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  • 05/02/10:28

04.21.23:02

エイリアン ~映画~

alien1.jpg今さらだが、午前十時の映画祭で観てきた。
鹿児島でやっている「青の50本」の中で、これだけは是非!と思っていた作品のひとつ。
「山猫」「キャリー」「道」「サウンド・オブ・ミュージック」、それに「エイリアン」。
高速で1時間半とはいえ、10時からの上映なので、やはりキツイ。
余裕を持って、今日は7時に家を出た。
「キャリー」も観たいが、次は「サウンド・オブ・ミュージック」にしておく。

で、「エイリアン」。
「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聴こえない」というコピーを中学1年生の私は鳥肌もので読んだ。
宇宙に憧れ、小学生の頃は自分でUFO探知機を作ったほどの女である。
うわー!そうだよ、誰も助けになんか来れないし!
想像しては畏れおののいていた。
で、たいてい劇場で観る私ですら、行かなかったんだった。
一人で観に行った父が、そりゃ面白かった!と言っていた。

妖しいH.R.ギーガーのデザイン。
非の打ちどころない強力モンスター。
SFホラーというジャンル。
強く格好良い戦う女性キャラ。
宇宙船という閉鎖性と、宇宙という閉鎖性。
全てが新しい!
画期的な作品だった。

中でも素敵だったのがシガニー・ウィーバー。
格好良い~♪
あのタンクトップとパンツ姿は何といっても素晴らしい。
暗く狭く汚い宇宙船、不気味な雰囲気の作品の中で、彼女だけはとても健康的な生命力にあふれていた。

この作品に並んで驚いたのは「スター・ウォーズ」。
その後は「ターミネーター」。
この3作品以降は、3Dですら驚きはないな。。。

どこかB級ぽい雰囲気も醸し出しつつ、単純に斬新な驚きを与えてくれた「エイリアン」。
永遠にファンです!
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04.20.23:08

彼女が消えた浜辺 ~映画~

1987フォーラムに打ったものに若干修正しつつ~

kanojo2.jpgオチや垣間見られる登場人物たちの気持ちがキツくて。
救いはイランの女性たちが綺麗だったこと♪
最高に綺麗でした。
物語やイスラム圏の習慣など興味深かったですが、日本的な話しだとも思いました。

どこの世界でも何もしないくせに口だけ出す人っているんだなぁ。一番迷惑。
色々と動く人に限って叩かれて、気の毒。
何もかも終わったあとでノコノコ出てきて批評するやつ、すごく卑怯。
頭の悪い男どももイヤだけど、頭の悪い女はホントに迷惑。
自分は何もやれないのに馬鹿だから話を引っかきまわして、ややこしくして、その事に気付かずにしれっとマジョリティに紛れ込む。
最悪な存在です。
この作品に登場した集団は、そのまま日本でもありえます。
実際にああいう集団が、まんまいます。
残念ですが。

それに嘘はやっぱりいけませんねー。
つじつま合わせようとすればするほど深みにハマって、どれだけ人を傷つけることか。
きっとつじつま合わせする方は傷ついた人のことなんて、ちっとも慮ることもしないんだろうなぁ・・・

kanojo1.jpg善意から子どもの保育園の先生エリを休暇に誘ったセビデー。
休暇は、エリの事情(婚約者がいること)を知りながらも、会わせてしまえば何とかなる、という軽い気持ちで自分の友人アーマドとのお見合いも兼ねていた。
まずはその軽い気持ちが第一の間違い。
どんなにやり過ごせそうに感じても、嘘はいけない。
それもイスラム圏では一番許されない嘘。
エリにはある計画があった。
だからこそ、その嘘はあとでセビデーにとって致命傷となる。

最初は善意だった。
善意からの嘘なら大丈夫だとセビデーは思っていた。
なぜなら彼女は周りからも「しっかりしている」と認められる存在だったから、自分でもそう思っていた。
エリが隠していた計画、セビデーの嘘は、もうひとつの嘘のために大きな事件へと発展してしまう。

善意のセビデー、エリの婚約者、彼らはあまりにも気の毒。
セビデーは周囲とのつじつま合わせのために、大きな大きな嘘をつかねばならず、エリの婚約者はこの上なく傷つく。
大騒ぎした周囲だけは何も変わらず日常に戻り、誰を傷つけたのか慮ることもない・・・

