開き直り人生だった。
ああ、イヤだ
出演者全員が不幸、という、ある意味潔い暗さ。
最後は落ち着く場所に落ち着いて、ちょっぴり私には羨ましくも思えた。
『復讐するとき人は仇敵と同じ
しかし許すとき、人は仇敵より上にある~ベーコン』
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12.18.21:14 ラスト、コーション |
『ラスト、コーション』
予告編のコピーは大袈裟なので気にしないけど、これは
「究極の禁断の愛」
とか出てた。
どのあたり?わからん・・・・・
私は『ラマン~愛人』を思い出しました。
田舎から都会へ出てきたワン。
同じ大学の抗日運動家たちとスパイ活動に身を投じる。
その相手がトニー・レオン。
ちょっと判らないのがトニー・レオンを殺害することが目的ならば、家に送ってきたときに玄関でガツンとやってしまえばそれでお終いのハズなんですが、そうやってしまうとあのラブ・シーンも物語もさっさと終わってしまうからそうしなかったんですね?
個人的には最初に麻雀をやっている女性たち、のシーン。
あそこがすごくセクシーだった。
麻雀って指の動きがいいし、お金持ちの奥さまたちなので着ている服が触り心地良さそうで。。。。。。。
そのラブ・シーンですが。
確かに綺麗でした。
さすがアン・リー監督。
重厚な色合いで、高級感漂って、ボカシさえなければ綺麗な一枚の絵や写真を観ているよう。
とにかく綺麗でした。
ただ、私が思うにワンの気持ちであるとか感覚であるとかは、普通じゃないかと感じたのです。
男性を知って、その同じ人と時間を重ねていくうえで感じる普通の感覚ではないかと。
その時間の中にワンの場合は自分が彼を騙す立場である、という葛藤があり、イーの場合はワンのそんな葛藤が生き方の真剣さというか一生懸命さに見え、そこを信じた。
それだけじゃないかと。
だから少しも変わった関係ではないし、普通にどこにでもある恋愛の形だと思いました。
エンドロールを観ながらすごく懐かしい気持ちになったのですが、そういうことだったんですねぇ・・・・・
ということで、大人な女性だったらばわかる、という作品でした

予告編のコピーは大袈裟なので気にしないけど、これは
「究極の禁断の愛」
とか出てた。
どのあたり?わからん・・・・・
私は『ラマン~愛人』を思い出しました。
田舎から都会へ出てきたワン。
同じ大学の抗日運動家たちとスパイ活動に身を投じる。
その相手がトニー・レオン。
ちょっと判らないのがトニー・レオンを殺害することが目的ならば、家に送ってきたときに玄関でガツンとやってしまえばそれでお終いのハズなんですが、そうやってしまうとあのラブ・シーンも物語もさっさと終わってしまうからそうしなかったんですね?

個人的には最初に麻雀をやっている女性たち、のシーン。
あそこがすごくセクシーだった。
麻雀って指の動きがいいし、お金持ちの奥さまたちなので着ている服が触り心地良さそうで。。。。。。。
そのラブ・シーンですが。
確かに綺麗でした。
さすがアン・リー監督。
重厚な色合いで、高級感漂って、ボカシさえなければ綺麗な一枚の絵や写真を観ているよう。
とにかく綺麗でした。
ただ、私が思うにワンの気持ちであるとか感覚であるとかは、普通じゃないかと感じたのです。
男性を知って、その同じ人と時間を重ねていくうえで感じる普通の感覚ではないかと。
その時間の中にワンの場合は自分が彼を騙す立場である、という葛藤があり、イーの場合はワンのそんな葛藤が生き方の真剣さというか一生懸命さに見え、そこを信じた。
それだけじゃないかと。
だから少しも変わった関係ではないし、普通にどこにでもある恋愛の形だと思いました。
エンドロールを観ながらすごく懐かしい気持ちになったのですが、そういうことだったんですねぇ・・・・・
ということで、大人な女性だったらばわかる、という作品でした

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12.18.18:27 アウェイ・フロム・ハー |
私はまだまだ修行が足りん!!!!と、主演のジュリー・クリスティや監督のサラ・ポーリーにひれ伏したい気持ちでいっぱいです。
サラ・ポーリーって私よりも随分若いのに、なんでこんなやり手ババアのような手管、というか手腕というか・・・彼女スゴイなぁ。
中島みゆきが白人になったような。。。
痴呆が現われてきた妻にとまどう夫。
自分よりも若く美しく、まるで子どものように可愛がってきたような妻がだんだんと自分との記憶を失っていく。
それも新しい恋、という形をとりながら。
この夫の周りの女たち。
妻、妻の恋人の妻、看護士。
彼女たちはそれぞれに、愛する形を提示する。
ひとりは忘却、そして再生、受容。
誰かひとりを愛し続けるには、そのいずれも必要で、また、ズルイことにそこまでの気持ちになるためには、愛する人以外の心や体も必要なのです・・・・
残念なことに、悲しいことに、そうなのです。
人はひとりでは生きていけない。
とてもとても愚かでずるい。
だけど、その「唯一無二の愛」が偽物か?誠実ではないか?というと決してそうではない。
もんんんんのすっごく大人な作品でした。

サラ・ポーリーって私よりも随分若いのに、なんでこんなやり手ババアのような手管、というか手腕というか・・・彼女スゴイなぁ。
中島みゆきが白人になったような。。。
痴呆が現われてきた妻にとまどう夫。
自分よりも若く美しく、まるで子どものように可愛がってきたような妻がだんだんと自分との記憶を失っていく。
それも新しい恋、という形をとりながら。
この夫の周りの女たち。
妻、妻の恋人の妻、看護士。
彼女たちはそれぞれに、愛する形を提示する。
ひとりは忘却、そして再生、受容。
誰かひとりを愛し続けるには、そのいずれも必要で、また、ズルイことにそこまでの気持ちになるためには、愛する人以外の心や体も必要なのです・・・・
残念なことに、悲しいことに、そうなのです。
人はひとりでは生きていけない。
とてもとても愚かでずるい。
だけど、その「唯一無二の愛」が偽物か?誠実ではないか?というと決してそうではない。
もんんんんのすっごく大人な作品でした。