よくぞこのような作品を作ったと思いました。
気持ちの良い話ではないけれど、こういうことは日常茶飯事。
できることなら上手く立ちまわれる人になりたい。。。

それにしても綺麗だ・・・・・・

04.19.22:14

アンチクライスト ~映画~

1987のフォーラムに打ったものを、若干変えつつ~

antichrist.jpg今回も含め、ホントにラース・フォン・トリアーにはブレが無いと思います。
そこはもうアッパレと言いたいです。
好きで好きでたまらない女性を物陰から一日中のぞき見ているような、頭の中で色々な姿態を妄想して楽しんだりまたはそうしている自分を卑下したりするような、どこか偏執狂的な雰囲気。
そんな彼のことが嫌いになれません。
むしろ、どこまでやらかしてくれるんだろう?と、クセになってます。
彼の作品にはずっと「反キリスト教」な流れがあり、まさに今回はまんまアンチクライストだったのですが、これまでは寛容であるとか慈悲であるとかそんなことがテーマだったのですが、今回は貞淑?それとも姦淫?
生殖そのものを馬鹿馬鹿しいと考えているかのような・・・。
気絶していても起立しているペニスをしごいて精液をほとばしらせる妻、夫のもとに上ってくる顔のない女性たち、象徴的で面白いです。
もう、笑うしかないです。

昔のイーストウッドの作品(出演)を思い出しました。
「白い肌の異常な夜」や「恐怖のメロディ」あたり。

トリアー監督は女性に対して、信じたいのに信じきれない、母親が子どもにかけるような絶対的な愛情のようなものを求めているような、またはそのようなものも信じたいのに信じきれないような、求めても与えられないことに地団太踏んでいるような、欲しいのに与えられないことを床にころがって泣き叫んでいる子どものような、そのような感覚を感じます。
それは私の勝手な想像なのですが、彼の作品を観る度にそう感じます。

ニンフォマニアな妻と、愚かな夫。
息子を失った事も、夫との二人だけの世界にいたかった妻の半ば確信的な犯行。
物語は、女性→肉欲→悪魔→駆除。
そんな感じ。
悪いのは女、愚かなのは女。
だけど男はもっと愚か。
子どもを作ることなどもっての他だと言いたげなブラームスの子守唄の中、落ちていく子ども。
性欲を否定するかのようにクリトリスを切り取る妻。
その行為は、子どもを死なせてしまったことを悔いて、というよりも、自分自身の性自体を悔いて、消し去ろうと否定しているように見えました。
多分、妻は初めから子どものことなど愛してはいなかった。
愛していたのは夫のこと、そしてセックス。

ここまで書くととてもエグイ話しのように思えますが、不思議と観終わったあとでイヤな気持ちにはならない。
それは話しの中にどこかバカバカしさが漂っているから?
ラース・フォン・トリアーはいったいどこまで行くのでしょう?
いったいどこまで女性を貶めるのでしょう?
彼の貶めっぷりには、どうしようもなく強く、女性への愛が隠されているように、私には思えてなりません。

01.23.10:53

シングルマン ~映画~

tomford.jpgめずらしくネタバレしません。
1987フォーラムに打ったものに少し訂正。

深くてシンプルなお話でした。
作品自体は画面から溢れる仕立ての良さ、品の良さは、ザ・トム・フォード!
男性は美しく、女性は品が良く、トム・フォードの創造するファッションそのもの。
綺麗。
気持ち素直に監督の美意識をきちんと踏まえて映像化したように思え、ますますファンになりました。
主人公が生を感じるときに鮮やかになる色合いなど、映像表現がわかりやすいです。
それに全編とにかくおしゃれ、主人公のバスローブに至るまで、生地が高そう~物が良さそう~でした・・・

初老の大学教授が16年一緒に暮らした年下の恋人を事故で失い、人生に絶望して死ぬための一日の物語。
愛する人を失って死を選ぶことは安易だと、観る前は思っていたのですが、主人公の年齢がもし50代後半だとしたら運命の恋人と出会ったのは今の私ぐらいの年齢です。
そう考えると主人公の気持ちは十分理解できました。
死を覚悟したあとだからこそ再生できる人生や感情も。
夜のドアを開けたとたん飛び立つふくろうに美しい月、それらを見るコリン・ファースの表情、好きでした。

年下の恋人に出会うまでの主人公は、きっと何となく自身のセクシャリティを自覚しながら、そして諦めながら暮らしてきて中年を過ぎ、そんな毎日の中で彼に出会ったのだと思います。
途中、ふたりで今までの自分についてを語るシーンがありますが、主人公はそのようなことを彼に話しています。
主人公は彼を、ようやく出会ったかけがえのない宝物のように感じていたのではないでしょうか。
自分の余生は彼と一緒に、自分が死ぬまで。
そう信じていたでしょう。
自分の最後を看取ってもらえるだろうか、そうも思っていたかもしれません。
singleman.jpgそんな気持ちは異性間だろうと同性間だろうとなんら変わりはないと思います。
この作品でひとつ残念な部分がそのあたりで、何の前知識もなく観た友人が観始めて同性愛を扱った作品だったことに気付き、まずはその点を受け入れるまでに少し時間が必要だったと話していました。
もったいないです。
ある程度の年齢を重ね様々な経験を経た人が出会った最愛の人。
自分の人生も終わりにさしかかった頃、そんな人を突然に失った悲しみは想像もできません。
まわり続ける運命の中に住まう私たちは絶望からフトした瞬間、あ、まだ生きていけるかも・・・そう感じることができる、そんなお話です。
人として当たり前の感情、なんら異端の気持ちではありません。

賛否ありそうなラスト、私はあれでホッッッとしました。
あー、良かったなぁと。
思い出すとぐっときます。
ここを詳しく出してしまうとネタバレになるので出せませんが、好きなラストでした。
人生をシンプルに表わしていると感じました。

01.11.22:52

冬の小鳥 ~映画~

fuyunokotori.jpg~ネタバレしてるかもです~

子どもや動物の瞳は何も言わなくてもひどく何かを訴えているように見える。
伝えたい気持ちがあって、でもだからこそ上手く言葉にできなくて黙ってしまう。
そんな気持ちが瞳や表情にあふれて、その沈黙は切ないほど見るものに語りかけてくる。
主人公ジニを演じたキム・セロンが素晴らしいのはもちろん、この作品は誰に対しても媚びていない。
ほとんどBGMもなく、こちらの気持ちに訴えるような演出もない。
ただ静かに流れていき、ロケーションも孤児院のみ。
出演者の演技と殺伐として見える冬の孤児院のロケーションだけがある。
それだけなのに胸に訴えてくるものの重さはしっかりと感じられる。
ただひたすらに一人の少女が自分の足だけで立っている。
立とうとしている。
その姿が凜として、素晴らしい作品だった。

何かを強く求めてその何かを諦めるとき、そこから始まるもの見えるものがある。
主人公のジニは、新しい母親とうまくやっていけない自分を孤児院に捨てた父親のことを待っている。
捨てられたことを信じたくはないから自分は周りの子どもたちとは違うと思っている。
年上のスッキと仲良くなり、やっと状況を受け入れられそうになるがスッキはアメリカ人夫婦へ養女にもらわれてしまう。

タイトルの冬の小鳥だが、傷ついた小鳥を孤児院でひろったジニとスッキが世話をする小鳥がいる。
冬の雨に打たれて死んでしまう小鳥と、孤児院で暮らす子どもたちが重なる。
それは本来どちらも温かく見守られるべきもの、優しくされ守られるべきものたち。
まだ幼いジニが、父やスッキに表現される自分を守ってくれるべき存在を求めてそれを諦めるまでにもがき続ける姿は、それを諦め一歩踏み出すための大切な儀式だと思う。
中には色んな状況を一瞬にして受け入れて次へ進むことを良しとする人もいるだろう。
でも、それは違うと私は言いたい。

求めたものへの気持ちが強ければ強いほど、それを諦めるためのエネルギーは計り知れない。
めちゃめちゃにもがいていいと思う。
時間がかかっても良いと思う。
もがいてもがいて、もしも命を落とすことになったとしても私は良いと思う。
命をおとさずに生き直すことができたら、そこから見える景色はどんなに新しい景色だろう。
生き直せた人は、どんなに新しい自分を持つだろう。
そこから踏み出す一歩は、どんなに新しい一歩だろう。
向き合い続けた自分の姿は、どんなに新しい自分だろう。

そんな新しい自分になれたとき、一歩を踏み出したときにこそ、抗えなかった過去を真っ直ぐに見ることができるものだ。

ジニが養父母のもとへ行く飛行機の中でみた夢は、求め続けた父親の背中を感じながら自転車に二人乗りする夢。
二人乗りの自転車は暗闇をライトで照らしている。
ジニは父を諦め新天地へ行くが、それでも彼女の心のなかには父がいて、そして今でも父と一緒に生きている。
そんな自分自身を受け入れたから、ジニは心細げにひとりで飛行場に降り立つが、しっかりと養父母の顔を探しているのだ。
養父母を見つけようとしている瞳や表情で暗転するラストは、ジニが踏み出した大きな一歩を表わしている。

心の底から素晴らしいと思える作品。
この作品を理解できることを誇りに思う。